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■トカゲの執着・下

まっすぐ自分に向けられる銃口を、トカゲの補佐官は哀しそうに見つめる。
だがユリウスは冷たく、
「分かっているな。ここは私の領土だ。この前のように力ずくで押せると思うな」
「そうだな。この空間ではおまえに敵はない。俺も、先は馬鹿な真似をした」
殊勝に言われたところで、ユリウスは何も感じない。夢魔の部下は、なおも続ける。
「少し、やせたな。運んだ食事も、また食べなくなったと聞いた」
「仕事の最中は寝食を忘れてしまうんだ。自愛するようにはしている」
「せめて食事だけでも見てやりたいが、こちらも街の抗争が増えていてな……」
トカゲは苦笑する。欲望の混ざらない普通の笑いに見えた。

「私に構わなくていい。おまえは自分の仕事だけしていろ」
煙草の量も増えているのだろう。
不快な臭気が濃くなり、黄の瞳は眼精疲労なのか、やや充血している。
「かもしれんな。仕事が増えたせいか、最近ナイトメア様が夢に逃げてしまわれる
回数が増えた。だが俺がしっかりしなければ部下の士気まで下がってしまう」
それでも彼はユリウスに笑いかける。執着も欲望は徐々に色を薄めていた。
――落ちついてきたか?
まだ警戒は解けないが、ユリウスは、銃をスパナに戻し、ふところにしまった。
そして静かにトカゲの手をはらい、棚に向かうと、愛用の珈琲セットを取り出した。
「時計屋?」
「ま、まだ仕事を続けるのなら、眠気覚ましに珈琲くらい淹れてやってもいい」
「時計屋、おまえ……」
気まずくてグレイの顔を見られない。そして戸棚の珈琲豆を取り出そうとする。
「時計屋、いい。おまえだって仕事だろう」
「わ、私も休憩時間なんだ……」
だがグレイは申し訳なさそうな声で、
「時計屋、すまない。あんなことをした俺に、おまえは本当に――」
ユリウスは珈琲豆の袋を取り出すと、振り返ってグレイを見た。
「その、お互い休息は必要だ。別に、おまえが心配なわけではないからな」
「すまない。時計屋。おまえは……」
グレイは真摯な瞳で、

「おまえは、本当にお人好しだな」

「っ!!」
珈琲豆の袋が床に落ちて中身がこぼれる。だが頓着している暇はなかった。
グレイが自分を抱きしめ、強引に唇を重ねてきた。一瞬のことだった。
「ん……んん……ん……!」
もがき、抵抗し、何とかふりほどこうとするがグレイの力は強い。
舌を入れられ、口内を荒らされる。だが噛みつく間もなく、グレイが顔を離す。
「油断しすぎだ。自分に強要した男を追い出さない奴がどこにいる」
「それは……おまえが夢魔を追ってきたから……」
「ああ。タイミングを読ませてもらった。
おまえがナイトメア様に気を取られている間なら部屋に入れると踏んでな」
とんでもない言葉に耳を疑う。
「……まさか!夢魔が協力したのか?部下と時計屋の逢い引きを!?」
否定の言葉を待った。だがグレイは首肯する。
「十時間帯の就労免除と引き替えにな。その前にたまった仕事を片付けていただき
たかったが、どうしても夢の世界に逃避なさりたいようだ」
だまされた。策略に縁がない男だと勝手に思っていたが、この男はクローバーの塔の
実質的なナンバー2だ。
引きこもりの時計屋の部屋に入ることなど、奸計の内にも入らないのだろう。
怒りに言葉が見つからないでいると、
「それで、俺を撃てるか?」
「――っ!」
夢魔との会話も聞かれていたらしい。
ユリウスが答えられずにいると、彼は苦笑し、
「本当に、申し訳なくなるほどのお人好しだな。だから、いいようにつけこまれる」
「…………」
グレイの言葉は率直な感想だったのだろうがユリウスの胸をえぐった。
だが傷ついている暇もなく、
「おい、何をする!」
ユリウスの動きが鈍った隙に、グレイがネクタイを外し、こちらの手首を縛った。
「姑息な手を使ってしまったが、おまえを傷つけるのは本意では無いし俺も忙しい」
そう言って、縛った手首を持ち、床にユリウスを引き倒した。
固い床が背に当たる感触はずいぶんと久しい気がした。
「トカゲ、一番消耗しない方法がある。何もせずおまえが部屋を立ち去ることだ」
かろうじてそれだけ言ってみるが、
「そうすれば、おまえは永久に俺を部屋に入れないだろうな」
グレイはコートを脱ぎ、ユリウスにのしかかりながら笑う。

「だから、二度と俺を拒めないようにさせてもらう」

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