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■宵待ち・上

――何故、こんなことになったんだ……。
いつもの通り、作業室で時計の修理をしながら、ユリウスは思っていた。
「それでな、時計屋」
「あ、ああ……」
ユリウスが修理する横で、煙草をふかす男がいる。
「ひどいと思わないか。決裁が終わった書類に吐血され、全てやり直しだ。
それなのに過労を強いるおまえたちのせいだと仰る。全くあの方は……」
「ああ……」
こちらが答えようと答えまいと、かまわずに話し続ける。
灰皿の吸い殻が山脈をなそうと関係ない。
「私は仕事中だ。早く帰れ!」
肺を病みそうな煙害に、ついにキレて立ち上がる。
「ああ、すまないな。これで終わりにしよう。それでナイトメア様と来たら……」
「…………」
軽く流され、新しい煙草に火がつけられる。
ユリウスは無言でグレイ=リングマークを睨むことしか出来なかった。
――何で私はトカゲの愚痴に付き合わされているんだ……。
ここ最近、夢魔の部下はユリウスの作業場に入り浸るようになっていた。

…………

夢魔の部下が入り浸ることになったきっかけは食事だ。
ユリウスの食事を運びに部屋を訪れたからだ。
関係が多少改善されたとはいえ、最初のうちは夢魔の部下たる彼は、ユリウスに
よそよそしかった
ユリウスもユリウスで、賓客扱いになろうと、今さら愛想よくする気はない。
金額を要する事柄には対価を払っているし、定期的に感謝の意も伝えている。
だが仕事に集中しているときは運ばれた食事に手をつけない。
素っ気無い時計屋の態度に、クローバーの塔の者たちは困っている風だった。
だが意見しようにも役無しは役持ちに強く出られない。
ここまではユリウスの思惑通りだった。
いずれは諦めて『余計なお節介』からは手を引いてもらえるものと思っていた。
だが――

『時計屋、食事くらい取れ』
『…………っ!!』
ある時間帯、食事のトレイを持った夢魔の部下が無表情で扉の前に立っていた。

自身も激務だろうに、時間の合間を縫ってやってきたようだ。
そして、いくらユリウスが渋面になろうと相手にせず、無言で待っている。
その気まずさたるや拷問に等しく、渋々ユリウスは食事を取った。
……が、それが災いした。
作戦が功を奏したと思われたのか、食事のたびに夢魔の部下が来るようになった。
しかも、効率を考えてか、次第に自分の食事まで持ち込むようになった。しかし、
『…………』
『…………』
両者、やはり終始無言。
他人と一緒の空間にいるだけでも苦痛なのに、何故苦手な相手と沈黙しながら
食事をしなければいけないのだろう。
夢魔の部下も同じだったようだ。
ユリウスが食事を取ったことを確認すると、二言三言の会話をお義理程度に交わし
さっさと帰っていった。
彼が立ち去った後、緊張感からの解放に、ユリウスは脱力して椅子に持たれたものだ。
……だが、即座に立ち去る分まだマシだったと、すぐに思い知らされることになった。


『ナイトメア様がまた医者の予約をすっぽかされてな……』
『いきなりメカジキが食べたいと無茶なことを仰って……』
『巨大なご自分の銅像を製作しろと呆れたことを……』
最初のうち、言葉少なだったグレイは徐々に饒舌になっていった。
煙草をふかし、延々延々延々と夢魔の愚痴を吐く。
ユリウスが嫌々応じていると、なぜか訪問の頻度が高まってきた。
そして、段々と夢魔の部下は入り浸るようになっていった。
夢魔の愚痴、仕事の疲労、胃痛の訴え、その他いろいろ。
『仕事の邪魔だ、帰れ!』
『すまない。すぐに退散しよう』
と、強く言って、すぐ出て行くうちはまだ良かった。
『お前につきあっている暇はない、出て行け!』
『そうだな。この煙草を吸い終わったら、帰ろう。それでさっきの続きだが……』
ユリウスの素っ気無い対応に、向こうが先に慣れてしまった。
怒鳴ろうが嫌味を言おうが軽く流し、理由をつけて居座る。

遠まわしに『帰ってほしい』と表明するためユリウスは仕事を始めることにした。
これはなかなか有効だった。さすがに夢魔の部下も帰ってくれた。
しかし、それも束の間の勝利に終わった。
『時計修理というのは陰惨な仕事だと思っていたが、なかなか興味深いな』
精密作業を長々と眺めては時計屋の仕事について色々と質問する。
『本当に見事な手つきだな。さすが本職だ。それで、その部品は何なんだ?』
感心した風にユリウスの手つきを見ては賞賛する。
『そうなのか、お前はすごいな。それに比べ、うちのご領主さまと来たら……』
そして、やはり愚痴る。
――ここは、お前のガス抜き場ではないんだが……。
ろくに仕事もしない他の領土の連中と違い、クローバーの塔は多忙だ。
しかも上司がアレでは、抱えたストレスも尋常ではないだろう。
どうもユリウスに鬱憤を吐くのが、夢魔の部下のストレス解消法になったようだ。
最初は食事やら資材の注文やら理由をつけて。
しかしそのうちに言い訳が尽きたのか、
『時計屋、少し休ませてくれ』
開き直って、理由が無くとも立ち寄るようになった。
どれだけ出て行くように言っても聞く気配がない。
……迷惑なことこの上ない。
だがユリウスも、はた迷惑な相手を不思議と追い返せなくなっている。
今では逆にユリウスの方がストレスで胃がやられそうだった。
――そのうち副流煙で胃どころか肺までやられそうだな……。
相変わらず押しに弱い自分を呪うしかなかった。

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