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■情事の後とウサギの自立

最近また『奴』の夢を見るようになった。

夢の中で二人は昼の草原に並んで座っている。
どういう経緯で引きこもりの自分が彼と草原にいたのか。
それすら思い出せないほど前の時間帯の夢だ。
赤いコートが風にはためき、笑顔の男が楽しそうに、どうでもいいことを話す。
自分は隣に座って本を読みながら適当に聞いている。
緑の草原、青い空、赤い自分、藍色の時計屋。
俺たちって目に痛いよなーと奴が笑い、痛いのはおまえだけだと返す。
彼はさらに笑い……それを見ている自分もきっと笑っている。

そんなたわいもない、どうでもいい夢。

――なぜ、急にあいつの夢を見るんだ……。
枕が硬いせいかもしれない。
ユリウスは寝具の中で不機嫌に目を開けた。すると、

「どうせなら、俺の夢でも見ていてほしかったな」

耳元で不機嫌そうな声が響いた。
ハッと横を見ると、目の前にグレイの顔があった。
そういえば情事の後だった。枕が硬いのも道理で、隣の男に腕枕をされていた。
「顔がにやけていたな。そういえば前にも同じことがあったな。
例の男の夢を見ていたんだろう。違うか?」
「……い、いや、その……」
体を離し、狼狽してボソボソ呟く。
グレイは枕にさせていた腕を引き、裸の上半身を少し起こす。
そして不機嫌な顔で煙草に火をつけた。
ユリウスは気まずい思いで枕に頭をうずめ、グレイを見上げる。
紫煙が鼻をくすぐる。トカゲのタトゥーが間近に見えた。
「せめて俺との情事の後くらいは俺のことだけ考えていて欲しいものだな」
「……別に、いいだろう。夢の内容にまで口出しされる謂われはない」
「ずいぶんとかばうんだな。まあいいさ」
グレイは舌打ちし、ベッド脇の灰皿で煙草をもみ消した。
そしてユリウスに圧しかかる。余韻覚めやらぬ肌に口付けられると、その箇所が熱を持った。
「ここは定番の台詞を言うべきか?……そんな男のことなど忘れさせてやる」
「はぁ……そんな文句は女にでも言えばいいだろう。泣いて喜ぶぞ」
「情緒の無い男だ。だがまあ、泣いて喜ばせてやってもいいぞ。
おまえが従順になるのなら」
「断固断る!」
だがグレイはしつこく絡む。
「それで、さっきの俺は前の男と比べてどうだった?」
グレイの方こそ情緒がない物言いをする。ユリウスは呆れた。
「ん……おまえの方が、いい、と、思う……気がする」
「歯切れが悪いな」
答えに不満があるようだ。
「あ……まあ、おまえはちゃんとベッドでしてくれるだろう。
あいつはいつも床や野外だったから背中が痛くてな」
苦しい言い訳をすると、グレイの目が剣呑な光を帯びる。

「時計屋、そいつとは絶対に別れろ」
「は?」
グレイを見ると、大まじめな顔だった。
「恋人に苦痛を強いるなんてろくな男じゃない。だいたい野外だと?
どんな特殊嗜好なんだ。そんな変態とは別れたほうがいい!」
恋人との別れを迫る……というより、変な男に引っかかった子を案ずる父の声だ。
しかし言われなくとも、ろくな男ではないのは身に染みて知っている。自分の下で
働きながら、物のように乱暴に抱き、かと思うと猫のようにすりよって甘えてくる。
耳元で愛を囁きながら、同じ笑顔で、いつか殺すよと宣言する。
そんな最低な男だった。

「今だけは忘れさせてやる……時計屋……」
唇が重ねられ、再びベッドに沈められる。
武骨な手が肌を這い回り、抵抗の声はほどなく喘ぎ声に変わる。
それでも、そんな行為の後でも、自分はまた奴の夢を見てしまうのだろう。

夢魔の笑い声が聞こえてくるようだった。

…………

…………

「結局、なにも分からないまま、か」
「ああ、すまないな」
三月ウサギは木の根元にもたれ、うなだれている。
ユリウスは三月ウサギと『捜査会議』を行っていた。
「時間帯も経っているし、もう出来る事は何もない。すまないな」
「そうか……」
ユリウスは、三月ウサギが時計を渡さないのではないかと懸念した。
だが、再び顔を上げたとき、三月ウサギはどこかすっきりした顔をしていた。

「謝る必要はないぜ。本当は、新しい情報が出ないってことは分かってた。
俺は馬鹿だけど、少なくともあんたよりは裏の世界に詳しい。
身軽になってから帽子屋や他のファミリーの奴らとやりあったり、やりあわせたり、
拷問したりして、一人で情報集めてたんだ」
サラリと言われた台詞に、ユリウスは言葉を失った。
――『やりあったり、やりあわせたり、拷問したり』……?
対象はマフィアだ。口で言うほど簡単に出来る所行ではない。
三月ウサギはこちらの表情から察したのか、得意そうに笑い、
「まあ、そこらへんはいろいろな。俺が暴れたってのが一番大きかったけどな」
「お前……そんな危険な橋を渡る男だったのか?」
そのつもりはなかったが、三月ウサギは褒め言葉と受け取ったらしい。
「俺も色々吹っ切れてさ。マフィアと喧嘩なんてとんでもねえって思ってたけど、
やってみれば、結構出来るもんなんだな。
銃弾が頭かすめたり、何度も死にかけたりしたけど、なかなか面白かったぜ」
呆れ果てた。普通に考えればありえないことだ。だが三月ウサギは『役持ち』だ。
特権階級のその力は、銃弾を弾く剣士のように、時として想像を超える。
だから奇跡的に死線を越えずにすんだのかもしれない。同時にユリウスは気づいた。
「ちょっと待て。最近、仕事が増えたと思ったら、おまえのしわざだったのかっ!?」
少し前のことだが、抗争ごとが増えたとトカゲが愚痴っていた。
実際、ユリウスのもとに舞い込む時計も増えていた。
「……悪ぃ。裏の連中と大立ち回りして、誰も殺さないなんて無理だろ?」
頭をかき、悪びれもせず笑った。
あれだけ大量の壊れた時計を生産して、堂々と時計屋と話していたとは。
前の国で会ったときは帽子屋から逃げ回る小悪党のような雰囲気があったが、
今は良くも悪くも度胸がつき、『マフィアらしさ』が増している気がする。
エリオット=マーチはどこか落ち着いた優しい目で、時計屋を見た。
「何か、あんたと話してるうちに、だんだん踏ん切りがついてきた。
犯人が生きてたら今でも殺してやりたいけど、『あいつ』の役もちゃんと引き継いで
やらないとな」
「そうか。それは良かった」
心の整理がついたというやつか。
もうユリウスが頼られることは二度とないだろう。
なぜか胸の内に寂しい風が吹くのをユリウスは感じた。

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