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■迷う者、迷わない者・下

甘い。
甘い何かが渇いた口の中を潤している。
喉を鳴らして飲み込み、ユリウスはもっと欲しくて口をわずかに開く。
するとすぐに甘い何かが唇の間から流し込まれる。
何かささやかれるが、よく聞き取れず、目を開ける気力もない。
ただ、温かい何かが自分を包みこんでいることだけは分かった。
ユリウスはまた口を開く。何かがまた流し込まれる。
それをゆっくりと味わってまた口を開くが、今度ははっきりした声が、
「ユリウス、まだ胃が回復してないから、このぐらいにしておこうぜ。さあ、寝て」
素直にうなずき、意識を落とす。暗闇は安らぎに満ちていた。

…………

ユリウスがゆっくり目を開けると、そこはテントの中だった。
「…………?」
起きようとしたが、身体が全く動かせない。目をさ迷わせるだけで精一杯だ。
どうもキャンプ用の簡易布団の中に寝かせられているらしい。
暖かい。
身体には、掛け布に加え、どこかからかき集めたような布が何枚も重ねられ、一番上に
赤いコートがかけられていた。
野外なのか、テントの外からは木々の葉が風にそよぐ音が聞こえる。
風の音、水のせせらぎ、鳥の歌。
どうやら外は雪ではないし、枯れ葉の音もしない。
かといって暑すぎもしないから、きっと春に連れてこられたのだろう。
ユリウスは時間をかけて重い布の山を脇にどかし、掛け布と赤いコートだけを
何とかかけ直す。
そして改めて辺りを見ると、枕元に半分かじられたリンゴが落ちているのが見えた。
誰かの食べかけだろうか。
他人の食べ残しなど、普段ならごめんだが、今はそうも言っていられない。
「…………」
腕を上げるが、鉄のナイフでもついているかのように重い。
だが身体は栄養を求めている。
ユリウスはほんのわずかな距離を、少しずつ手を動かし、やっとリンゴをつかんだ。
そしてまた労力をかけ、口元まで転がし、ついに顔に触れる距離に置くことが出来た。
芳醇な匂いに唾液がわきあがるのが分かる。
ユリウスはゆっくり口を開け、リンゴをかじろうとし、
「あーっ!ユリウス、ダメだって!」
大声に遮られた。さすがに驚いて動きを止めると、リンゴをいくつも両腕に抱えた
黒い服の騎士がテントの入り口に立っていた。騎士はすぐに両腕のリンゴを置き、
中に入ってくる。そしてユリウスの真横に膝でにじり寄ってきた。
そしてユリウスが苦労してつかんだリンゴを取り上げた。
「まだ胃が弱ってるんだ。無理に食べても吐き出すと思うぜ」
真顔で叱りつけられる。
だがもう少しで食べられると思っていたユリウスは不機嫌になった。
抗議の意思をこめて睨むと、彼は苦笑し、
「だから、俺があげるから」
そう言ってリンゴをかじった。そして口内でよく咀嚼する。
「!!」
彼が何をしようとしているか悟ったユリウスは身を強ばらせた。
だが腕一本ろくに動かせず抵抗出来るはずもない。
やがて騎士が横たわるユリウスの肩に手をかけ、抱き上げた。
そしてためらい一つなく、唇を合わせた。
「……っ」
開いた口の隙間から、かみ砕かれた生温いリンゴが流し込まれる。
気持ち悪い。
けれど甘い。
本能に理性が連れ去られ、気がつくと飲み干していた。
「はは。その調子。たくさん食べれば早く回復するぜ」
騎士はなおもリンゴをかじり、ユリウスに唇を重ねる。
いつしかユリウスは目を閉じて、騎士の給餌を受け入れていた。


もういいと首を振ると、騎士は笑って、リンゴの芯を数本、テントの外に放り捨てて
指を舐めた。そしてユリウスの掛け布を持ち上げ、真横に潜り込む。
――布団は二つあるから、そっちに寝ればいいだろう。
少し元気になった頭でそう考え、睨むと騎士は笑う。
「ユリウスって本当に目が離せないよなあ。誰かに感謝されるわけでもないのに、
あんな、ヘロヘロになるまで仕事に打ち込むんだからさ」
「…………」
褒められたくてやっているわけではない。だが声はまだ出ない。
騎士は手を伸ばし、ユリウスを抱き寄せる。
「トカゲさんは邪魔するなって言ったけど、無理にとどまって正解だったぜ」
――トカゲ?
反応が顔に出たのか。騎士は上機嫌に、
「そ、ユリウスの浮気相手。ユリウスの修理が終わるのを待ってたとき、何度も
会ったんだぜ?時計屋の邪魔をするなとか、おまえの出る幕はないとか言って、
何度も鍛錬につきあってくれたけど」
……ちょっと待て。
――ということはおまえ、私の部屋の前に居座っていたのか!?
メインに使われる通路ではないとはいえ、廊下のど真ん中に長いことテントを張られ
たびたび斬り合いまでされて、塔の者もさぞ迷惑だっただろう。
後でトカゲに詫びを入れに行かねば、と思うと頭が痛くなってくる。
「まあ、夢魔さんがまた行方不明になったみたいで、トカゲさんも、だんだん会いに
来てくれなくなっちゃったけど。ただ待つのも性に合わなくて辛かったんだぜ?」
なぜだか偉そうに言われた。
――芋虫はまた職場放棄か……。
夢魔の部下の奔走を想像し、思わず同情する。
次のサーカスも近いというのに、困った奴だ。
ゆるい季節になったというのに頭痛の種はつきない。
そして春の季節の騎士は、ユリウスの頭を撫でながら、
「ユリウスを引っ張り出した後がまた大変だったぜ。
俺はまだユリウスの部屋に入れないから、テントの中で介抱しようとしたら、
トカゲさんが仕事片づけて来ちゃってさ。塔の方で看病をするって、聞かないんだ。
仕方なく鍛錬で話し合うってことになって」
……賭けても良いが絶対に話し合いになっていない。
「で、ユリウスを春の領土まで連れてきたんだ。ああ、俺って一途だよなあ」
自分で言うか、とツッコみたくなることを言い、騎士はユリウスに軽く唇を重ねた。
――おい、何をする!
普段なら怒鳴り、抵抗するところだが、今はそんな体力さえ危うい。
それをいいことに、騎士はユリウスの身体に手を這わせていく。
――やめろ、騎士っ!
せめて視線に怒りをこめ、睨みつける。助けてくれたことは感謝するが、それと
これとは別だ。ユリウスの拒絶を知り、体力が低下しているのをいいことに自分の
欲求を満たそうとする。唾棄すべき最低の行為だ。
だが騎士は優しく微笑み、再び口づけてきた。そしてユリウスの服を少しずつ緩めながら、言った。
「ユリウスは俺に部下になってほしくないみたいだけどさ。
俺はユリウスが好きだから。ユリウスに無理して俺のこと好きになってくれなくて
いいと思ってるんだ」
「――っ!!」
いつもの手前勝手な言い分だ。
だが、この男は以前にも同じ事を言った記憶がある。
あのときも確かそう言ってユリウスを無理やり抱いた。
前の国の、さらに前の国の、トカゲのことはほとんど知らず、まだ三月ウサギとの
仲も良好だった頃のことだ。

――こいつは、あのときから何一つも変わってない……。

分かっていたつもりだが、改めて気づかされ、ユリウスは愕然とする。
芋虫が仕事を放棄し、トカゲが変心し、三月ウサギがマフィアになっても。
この男は言うことも、やることもいっそ清々しいほどに一貫し、変化も退化もない。
全力で言葉を投げても、あからさまに拒んでも、いっそ銃を向けても。
時が流れても、撃ち合いが起きても、人が行き交い、過ぎ去っても。
「俺は、変われないよ」
見透かしたように騎士が笑う。
その笑顔を見、ユリウスは自分の力が抜けていくのを感じた。
ユリウスの抵抗が完全に消えたと知り、騎士はユリウスの首筋を舐め、むき出しに
なった肌に手を這わせる。だがユリウスは動けずにいた。
与えられた滋養が徐々に身体に回り、愛撫に頭の芯が熱くなっても。
意識の内にあるのは壊れた騎士への恐れ。そして、一筋の希望。

――変わらないでいてくれるのだろうか。部下にしたいと望んでも……。


11/03/05

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