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■宵待ち・下

グレイは煙草を吸い、膝に乗せた雑誌をめくり、声をはずませた。
「時計屋、次はこの店はどうだ?子牛のステーキが絶品らしい。
酒も素晴らしい味だそうで――」
「…………何でもいい」
事態は悪化の一途を辿っている。
部屋に入り浸っていたころの方がまだマシだった……。

今や夢魔の部下はユリウスの専属護衛と化していた。
ユリウスが外に出歩くと分かると、有能な彼はナイトメアを脅してでも時間を
調整して無理やり同行する。
恨みを買いやすい時計屋が外に出ればたいていは襲撃にあう。
そして襲撃があった後は、礼として夕食を共にするのが習慣となっていた。
……さすがに費用もあって、食事代は折半になっているが。
もっとも高級店に全く知識がないことはすでにバレている。
よって店選びは夢魔の部下の担当となった。
夢魔の部下は最初から食事が目的ではないかと思うほど、出かける前の店選びに
余念が無い。見ていて本当に楽しそうだった。
――それはそうだろうな……。
ユリウスはひねくれたことを考える。
時計屋と外に出れば刺客相手に身体を動かし、高級店で高級酒が飲め、気に食わない
時計屋の醜態を楽しみ、さらに日ごろの不満を徹底的に愚痴ることまで出来る。
ストレスで倒れそうな夢魔の部下にとって、これ以上のフルコースはないだろう。
おかげで仕事も前以上に順調との評判。
塔の者に会ったとき礼を言われる始末だった。
だがユリウスは彼らの快適な職場空間の犠牲になっている。
金輪際行きたくないとおもう。
なのに、夢魔の部下が嬉々として料理店に行くのを止められない。
煙草の煙害よりいいか、と自分を納得させるしかなかった……。
「やはりお前と食べるなら夜だな。次の宵が待ち遠しい」
作業室の窓から夕刻の空を見上げる夢魔の部下は、どこか子どものように見えた。

…………

…………

「それでな、時計屋」
「ああ」
ユリウスは時計を修理する。
国が変わり、それなりに時が過ぎた。
時間帯は意外にも平凡に流れている。
護衛に同行されるのも、帰りに高級店に寄るのも愚痴につき合わせられるのも
相変わらずだった。だがユリウスの方も慣れてきた。
引きこもりの身で、美食には縁がなかったし、マナーを教えてもらえるのは確かに
ありがたいことだった。会話もそれなりに弾むようになってきた。

ユリウスは時計修理をしながら言う。
「トカゲ、お前もずいぶん笑うようになったものだな」
最近、夢魔の部下は愚痴も減り、ユリウスに笑顔を見せることが増えた。
そう言うと夢魔の部下は、高級料理店の特集雑誌から顔を上げた。
「それはお前だろう、時計屋。初めて会ったときは、お前がこんなに喜怒哀楽が
豊かだと思いもしなかった」
「な……っ」
意外なことを言われ、思わず目を上げる。
すると夢魔の部下は少し面白そうにニヤっと笑い、
「ほら、今も顔が赤くなったぞ。
無愛想で図体はデカいのに、そういうところがとても、かわ――」
そこで言葉を止める。言いかけた言葉を自分の中で吟味している風だった。
「とても、かわ……なんだ?かわってる?いや、かわいそう?…か?」
だが夢魔の部下は続けず、どこか戸惑った顔で立ち上がった。
「で、では、そろそろ出発するか」
「ああ」
まあどうせろくな評価ではないだろう。ユリウスも追及はしない。
しかし自分の仕事なのに、何故夢魔の部下がリードする形になっているのだろうと、
ユリウスは内心首をかしげた。
夢魔の部下は、珍しくぼんやりしているようだった。
何かブツブツ言い、時折ユリウスをじっと見る。
だがユリウスが見返すと、慌てて目をそらす。
――変な奴だな。
ユリウスはそれしか思わなかった。

…………

「き、気持ち悪い……」
夜風に打たれ、ユリウスはよろめいた。
「大丈夫か?時計屋」
「ああ……」
今は夢魔の部下に肩を貸してもらってやっと歩いている状態だった。
「本当にすまない。今回は大外れだな。あんな粗悪酒を客に出すなど……」
ユリウスの腕をつかみ、体を崩れないよう支えながら夢魔の部下が詫びる。

いつものように外の用事をすませ、襲撃から守ってもらい、夢魔の部下の選んだ店に
足を運んだ。
だが、その店は料理も期待はずれだったが、それ以上に酒がひどかった。
倉庫の奥の、保存の悪い安物を出してきたらしい。
恐ろしくマズい上、酸味が強かった。
ユリウスはこんな味だろうと勝手に飲み進めたため、すぐ気分が悪くなった。
夢魔の部下は別の酒を頼んでいたため、ユリウスの酒が腐りかけていると気づくのに
遅れた。店側は平身低頭だったが、夢魔の部下はユリウスを優先し、次は営業停止に
すると厳重注意に留めて店を出た。
「本当にすまなかった……すまない、時計屋」
夢魔の部下は何度も何度もわびる。
「あ、ああ、いいんだ……だが、塔まで、持つか……?お前も……仕事が……」
「そうだな。だが、正直言うと、重いお前を塔まで運ぶのは厳しいな」
塔から近いとはいえ、ユリウスは長身で、今はほとんど足に力が入らない。
屈強な夢魔の部下も塔まで運ぶのはあきらめたようだ。
「クローバーの塔には後で使いを出す。とりあえず、どこかで横になろう」
「す、すまん……」
「気にするな。お前に責任は無い」

確かにそうだが、苦手な男に気遣われ、これ以上にない最悪の気分だった。

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