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■帽子屋の陰謀・上

「あいつとの約束は守れなかったけど、あんたとの約束は守らなきゃな」
神妙な顔の三月ウサギに、ユリウスもうなずいた。
「その後はどうするんだ?犯人捜しは止めても、帽子屋は追ってくるぞ?」
「んー、最近は俺も同じ穴のむじなみたいになっちまったからな。
正直言って前ほどマフィアに抵抗はないんだ。
いろいろ暴れたせいで帽子屋に対抗してるファミリーからスカウトが来るように
なったし、あんたに時計を託したら、そっちに行こうと思ってる」
あれほどマフィアを嫌っていた男が今、マフィアになろうとしている。
皮肉を覚えたが、辛辣な物言いは避けることにした。
「そうか。まあ、がんばれ」
「ありがとな、時計屋さん」
そして三月ウサギはふところ手を入れた。
そしてゆっくりと壊れた時計を出した。

ひびの入ったガラス板、時を刻まない時針、そしてその時計の持つ『役』。
改めて観察して、見えたのはそれくらいだ。

だが三月ウサギの目には、きっと別のものが見えている。
彼は最後に祈るように時計を胸に抱き、向かって長いこと目を閉じていた。
「ごめんな」
そして顔を上げ、ゆっくりと時計を差し出した。
「時計屋さん。頼む」
「ああ」
ユリウスも手を伸ばし、その時計を取ろうとした。そのとき、
「っ!!」
考えるより早く、地面に身を伏せる。
間近で銃声が、耳を貫いた。

瞬時に静寂が訪れたのは聴覚が一時的に麻痺した証拠。
ユリウスは素早く身体を点検し、どこも撃たれていないことを確かめると、護身用の
スパナを銃に変え、体勢を立て直して構えた。
そう遅い動きではないはずだったが、三月ウサギはすでに数発、反撃を終えていた。

「どういうことだ、ブラッド……」
聴力が少しずつ戻り、三月ウサギの激怒の声が聞こえた。
彼は、今まで自分に向けていたものとは正反対の凶悪な目を木立に向ける。
そこに帽子屋ファミリーの長、ブラッド=デュプレが一人、立っていた。
「こんなときに邪魔しやがって!死ぬ覚悟は出来てるんだろうな!」
三月ウサギにとっては親友との、別れの儀式だ。
時計はまだ三月ウサギの手にある。
ブラッドは気だるげに肩をすくめ、銃を構える三月ウサギと――ユリウスを見た。
「やれやれ、未来の腹心は、つくづく時計屋が好きなようだな。
葬儀屋も、お強い後ろ盾を得て、三下など相手にする気にならなくなったか?」
クローバーの塔に頼り切っていることをつつかれ、ユリウスも苦い表情になる。
この帽子屋とは以前密約を交わした。だが時計隠しの件もあって、状況が変化した。
三月ウサギを帽子屋に引き渡すどころか、密約自体を忘れてそれきりになっていた。
まさか、それを根に持つ男ではないだろうが。
「好きなように言え。私はすぐに立ち去る。後は二人で勝手に話し合ってくれ」
三月ウサギはもう帽子屋と対等に話し合うことが出来る。
ユリウスが改めて手をのばすと、気勢を削がれた三月ウサギも気を取り直して
時計を差しだす。
ユリウスはそれを受け取ろうとし――
「時計を渡すのは少し待った方がいいぞ、エリオット」
帽子屋が冷たく言った。
「おまえの親友を殺した犯人が分かった」
三月ウサギが止まった。雰囲気が瞬時に変わり、凄まじい形相で怒鳴った。
「そんな、分かったのか!?本当にっ!?」
ユリウスも驚いていた。今さら真犯人が分かったとは。
「情報戦が売りなものでな。だが確証を得るまで時間がかかった。すまないな」
「ブラッド、いったい誰なんだ!?ぶっ殺してやる!!」
三月ウサギは吼えていた。
犯人などどうでもいいし、時計を早く受け取りたいユリウスだが、声をかけかね、
苛々して待っているしかなかった。
はやる三月ウサギを制止し、帽子屋はステッキを芝居がかった仕草で構える。
ユリウスは考え事に気を取られたまま、帽子屋の動きを見ていた。
そして次の瞬間、ユリウスの全ての思考が停止した。
帽子屋はステッキをユリウスに突きつけた。

「おまえの親友を殺した犯人はその男。時計屋だ」


「……は?」
蚊帳の外から突然引き込まれたユリウスは呆気に取られた。
帽子屋が本当に狂気の世界に飛び込んだのではないかとさえ、思った。
だが帽子屋は繰り返す。
「おまえの親友を殺した犯人はユリウスだ、エリオット」
三月ウサギも思考が追いつかなかったようだ。
耳をまっすぐに立て、帽子屋を凝視する。

「嘘をつけっ!!」
先に動いたのは三月ウサギだった。そして銃を撃つ。
暗い森に銃声が響き、息をひそめるように辺りが静まりかえる。
だが、見かけによらず素早いのか、帽子屋は無傷だった。
「嘘ではない。事実だ」
静かな声だ。
嘘偽りを言っている声ではないと、当のユリウスでさえ一瞬そう思った。
「奴の言っていることは全てでたらめだ、三月ウサギ、信じるな」
「当たり前だ、時計屋さん。こんな奴なんて信じられるか!」
ユリウスも銃を構え、帽子屋を狙う。
だがマフィアのボスは不敵に笑っているだけだった。

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