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■冬の逢引・上

どこからか声がする。
「時計屋、そろそろ起きろ」
「……ん……」
ユリウスは薄暗い夢から目を覚ました。

カーテンを開ける音が聞こえ、陰気な室内に、冬の陽光が差し込んだ。
ユリウスは眉間にしわを寄せ、シャツ一枚の上半身を起こす。
そして不機嫌に、ベッドの下に声をかけた。
「トカゲ、私はまだ眠る。放っておけ」
「そう言うな。ほら、不精していないで起きろ。朝食の準備をした」
「…………」
ベッド下を見ると、作業台の道具が脇にやられ、目玉焼きとスープにパン、サラダが
主役の顔をしていた。もちろん湯気の立つココアも一緒だ。
そして準備を終えたトカゲの補佐官が、笑顔でユリウスを見上げた。
「ほら、下りてこい」
「……おまえが作ったものではないんだろうな?」
それだけは確認しておく。


外は珍しく晴れていた。
雪解け水が窓の外を落ちるのを見ながら、ユリウスはトカゲと朝食を取った。
静かな室内に、食器の触れあう音が響く。
「それで、ナイトメア様の銅像は、どうしても造ってもらえないのか?」
「当たり前だ!そんなおぞましい物を誰が作るか!第一、私は仕事で忙しい」
エースの監禁(?)で、また仕事に穴を空けてしまった。
作業台の脇には、今も修理を待つ時計が小さな山を作っている。
パンをスープにひたして口に放り、さっさと飲み込む。
「時計屋、ちゃんと噛め。胃に悪いぞ」
「腹の中に入れば、みな同じだろう。いちいち世話を焼くな!」
「機嫌が悪いな、時計屋。『昨晩の』は、そんなに気に入らなかったか?」
「――っ!」
真顔で言われ、パンをのどにつまらせるところだった。
グレイは平然と目玉焼きを切り分け、
「女相手の技術なら自信はあるんだが、なにしろ男同士のことだからな。
おまえの側から希望があるのなら何でも――」
「……それ以上言ったら、出入り禁止にするぞ、トカゲ」
するとトカゲはきょとんとした顔をし、何か気づいた顔でうなずいた。
「ああ、悪かった。おまえの、女性経験の乏しさへの配慮を欠いていたな」
「そっちに怒ったのではない!!」
いや、女の経験がほとんどないと頭から決めつけられるのは、確かに腹が立つが。
「本当に機嫌が悪いな」
だがトカゲは、嬉しそうにユリウスを見、パンを千切る。

「時計屋。おまえはエイプリル・シーズンをいつもどうしている?」
「季節が来ようと来るまいと関係ない。私はいつも仕事をしている」
食後の甘ったるいココアを喉に流し、素っ気なく答えた。
「少しは出歩いたらどうだ?ここらは冬の景色もなかなかのものだぞ」
「興味がない。食い終わったら、出て行け。私は仕事に戻る」
「よし、食事が終わったら一緒に、湖の『視察』に行くことにしよう」
トカゲは真っ向から無視してきた。
「行くか!!」
カップを投げつけてやろうか、という勢いで答えた。冗談ではない。

…………

厚い雪を踏みしめ、雪をかぶった木々の道を歩く。
「……寒い」
部屋のストーブが懐かしい。早く帰りたい。
「暖かい部屋に引きこもりすぎなんだ、おまえは。俺のコートを着るか?」
「いらん!」
「おっと。また怒らせてしまったようだな」
そういう割に、トカゲは上機嫌で、段々ユリウスは苛々がひどくなる。
――だいたい、何でつきあってしまったのだ。
時計屋が修理すべき時計を放置し、何ら得る物のない野外散策など。
押されたとしか言いようがない。あまりにしつこいから、つい首肯して――
「うわっ!」
心の中の愚痴に集中し、足下が危うくなっていた。
深い雪に足を取られ、危うく顔面から転びそうになる。
「時計屋。ちゃんと足下を見ろ。捻挫したらどうする」
寸前で支えたのは、トカゲだった。力強い手がユリウスの身体を支えている。
「…………うるさい」
きまり悪くて、苛々して。うつむき、礼も言わずに答えると――
「……っ!!」
唇の感触に顔を上げると、トカゲが口づけをしていた。
しかし殴る前に、爬虫類は素早く身を離し、声をあげて笑った。
「ははっ。悪いな。おまえが可愛かったから、つい、な」
「こ、こ、この……っ」
コケにされ続け、身体は寒いのに体内は沸騰寸前だ。
「調子にのるな!!」
スパナを振り上げ、トカゲの頭に叩きつけようとした、が、トカゲは素早くかわす。
そして軽やかな動作でナイフを抜くと、
「ふむ。俺と鍛錬がしたいのか?騎士はごめんだが、おまえなら、かまわない」
「……っ!」
『騎士』という言葉に我に返り、あわてて周囲を見回す。
だが人の気配は全くしない。静かな冬の森の中だ。
――エース……。
あのとき、奴は扉の外から見ていた。
だが情事が進むにつれ、集中を欠き、次に注意を戻したときには気配が消えていた。
あれからどうしただろう。
無事にハートの城に帰っただろうか。
「――っ!」
不穏な気配に身を引くと、身体のすぐ側を鋭利なナイフがかすめる。
「トカゲ!」
「鍛錬がしたいんだろう?時計屋。ほら、かかってこい」
「この……っ」
挑発され、トカゲにスパナを叩きこむ。すると、硬い音がして、ナイフに阻まれた。
「ぐ……っ……!」
「無駄な動きだらけだな。足の踏み込みも弱いし、腕力が足りない」
「あ、足下が雪なんだ。仕方ないだろう!」
つい言い訳をしてしまう。
「おまえは鍛錬以前に、基礎から学び直した方がいいようだな」
トカゲは楽しそうに笑った。

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