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■春にして君を離れ・下

窓の外ではチラチラと雪が降っている。
――どうしたものか……。
面白くもない風景を眺め、ユリウスは頬杖をつき、ぼんやりと考える。

懸案は山ほどある。この際、不純な交友関係はどうでもいい。
時が経てば勝手に冷め、勝手に元に戻るだろう。
……というか、そう思いたい。

――『三月ウサギ』をどう捕らえたものか。

一番の懸案はそれだ。
監獄から、三月ウサギが牢獄に入ったという報告はない。
ユリウスは、獲物が自ら檻に入ると信じられるほど、楽観的ではなかった。

「……で、あるからして……おい、聞いているのか?時計屋」
「ん?……いいや」
部屋の中央から聞こえる夢魔の声に、ユリウスは正直に答える。

「おい!時計屋!そこは義理でも『聞いている』と答えるところだろうが!!」
とたんに芋虫の声がやかましくなる。ユリウスは集中を阻害され、眉をひそめた。
顔を上げると、クローバーの塔の会議室だった。
もっとも今は余計な人員はおらず、自分の他は、夢魔とトカゲがいるきりだ。
「せっかく!このクローバーの塔の主が、大事な会議におまえを招いてやってると
いうのに、その態度は何だ!!時計屋!!」
ユリウスは半眼で、
「おまえの部下に頼み込まれ、出てやっているだけだ。
おまえこそ、そういう態度でいるのなら……」
喜んで『会議』を辞退しようと、ユリウスはガタッと椅子から立ち上がった。
「ま、待ってくれ時計屋!」
そしてトカゲに制止された。
「頼むから協力してくれ。ナイトメア様のあがり症を少しでも克服させたいんだ」
「…………」
知ったことか、と言いたかったが、懇願する黄色い瞳に負け、不承不承座る。
「……すまない。助かる」
「おお!素直じゃないか、時計屋ぁ!やはり愛人の頼みには――」
最後まで言う前に、ユリウスの投げたスパナが、芋虫のあごに激突した。
「い……痛い!痛い!!」
涙をながしてのたうち回る夢魔。
「帰る」
今度こそユリウスは立ち上がり、大股で会議室を後にした。
背後には芋虫のうめき声と、
「ナイトメア様。あなたという方は……」
と、トカゲが恨めしげに低く呟くのだけが聞こえた。

…………

ユリウスが作業場で時計の修理をしていると、ノックの音が聞こえた。
「入るぞ、時計屋」
「入るな」
ぶっきらぼうに答えたが、ガチャリと扉が開けられる。
入ってきたのは、湯気の立つココアを二つ、トレイにのせたトカゲだった。
「精が出るな、時計屋。さっきの詫びに来た」
「いらん」
だがトカゲは無視し、勝手知ったる様子で、トレイを適当な場所に置いた。
そして客用の椅子を勝手に持ち出し、作業台の側にさっさと腰かける。
それから、なおも修理を続けるユリウスに、
「ナイトメア様にも困ったものだ。人前で言っていいことと悪いことがあるだろう」
「芋虫の口の軽さには期待しない。他に余計な者がいないのが幸いだったな」
三人だけだったからいいようなものの、顔なしの一人でもいたら、撃ち殺さなければ
ならないところだった。
そして頬に暖かいものを感じる。
「……触るな」
作業の手を止め、ユリウスは不機嫌に言った。
トカゲの手が、こちらの頬に触れ、馴れ馴れしく撫ぜていた。
「だが会議はまた開催するつもりだ。せっかく冬の季節だから、他の領土に習い、
何か催しでもしようと思ってな。なあ、おまえは何がいいと思う?」
「……会話をする気があるのか?まず手を離せ」
トカゲの手首をつかみ、離そうとする。だが爬虫類の力は意外に強い。
「握力を鍛えろ、時計屋。こんなひ弱なことではナイトメア様に負けてしまうぞ」
トカゲの手はビクともしない。
「おい。喧嘩を売っているのか?」
「まさか。どちらかと言えば口説くつもりだ」
「――っ!」
軽口に反応する前に、逆に手を引き寄せられた。
「うわ……っ!」
バランスを保てず、作業台に逆の手をつく。時計の部品が散らばり、修理中の時計が
机を転がり、床に落ちるのが見えた。
あわてて取りに行こうとしたとき、唇を重ねられる。
「ん……っ……」
こちらから手首を離したが、身体を離す前に頭を抱かれた。
「…………!」
さらに身体を抱き寄せられて、片手だけでは辛く、片膝を作業台にのせてしまう。
抱きしめられ、時が制止したように感じた。
暖かい。舌の絡む音に、時計の秒針の音が混じる。

「……俺を選べ、時計屋」

頬に手を当て、命令するトカゲは、先ほど会議室にとどまってくれと、懇願していた
男と同一人物なのだろうか。魂まで吸い取られそうな瞳だった。
「…………」
フッとユリウスの身体から抵抗が抜ける。
疲労がたまっているのかもしれない。
「いい子だ……」
耳元で低くささやかれ、長い髪を指先に絡められる。
なぜかそれが心地良い。
――本当に、抵抗しない方がいいのだろうか。
ふと、悪魔の誘惑が己の時計をかすめる。
下手に逃げるから、後を追われる。こちらも消耗する。
――それに、疲れるからな。
男同士の愛憎劇など、知ったことではないし、自分にはやることがたくさんある。

「時計屋……」
さらに自分を引き寄せたトカゲが、もう一度唇を重ね、作業台に引き倒す。
ユリウスはそのまま、したいようにさせることにした。
「……抵抗しないのか?」
ユリウスのベルトを外しながら、トカゲは少し驚いたようだった。
「何を驚いている?選べと言ったのは、おまえだろう?」
――やはり疲れているな、私は。
こんな言葉が出てしまうとは。そう苦笑する。
「いいや。感謝する。これでお互い無駄な疲労をためずにすむな」
トカゲは見抜いたようだ。皮肉めいた笑いに、ユリウスも笑う。
だが彼は先ほどより表情を和らげていた。
「だが、おまえが根を詰めすぎなのも確かだ。
なあ、『終わったら』雪景色でも見に行かないか?
湖の白鳥でも見て、冬の催しを共に考えよう」
「……考えておく」
最後に先ほどの議題を、ちゃっかり被せてくるトカゲ。
根を詰めているのはおまえもだろう、と補佐官の顔に苦笑する。
考えてみれば、こんな風に笑い合うのは久しぶりだと思えた。

――そしてトカゲを選べば、おまえを巻き込まずにすむ。

ユリウスはそんな視線を、薄く開いた扉に向ける。
扉の隙間から、笑顔を消し、こちらをうかがう『無関係』の騎士に。
同じく騎士の気配に気づいているだろう爬虫類に、キスをされながら。
果てしない痛みを、胸の時計に感じながら。

――なあ、そうだろう?……エース。

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