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■拒絶・上

「恋人と引き離されて体が寂しいだろう、時計屋?俺に代わりをさせてくれ」

そう言われて感じたのは、怒り以外の何物でもなかった。

「馬鹿にするなっ!」
ユリウスは衝動のまま、力の限りにもがき、グレイの腕を跳ね除けた。
「時計屋っ!」
自分にかかる体重がわずかに軽減し、ユリウスは横に転がるようにして、グレイの
下から逃れた。そしてベッドから古びた木の床に飛び降り、走った。
平時ならグレイに負けていた。それくらい力量の差は歴然としている。
だが自分は悪酔いも回復してきた。逆に今は、グレイの方が酔っている。
力はかなわなくとも、逃げ切ることくらい出来るはずだ。
そう思い、一直線に宿の扉に向かい、扉に手をかけ――
「っ!!」
「時計屋」

後ろから強く抱きしめられる。気配も足音もなかった。

首筋に顔を埋め、グレイは切なそうに息をつく。酒と煙草の臭気が鼻につく。
「やはり……俺では駄目か?代わりでも駄目なのか?」
「く……離せっ!」
だが腰に回された手は、いくらもがいても動かない。
ユリウスは身体をよじり、身体だけどうにか反転させ、抱きしめられたままグレイと
向かいあう。あの鋭い黄の瞳と、蜥蜴のタトゥーが間近に見えた。
ユリウスはわざとらしく舌打ちする。目をそらしたら負けだ。
「失望したぞ、トカゲ。お前はもっと気骨のある男だと思っていた。
それが別の男の代わりで良いだの、嫌がる相手に暴行まがいの手段に出るだの。
こんなにも女々しいとは思わなかった。心底から失望したぞ」
なるべく冷静を装い、ため息をつく真似までする。
理性に訴えればトカゲも正気に戻るかもしれない、と思ってのことだ。
「時計屋……」
グレイは思ったとおり、こたえたようだ。腕は放さないものの、黙りこむ。


沈黙が室内に落ちた。外は宵も盛り。街の喧騒が流れ込む。
「!」
ふいに、室内の照明が数回明滅して消えた。安物の機材が壊れたようだ。
安宿の室内は一瞬だけ暗闇に包まれ、繁華街の光が暗く差し込む。
そしてグレイとユリウスの長い影を床に落とした。

…………

どれだけ経っただろうか。やがてグレイは恥じたようにユリウスから手を放す。
「そうだな、どうかしていた。無理強いなど男のすることではないな」
「理解してくれて助かる」
ユリウスは内心胸を撫で下ろした。
まだ油断は出来ないが、出来るだけ早く帰りたい。
ユリウスはやや焦りながら言葉をつむいだ。
「トカゲ、今夜のことはお互いに忘れよう。お前は酔っていたんだ」
告白や、それに付随する発言は、全て酔いの上の戯言として忘れる。
そんな意味をこめ、ぎこちなくユリウスは微笑んだ。だが、

「……忘れる?」

グレイの身にまとう空気が、変わった。

「それは……俺に永久に機会がないということか?お前を想いながら虚しく引越しの
時期を待ち、恋人と感動の再会をするのを見ていろと?」
まだ酔いが残っているのだろうか。グレイが妙に絡み出した。
「おまえは誤解している。あいつとはそんな関係ではない」
「誤解だと?なら、その男と勘違いし、俺に口づけたのは何なんだ」
「それは……」
自分でも説明のつけようがない。
それに分かるように説明するとなると、出会いから話さなくてはならない。
「……とにかく、おまえになびく気はカケラもない。女を探せ。お前に尽くす女など
掃いて捨てるほどいるはずだ。私は男で、つまらない時計屋で……」

「くそぉっ!」
ふいにグレイが叫んだ。

ユリウスも思わずたじろぐ怒声。外の喧騒さえ一瞬静まった気がした。
グレイはこぶしを震わせ、内なる衝動と戦っているようだった。
「トカゲ、少し横になれ。酔っているんだ。な?」
なだめるように言うが、グレイの目は、酔いが完全に覚めている。
自分を見つめる、あまりにも鋭利な眼差し。そして彼は静かに言った。
「俺もお前も、お互い表の顔を装いすぎるな」
「そうか?別に私は表の顔を装っては――」
「いや。俺はお前に良いところを見せようと理性的に振る舞おうとしすぎた。
お前はお前で自分自身の淫らな欲望を押し込め、貞淑な恋人を演じようとしている」
「――っ」
反論しようとした。だが、すでにグレイは酔いから回復している。
振り上げた手はグレイにアッサリ押さえられた。
そして、そのまま手を引き寄せられ、強引に唇を重ねられた。

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