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■春にして君を離れ・上

どこからか桜の花びらが風に運ばれ、舞う。
ユリウスの膝から退いた騎士は、剣をトカゲに向ける。
「そういうわけで、ユリウスを賭けて勝負と行こうぜ、トカゲさん」
「時計屋を物扱いする気はない。だが、こいつの意思を無視するのなら――」
トカゲの構えたナイフが、陽光を反射し、ギラリと光る。
それは巨大な爬虫類が、牙をむいた瞬間にも思えた。
「……その、私はそもそも男と関係を結ぶ気は……」
乱れた服を直しながら、恐る恐るユリウスは主張してみるが、
「ユリウスは俺のだ!トカゲさんには渡さないぜ!」
「失せろ。時計屋は……俺の物だ!!」
地を駆ける獣二体は、すでに互いの牙をぶつけあっていた。
風が揺れるような気迫と交わされる刃の斬撃音。
物騒な轟音に、鳥たちが一斉に飛び立ち、木々がざわめいた。
――……もう帰ってもいいだろうか?
ここ幸いとばかりに、ユリウスは意味もなく身を縮め、コソコソと木々の向こうに
早足で去ろうとした。

……そして頭上すれすれのあたりを、短剣がかすめる。

「……トカゲ」
騎士とナイフを交わす爬虫類を見やると、
「手が滑った。すまないな。時計屋」
と、全くすまなそうではない声で言われる。
騎士も楽しそうに剣をふるいながら、
「あははは!トカゲさんったら、そそっかしいな!
でも俺も一緒に手が滑っちゃいそうだ。
だから……コソコソ逃げないでくれよな、ユリウス」
『一緒に手が滑る』という現象は、寡聞にして聞いたことがないのだが。
ユリウスは仕方なく、木の幹にもたれ、体力のない身体を座らせる。
それを確認すると、騎士とトカゲはまた無言で剣を交わす作業に戻る。
鍛錬のダシにされたユリウスに出来ることと言えば、心の中で毒づくことだけだ。
――全く、この連中ときたら……。
ぐちぐちと心の内で愚痴が収まらない。
――しかし、今後どうすべきか……。
目の前では『自分を賭けた』はた迷惑な戦いが続くが、女ではないのだから、勝者の
物になる展開はありえない。
そして自分を取り巻く状況は刻一刻と変化している。
孤立しがちな身には、騎士やトカゲの助力は魅力だ。
だが、一度部下にと望めば、それこそ後戻りが出来ない。
「はあ……」
己の優柔不断さにはため息しか出ない。

ため息を流す横で猛烈な斬撃が飛び交っている。耳に痛いほどの金属音。
騎士もトカゲも、一歩も退かず互いの得物をぶつけ合う。
ときおり血がわずかに飛び、それでも双方、腕が緩むことは決して無い。
呑気に見る限り、トカゲがわずかに優勢だ。
嘘とは言え『トカゲを選ぶ』と言ってしまったことが影響しているのだろうか。

ユリウスは現実から逃避し、さらに思考に耽溺する。
――いや、迷うことはない。
道化に宣言したはずだ。

時計屋が、この手で三月ウサギを捕らえる。

騎士にもトカゲにも頼らない。元から長生きには興味が無い。
それで倒れるのであれば……。


そのとき、何かが飛ぶ音がした。そしてくぐもった声。
「……っ!!」
見ると、剣を持たない騎士が、腹をおさえ、地面に倒れるところだった。

そして直後、すぐ近くの地面に突き刺さる剣。
どうやらトカゲが剣をはじき飛ばし、肘での強烈な一撃を食らわせたらしい。
内蔵が傷ついたのかもしれない。騎士の口から血がこぼれ落ちるのが見えた。
トカゲは両の足を全く乱れさせず、短剣を下ろす。
結局、ほんのわずかな精神力の差が、勝敗を決してしまったようだ。

「す、すごいな、トカゲさん……」
騎士は笑う。だが地面の草をつかむ手は、かすかに震えていた。
「と、トカゲさん……鍛錬だっていうのに、本気出し過ぎだぜ……」
「こういった勝負で手を抜いてどうする」
トカゲは騎士に吐き捨て、そしてユリウスを向き、手を差し出す。

「来い、時計屋」

そう言われて応じられるわけがない。
「いや……その……だから、私は、どちらとも……」
これが女なら、喜んで勝者の胸に飛び込むのだろうが。
少し引き気味に身体を後ろにそらし、視線を虚空にさ迷わせていると、
「時計屋」
トカゲがこちらに歩いてきた。
「……ち、近寄るな!!」
認めたくはないが、声がわずかに震えてしまう。
懐から銃を取り出せばいい、と遅ればせながら気づき、手を動かしたが遅かった。
手首をつかまれ、振りほどこうにも、力の差があって振りはらえない。
「おい、離せ!!」
「おまえは大人しく俺に従っていればいい。行くぞ」
トカゲは無視して、ユリウスを引きずっていく。
――おい、さっきと言ってることがまるで逆ではないか!?
なおも抵抗していると、低い声が響いた。
ユリウスが動きを止めてしまうほど冷ややかな声で、
「それとも、この場で犯されたいか?騎士の前で」
「……っ!!」
いつだったか、トカゲがユリウスに『好いた男の前で犯す』というようなことを言った
悪夢を思い起こす。情事の際の戯れ言だと思っていたが、まさか……。
そしてニヤリと笑うトカゲ。
「いや、いっそのこと、その方がいいかもしれんな。見せつければ、そこのガキも、
これ以上おまえにつきまとうことは無くなるだろう」
「おい、トカゲ!!」
トカゲは、言葉の冷静さとは真逆に、笑みさえ浮かべ、こちらのタイに手を伸ばす。
ユリウスは爬虫類に睨まれた獲物のように、動けなかった。そのとき、

「ちょっと、待てよ……トカゲ、さん」

騎士の声がした。トカゲの動きを止める気迫を持った声が。

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