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■春にして君を離れ・中

その瞬間に呪縛から解け、声の方向を見る。
騎士は地面を這って、剣にたどり着いたようだ。
地面に突き刺さる剣を支えに、足をふらつかせながら、立ち上がろうとしていた。
伏せた表情は見えないが、恐らく笑っている。
そしてユリウスが戸惑い、トカゲが冷淡な瞳で見守る中、騎士はどうにか立った。
切れた唇から流れる血をぬぐいもせず、不敵に笑いかけた。
「俺を……三下の悪役みたいに扱って……自分も……そんなことしちゃうんだ」
騎士はやはり笑っていた。だが瞳は少しも笑っていない。
――こんな顔も出来たのか。
欠けた仮面の向こう側を見た気がした。
もしかすると、わずかな時間、見とれたのかもしれない。
どこか現実感のない思考で、ユリウスはそう思った。

しかしトカゲは敗れた相手を、今さら歯牙にかけないようだった。
「騎士。そこで見ていろ。どちらを時計屋がより悦ぶか、比べてみるといい」
と、ユリウスを地面に引き倒そうと腕を引こうとし、

「……っ!!」

トカゲの表情は変わらない。
騎士がトカゲを攻撃していた。だがトカゲは、騎士の渾身の一撃を片手の短剣一本で
受け止め、ユリウスにかけた手も離さない。

「何だ?俺と時計屋の情事は見たくないのか?」
どこか嗜虐的な笑みで、敗れた相手を見るトカゲ。
「俺はトカゲさんが好きだけど、今のトカゲさんは……そんなに好きじゃないな」
笑顔では無い笑顔。その緋色の瞳の奥で、暗く淀んだ何かが燃えている。
「俺もおまえに好かれたくは無い。なら……永久に縁を切る良い機会だな」
瞬間、ユリウスはトカゲに突き飛ばされ、木の幹にまともに頭をぶつける。
「……ぐっ!」
だから、ふところから銃を出したのは、ほとんど反射的な行動だった。
それを不明瞭な視界で誰かに向けたことも。

「……時計屋」

低い声がする。
時が制止したようだった。

ユリウスは銃口をトカゲの後頭部につきつけていた。
トカゲはナイフで今にも騎士の喉を抉ろうとしていた。
手負いの騎士はそれを阻止しようと、やや遅れて剣を構えたところだった。

「えっと……これ、絶対に三すくみ、じゃないよな」
騎士の声に、少しだけ喜色が混じる。確かに、断じて三すくみではない。
かといって挟み撃ちという体勢でも無い。
「時計屋。やはり情が残っていたか?こんなろくでもない男に」
「……人前で私を犯そうとしたおまえが、言えた義理ではないだろう」
出来るだけ声に感情を抑えて言う。とにかく、ケダモノどもが勝手につぶし合って
くれたおかげで、場の主導権をどうにか握ることが出来た。
その機を逃さずユリウスは今度こそ言う。
「何度言っても分からないようだが、改めて言ってやる!
私は男と関係を結ぶ気など無いし、今となってはおまえたちのどちらも願い下げだ!
私を争って誰が勝とうが知ったことか!!二度と私の前に顔を見せるな!!」
「断る!」
「ユリウス、やっぱり俺をだまそうとしたの?嘘が下手だよなあ。あはは!」
……どちらも即答だった。
しかも以前、騎士に吐いた嘘は、とうに底が割れていたらしい。
ユリウスは格下のカードたちに流され、やや赤面する。
「な、なら、私の好きにする!作業場にこもり、二度とおまえたちに会うか!!」
「いや、各種の連絡事項があるし、仕事の用事で外に出ることもあるだろう。
その間の食事はどうするんだ?また栄養不良で倒れでもされたら……」
トカゲの空気が、また世話焼きのそれに戻っていた。
「あはは!ユリウス!引きこもり作戦は俺に通じないぜ!
今まで何回それをやったんだよ!」
「…………」
何となく落ち込み、力なく銃を下ろした。
場の空気が白けたためか、トカゲもナイフを鞘におさめ、応じて騎士も剣を下げた。
「とにかく、もういい加減にしてくれ……」
ユリウスは力なくそれだけを言い、二人に背を向ける。
「それでも、俺はおまえが好きだ。時計屋」
トカゲの哀切を帯びた声に、なけなしの良心がかすかにきしむ。
だが相手にすることは出来ない。
「あ、俺も俺も!」
飄々とした騎士はどうでもいい。
ユリウスはそのまま振り向くこと無く、その場を立ち去った。

どうにかこうにか、この場をやり過ごせたことに、密かに安堵しながら。

…………

…………

狭い作業場に怒声が響く。
「止めろ……この……っ!」
足下ではカップが砕けて割れ、中身のココアが甘ったるい匂いをまき散らしながら
床の上に広がっていく。だが被害を最小限に抑えたくともユリウスは動けない。
「時計屋……時計屋……っ」
トカゲに両腕を押さえられ、作業台に引き倒されている。
そして何度も口づけを落とされる。

二度と誰も入れないと決意してもコレだ。あれこれ理由をつけられては、何かと頼り
きっている身として、どうしても扉を開けざるを得ない。
そして押し倒される。
突っぱねても叩いても、果ては噛みつこうとさえしても、トカゲは離れない。
押しつけられる身体から、嫌でもトカゲの硬さを感じ、嫌悪に歯を食いしばる。
「時計屋……」
トカゲは陶然としたようにユリウスの身体をかき抱き、首筋に口づける。
その手がこちらのシャツのボタンを外しはじめているのに気づき、ため息をつく。
「もう、いい加減にしてくれ……」

反抗をあきらめ、終わりを願い、無気力に天井を仰ぐしか無かった。

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