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■クローバーの塔の混乱・下

「くっ!」
ユリウスは視力と聴力が回復するまで、ただ身を伏せて転がり、銃を乱射した。
何度か銃弾が頬や髪の毛をかすめ、背筋が寒くなったが、本能にまかせて逃げる。
――下へ、とにかく下へ走ろう。
隙を見て、勢いよく駆ける。
合間に気配を感じては撃ち、人影を見ては撃つ。

時折死体を踏み越え、爆破された床を飛び越え、走り続けた。
息が荒い、全身が痛くてたまらない。
元々疲労していた上に無理な行為を強要された後だ。
だが走らなくては死ぬ。
撃ち、走り、走り、撃つ。もう敵か味方か確認する余裕はない。相手も同じらしい。
味方同士撃ち合った死体がたまに目に入る。
――せめて夢魔が戻ってくれれば……。
ここ最近の仕事放棄には部外者のユリウスでさえ呆れている。
――ここまでひどい状態を放置するような奴ではなかった気がするが……。
物思いにふけっている時間も長く続かない。背後から撃たれ、銃弾が肩をかすめた。

「くそっ!」
ユリウスはやみくもに乱射し、無限に続く廊下を走る。
肺が空気を求め破裂しそうだ。足が引きつり、何度かもつれそうになった。
――出口は、出口はまだなのか?
だがクローバーの塔はあまりに広大で、自分がどこにいるのか把握出来ない。
ユリウスは散発的に撃ちながら塔の角を曲がり、そして、

――あ……。

最初に感じたのは熱だった。
何だか熱いなとやけに冷静に思う。
「この、×××がっ!」
気配を感じた方向へ撃った。手応えはあり銃声は止んだ。
そしてユリウスは壁にもたれ、素早く傷を確認する。
足だ。右腿の染みがみるみる広がっていく。
ほどなくして、靴の中にそれがしたたり、不快な液体の感触が広がった。
額に不快な汗が浮かぶ。
――速く止血しないと……。
動脈を撃たれたのならまずい。放置すると大変なことになる。
ユリウスは手近な布を包帯代わりに巻き、きつく縛る。だが血の勢いは止まらない。
その耳が、再び近づく銃声をとらえた。
――この場所から離れよう。もっと静かなところで――。
ユリウスは立ち上がり、そして崩れ落ちた。
「え……」
驚いて思わず出した声さえ、かすれていた。
――落ち着け、走りすぎて、その疲れが出ただけだ。
冷静になれと自分に言い聞かせ、ユリウスはやっとのことで立ち上がる。
磨かれた床には血で小さな水たまりが出来た。
それは見ないようにし、ユリウスは壁に手を当て身体を支え、歩き出した。
一歩踏み出すごとに突き刺すような痛みが走る。
――せめて、安全な場所に……。
手近な部屋をと思うが、こんなときに限ってどこにも見つからない。
息が乱れる。一歩一歩がじれったくなるほど小さい。
痛みで意識まで飛んでいきそうだ。
それなのに血は止まることなく、少しずつユリウスの体温を奪っていく。
――寒い……。
凍えそうなほどに空気を冷たく感じる。
だが今立ち止まったら、もう二度と動けない。そんな予感がした。
「っ!!」
真後ろで銃声がした。振り向きたくなかったが、ユリウスは緩慢に振り向いた。
数人の襲撃者がこちらを狙っていた。
どこの刺客か心当たりはないが、殺意だけは伝わってくる。
――ああ、間に合わないな、これは。
ユリウスの銃が手からこぼれ落ちた。堅い音が廊下に反響する。
きっと銃弾は残っていないだろう。
銃弾が尽きるのは命が尽きるとき。
寒い。目がかすむ。
ユリウスは壁にもたれたまま目を閉じた。

「時計屋っ!!」
叫びとともに悲鳴が聞こえた。自分ではなく襲撃者たちの悲鳴だった。

目を開けて見れば、全員が胸に短剣を生やしている。
「トカゲ……」
血相を変えて走り寄ってくるのは、グレイ=リングマークだった。
あちこち傷を負い、髪は乱れ、顔色も悪い。
「やはり、ナイトメア様がいないと俺も調子が悪いな。
ここまでの被害を出す前に、もっと警戒を――」
――は。トカゲの失敗か。私に関わっているからだ。いいざまだ。
だがグレイはユリウスを見ると、夢魔を叱るように怒鳴りつけた。
「この馬鹿が!出るなと言っておいただろう!!
引きこもりの時計屋が、なぜこんな非常時にだけ部屋を出るんだ!」
――余計なお世話だ。
そう言いたいが、喉からはかすれるような声しか出ない。
しかし荒事に長けた夢魔の部下は仕事が速い。
一目で患部を見抜くと、手早く包帯を巻き直して正しく止血し、最後に落ちていた
銃をユリウスに渡した。
「時計屋。おまえの命はまだ終わっていない。銃弾は残っている」
「…………」

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