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■トカゲと騎士・上

トカゲは疲れ切った顔だったがユリウスを見ると力なく微笑む。
会うのは塔が襲撃されて以来だ。
「久しぶりだな、時計屋。傷の調子はどうだ?」
「ああ……大丈夫だ。その、おまえこそ平気か?」
「問題ない。おまえと同じで通常業務に戻っている」
「そうか……」
ついぎこちない態度になる。
あのときは、尋問と称した憂さ晴らしをされたが、同時に命を救われもした。
恨みつのるほどでもないが、素直に感謝することも出来ない。
どうにも微妙な心持ちだった。
「傷は治ったようだが、疲れた顔をしているな、トカゲ。本当に大丈夫か?」
「おまえもだろう、時計屋。鏡を見ていないのか?」
グレイの態度は変わりない。あのとき受けた傷もすでに治ったようだ。
「つまり、お互い忙しいことだな、トカゲ」
「ああ。商売繁盛だな」
「商売ではないだろう」
「はは。確かに」
笑いを交えつつ、社交辞令的なやりとりが続く。
ユリウスは本題に入ることにした。

「それで、あのときの襲撃の背景は分かったのか?」
ユリウスが内情を聞くと、グレイは簡単に教えてくれた。
「元凶は三月ウサギだな。今まで帽子屋に敵対する言動を散々取っていたが、なぜか
突然帽子屋に転向した。それに絡むゴタゴタで、先だっての抗争になったらしい」
「そうか……」
「最終的には三月ウサギが上手く部下たちを動かして、帽子屋が勝利したそうだが」
――ついに手下を使うレベルになったか……。
『実績』までついては、もはや名実ともに完璧なマフィアの幹部だ。
「塔への襲撃は帽子屋とは無関係だ。
混乱に便乗して他のファミリーの鉄砲玉どもが、名をあげるために乗り込んできた。
まあ、我々も普段から訓練していたから、最初の混乱がおさまったあとは、こちらの
独壇場だったがな。俺が指揮して全員鎮圧した」
「…………」
トカゲは負傷しながらも、己の責務を果たしたのに、自分は情けなく気絶していたわけだ。
「そういうわけだ。時計屋もドアを通って、無事に部屋に戻れたようで良かった」
「…………ああ」
なべて世は事も無し。狂ったウサギは狂ったまま、巣穴へ跳ねていってしまった。
グレイが煙草を取り出し、聞いてきた。
「どうした?浮かない顔をしているな。傷が残っているのか?」
「心配するな。どこも痛くはない」
「そうか」
グレイはそれきり追及しない。というか『傷』とは襲撃の際の傷のことか、『尋問』
でつけられた傷のことか。
だが夢魔の部下は本心を巧みに隠す。今も、内心では何を考えているのだか。

そこでユリウスは思い出し、聞いた。
「それで、芋虫……夢魔はどこにいるんだ?」
グレイはともかく夢魔には普通に恨みがある。塔の主がいるべきときにいれば
犠牲者も少なかっただろうし、自分の元に大量の時計が舞い込むこともなかった。
嫌味を山ほどぶつけてやる、と夢魔の部下を見ると、

「戻っていない。あれからずっとだ」

「…………」
さしものユリウスも言葉を失った。
「戻っていない?抗争のときからずっと!?」
驚くユリウスに、渋い顔でグレイはうなずく。
「今までこんなことはなかった。表向き、病状悪化による療養のためとしている。
まだ誰にも露見していないが、正直、何があったかと本当に心配している」
しかし夢は夢魔の領域で、引きずり出すのも手間がかかる。
事後処理で多忙を極める今の状況では、そんな時間は……とグレイは頭を抱えた。
困り果てる夢魔の部下を見ながら、ユリウスは考えていた。
あのタイミングで夢魔がいなくなったのは偶然なのだろうか。
――……最近、不穏なことが続くな。
いつか誰かが言っていた気がする。

『ウサギは惑い、騎士は迷い、時計屋は混ざる。
このところ、盤上に妙な空気が漂うな……』

そして今度は夢魔の長期不在。
ユリウスは窓の外を見た。
四季の訪れたクローバーの塔には、寒々しい雪が降りしきっていた。


「それじゃあな、トカゲ。落ちついたらどこかに飲みに行こう」
夢魔が不在ではここにいても仕方ない。
適当にあいさつし、出て行こうとすると、


「あの男は止めておけ、時計屋」


低い声がした。振り向くとグレイの黄の瞳がユリウスを見ていた。
「あの男?誰のことだ?」
「おまえが感動的な再会を果たした男のことだ」
「…………」
グレイは知っている。いつかの閨で、ユリウスは騎士の名を叫んでしまった。
こんな昼間に閨のことを言い出すのは決まり悪いが、ユリウスは弁解した。
「……なあ、あれはありふれた名前だと思わないか。なぜ同一人物だと分かる」
「おまえの話からろくな男ではなさそうだと思っていた。
だが名前を聞き、実物を見て、余計にそう思わされた。あの男だけは止めておけ」
ごまかしを完全に無視された。どうも騎士に会ったらしい。仕方なく、
「トカゲ。あいつのことを知っているのか?今まで会ったことは?」
グレイは首肯した。
「城とクローバーの塔なら何度も巡り会っている。壊滅的な迷子のあのガキは何度も
何度も塔に迷い込み……すまんが、あとは話したくない」
まあ、何があったかは想像に難くない。
「あいつは危険だ。一切の縁を絶った方がいい」
グレイはいつかのように真剣な表情だった。ユリウスは何か言おうとし、


「トカゲさん、俺のユリウスを勝手に口説かないでくれるかな?」

声がした。

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