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■助けられた話

流れる赤が止まらない。
ユリウスは服を液体で染め、クローバーの塔への帰路を進む。
傷口を押さえる手にも赤が滲み、こぼれた液体が路上に跡を作る。
だが道行く顔なしたちは、日常風景とばかりに横を素通りする。
稀に役持ちと気づいてか近づいてくる者もいたが、ユリウスが時計屋と分かると
すぐに去っていく。
ユリウスは一人だった。

…………

クローバーの塔に来てほどなく、ユリウスは困ったことになった。
時計を持って逃げた愚か者が出たのだ。
残像ではこういった時計を回収できない。
こういった仕事は、いつも騎士にやらせていた。
だが当然のことながら騎士は不在だ。ユリウスと居室のみが引っ越すという迷惑な
引越しのおかげで、手駒も使えなくなってしまった。
最近は騎士に頼っていたせいで、今の新しい国に使える人材はない。

そしてクローバーの塔とは、あれ以来、話し合いの場を設けていない。
脆弱な夢魔は日課のように血を吐き、補佐官はそのフォローに追われているらしい。
いつまでも時計塔のような野心も何もない極小勢力に構ってはいられない。
しかしユリウスはむしろその状況を歓迎した。
ちっぽけな葬儀屋が、彼らの視界に入らないのはありがたいことだ。
……しかし永遠に一人を楽しんでもいられない。
忌み嫌われる時計屋となれば、新しい手駒を集めるのにも時間がかかる。
クローバーの塔周辺は治安が良いだけに働き口も多く、わざわざ時計に関わる仕事を
したがる者はいない。
つまり、ユリウスが直接回収に赴く他はなかった。
そして不慣れな追跡の後、逃げた役無しをどうにか追い詰め、銃撃戦となった。
何とか壊れた時計を回収したが、負傷してかなりの傷を負った。

…………

ユリウスはゆっくりと歩き、冷たい汗を流しながら冷静に試算する。
液体は止まらないものの、今は致死量というほどではない。
作業室までは持つだろう。
巨大なクローバーの塔はもう視界に入っている。
ユリウスは緩慢に歩を進め、近道を通るべく路地裏に入った。
そのとき、
「葬儀屋だ……」
「時計屋が来てるって本当だったんだな」
ふいに十人ほどに囲まれた。

ユリウスはうつむきがちだった顔を上げる。
別段、これといって目を引くものの無い顔なしたちだ。
マフィアやチンピラといった類ではない。どこにでもいる、街の老若男女。
だがユリウスに彼らへの関心はなくとも、向こうにはあるらしい。
「彼女の時計を治しやがって……」
「私のあの子の時計は、安らかに止めておいてほしかった……」
それぞれに勝手なことを言い放ち、銃を向ける。
路地裏にはほかに人通りがない。だがこれが表通りだとしても助からないだろう。
よくある風景だ。撃つのも撃たれるの。
引っ越しで引き離された相手に、永久にめぐり合えないことも。
ユリウスは息を吐き、赤いものが流れる箇所を見る。
この量だ。
再度の銃撃戦で時間を取られれば、例え急場をしのいでも手遅れになる。
「…………」
銃を向ける者たちは、静かに指に力をこめる。
ユリウスの脳裏に青空のような笑顔がよぎる。
彼は、新しい時計屋の下でも働くのだろうか……。

突然、何かが目の前をよぎった。

連想するのは鮮血のような騎士。
――騎士!?
そんな、ありえない。
引越しで分かたれた領土は次のめぐりあわせまでつながることはない。
かすんでいくユリウスの目に、黒い影がうつった。
それが顔なしたちをなぎはらい、赤が飛んでいく。
そして黒い影が風のように動き、またも赤が飛ぶ。
もう赤なのか、黒なのか。
そんな思考さえあやふやになっていく。
「時計屋、無事か!?」
黒い影がこちらを向き、声がする。
きっと騎士だ。
だが騎士は自分のことを『時計屋』などと呼んだだろうか。
もうどうでもいい。
また会えた。会ってしまったのか。
何かが胸を満たす。それが何なのかよく分からない。
ユリウスは黒い影に肩を抱かれる。
いつの間にか地面に膝をついていたようだ。
「時計屋、おい、時計屋っ!しっかりしろ!!俺が誰か分かるか!?」
――ああ、分かっている。お前だろう?全く、仕方のない奴だ。
もう正常な思考さえも保っていられない。
そして、もしこれが自分の時計が止まるときだというのなら。
――普通なら愛してる、が定番か?
だが愛を告白すべき相手ではないし友情もない。それよりはむしろ……。
だからユリウスは正直に言った。
「お前の顔など……見たくもない」
「ああ、分かっている!だが今はしゃべるな!」
制止の声を聞く気もない。
「会いたくもなかった……」
あとは言葉にならない。頬を熱いものが流れている。
「時計屋……?」
声がする。奴を困惑させたのなら小気味良いことだ。それなら……。
そしてユリウスは黒い影の胸元にすがるように顔を上げると、唇を重ねた。

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