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■宵待ち・中

「時計屋、食事を――出かけるのか?」
食事を運んできたのだろうか。トレイを持った夢魔の部下は、眉をひそめた。
ユリウスはコートを着、拳銃を懐にしまっていた。
「『外出届』ならちゃんと出したぞ。
もっとも芋……蓑虫が逃げ回って決裁書類の山脈の中に埋もれているようだがな」
皮肉気に笑うと、蜥蜴の補佐官は苦虫を噛み潰した顔になった。
「早急に護衛の手配をする。半時間帯ほど待て」
「必要ないし時間が無い。仕事での急用だ。数時間帯で戻る」
素っ気無く告げ、夢魔の部下の横を通り過ぎようとしたとき、
「――離せ」
腕をつかまれた。
「時計屋。一人で出歩くな。護衛をつける」
「必要ない。子どもではないんだ」
だが手を振り払って行こうとすると、夢魔の部下が言った。
「俺が行く」
「は?」
夢魔の部下は食事を作業台に置き、己のナイフを確認するとユリウスに向き直る。
「俺がおまえの護衛をする」
「気は確かか?お前には仕事があるだろう。役持ちの護衛をする暇はないはずだ」
「領主クラスの護衛だ。優先順位はこちらの方が高い。
それに、どうせナイトメア様が極限まで仕事を滞らせているのだ」
今さら数時間帯遅らせたところで変わるまいよ、と夢魔の部下は笑った。

…………

「かなりかかったな」
夢魔の部下は建物の壁にもたれ、ナイフについた赤をぬぐいながら言う。
時間帯は何度か変わり、すでに夜になっていた。
もう帰還予定の時間帯を大幅にすぎている。
ユリウスはぼんやりとかたわらの男を見やった。

夢魔の部下は確かに優秀な護衛だった。
同行して仕事に絡む銃撃戦を制圧、帰り際には刺客を蹴散らしユリウスには傷一つ
つけなかった。それでいて自身は疲労した様子も無い。
「その……ト、トカゲ。すまなかった。予定を狂わせてしまったな」
ねぎらうと、彼は声を上げて笑った。
「今さらかまわないさ。俺だってたまにはサボってナイトメア様を慌てさせたいと
思っていたんだ。それに、久しぶりに暴れることが出来て、いい運動になった」
あながち気遣いだけでもなさそうだった。
敵に大立ち回りを演ずる夢魔の部下は、確かに活き活きしていた。
「後で護衛代を払おう。それくらいの金は手元にある」
「必要ない。お前はクローバーの塔の客人だからな。護衛は当然のことだ」
「だが……」
なおも言いよどむ。時計修理の経費や食事代は支払っている。
誰かに貸しを作るのが正直言って落ち着かない。
そんなユリウスの内心が表に出たのだろうか。
夢魔の部下はふと思案する顔になり、
「ふむ……それなら、酒でもおごってくれないか?」
「酒?」
「ああ、いつもはお互い塔の食事ばかりで嗜好品とは無縁だからな。
たまには飲まないか?それで貸し借りは無しにしよう」
「そうか。なら料理店でも入るか」
「そうだな。ちょうどあそこに良さそうな店がある」
夢魔の部下は目につく場所にあった高級料理店を指し、ユリウスもうなずく。
が、ユリウスは内心別の焦りにかられた。
酒ならもちろん嫌いではない。
……だが引きこもりのユリウスが、高級店のマナーなど知るはずもなかった。

…………

「……え、ええと、こ、このナイフか?」
「違う。それはラム肉用だ。こっちのを使って切り分けるんだ。
あと、音を立てて皿に置くな」
「分かった……」
ユリウスは冷や汗をかいていた。
注文方法、食事のマナー、何一つ知識が無い。
いや、ゼロというわけでもないが実際に――それも苦手な男の前でスムーズに実演
するなどほとんど不可能だった。
つっかえつっかえ苦笑気味のウェイターに注文し、半ば教わりながら食事を進める。
デザートが出るころにはユリウスは明らかに疲労困憊していた。
「……いい夜だな」
対する夢魔の部下は高価なワインを飲みながら心底くつろいでいるようだった。
何しろ昔遊んでいたらしい上に、ナイトメアの補佐として、有力者との会談や接待の
機会も多いと聞く。夢魔の部下は、この手の店にはめっぽう詳しかった。
……そして機嫌が良い。
ユリウスにメニューを説明し、酒の解説をし、食べ方をレクチャーし、マナーを
指摘する。その過程でどんどん上機嫌になっていった。
おそらく時計屋の無様な姿がさぞ快感だったのだろう。
ユリウスは一刻も早く、居心地のいい自室で一人になりたかった。
夢魔の部下は笑いながら(!)高級酒を飲み干す。
「酒は美味いし、お前とたくさん話も出来た。
今夜は本当に楽しかったよ、時計屋。また二人で食べに行こう」
「……機会があったらな」
もちろん二度とごめんだ。

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