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■夢魔の部下・上

あれは、確か忌々しい情事の後のことだったとユリウスは記憶している。
時計塔で仕事をしていると騎士がやってきた。
いつものごとく押し倒され、逆らうのも面倒で好きにさせていたら、アレを強要され
コレを強行され、と……まあ、どこまでも、いつも通りの展開だった。
しかし、後始末をし、乱れた衣服を整え、修理を再開しようとしたら騎士が、
「何をしてるんだ」
「えー、ユリウスの邪魔ー」
騎士は、いきなりユリウスの膝に頭を乗せ、もたれてきた。

騎士の体はずっしり重く、本人の言う通り邪魔なことこの上ない。
「猫か、おまえはっ!」
「えー、俺、チェシャ猫君じゃないよ。でもユリウスなら俺を飼ってもいいぜ」
上機嫌の返事がある。
「大の男が何を気色の悪い。用事が終わったのだから、さっさと仕事にかかれ」
「いいじゃないか。親友なんだから」
「こんな腐った友人関係があってたまるか」
だが、言いながらも振り払えない。
強引に寄りかかられると、無下に出来ない。
こんな風に押しが弱いから奴につけこまれるのだとユリウスは内心頭を抱える。
一方、コトが終わって欲求の満たされた騎士はどこか満足げだ。
「なあ、ユリウス」
「何だ。仕事にかかる気になったか?」
「……俺さ、この部屋に住んでいいかな?」
「断る!」
「あははは。絶対そう言うと思った」
彼は笑う。いつものように中身のない笑いで。
そしてユリウスの膝に顔をうずめ、表情が見えなくなる。
離れる気配のない騎士をあきらめ、ユリウスは重すぎる猫を抱えたまま修理を始める。
やがて騎士は寝息を立て始めた。
ユリウスはため息をつき、手の届くところにあった毛布をかけてやった。
「全く、仕方のない奴だ」
ふと外を見る。
外は晴天で銃撃もない。
風は穏やかで、青空には雲がゆっくりと流れている。
部屋には時計の音、膝には眠る騎士。
「…………」
この男と一緒にいて、こんな平和な気分になるとは思わなかった。
膝上の騎士の頭をなでる。気のせいか、気持ち良さそうだ。
何となく、本当に猫をなでているような気分になってくる。
そのうちに情事の疲れもあって、ユリウスもうとうとしてくる。
そして睡魔に負け、いつの間にか眠ってしまった。
目が覚めたとき騎士はすでに仕事に出かけ、赤いコートが肩にかけられていた。

…………

…………

ノックの音に、ユリウスはうたたねから目を覚ました。
時計の修理中に、またも仕事の疲労で寝入ってしまったようだ。
もちろん、赤いコートがかけられていることはない。
あれは夢。過去の話だ。

ハートの騎士は今の国にはいない。
ここは引越しで別の国になった。今騎士は違う国にいる。
しかし、時計塔が丸ごと引っ越しになったわけではない。時計塔とクローバーの塔が
併設するというエイプリル・シーズン形式の引越しだった。
……だが今の国にはハートの城はない。

そしてユリウスとユリウスの居室だけが、時計塔から切り離されたらしい。
ユリウスにしてみれば自分の領土がほとんど全て置いていかれたという迷惑な引越しだ。
そこに、ノックの音がしたのだ。
ユリウスは我に返った。
「誰だ、入って来い」
ユリウスは扉に向けて横柄に言い放った。
そして少し間が空き、静かに作業室の扉が開かれる。
「失礼いたします」
そこにいたのは、初めて見る『役持ち』だった。

黒い髪に黄の瞳、黒いスーツ、全身に装備された短剣、首元にはトカゲのタトゥー。
その男はユリウスの作業机の前に立つと、無駄のない動作で慇懃に一礼する。

「お初にお目にかかります。私はグレイ=リングマークと申します。
このナイトメア=ゴッドシャルク様の補佐兼護衛をしております」

ユリウスはやや意表を突かれた。
役持ちの敬語というのは、ずいぶんと久しぶりに聞いた気がする。
野放図が標準仕様のこの世界では珍しい人材だ。
そして、男の言葉の意味が頭に入ってくる。
――ナイトメアの補佐……。
芋虫に忠誠を誓う物好きな役持ちがいる、という話は聞いたことがある。
領土が重なる形式の引越しは珍しいこともあり、この男と会ったことがあるかは、
記憶があいまいだった。しかし、どんな酔狂な輩かと思っていたが、実際に会って
みると、丁寧な言葉使いといい物腰といい、意外にもまともそうな男だ。
隙のない立ち居振る舞いから見ても、かなりの手練と考えていいだろう。
しかしユリウスはそれをおくびにも出さず、無愛想に言った、
「仕事の邪魔だ。出て行ってもらおう」
しかしグレイと名乗った男は引かない。落ち着いた声で返答した。
「我が主ナイトメアより、案内役を仰せつかっております」
「何の案内だ?」
「塔主同士の話し合いです」
「話し合い……塔主会談でもやるつもりか?」
お互いにそんな柄ではない。
「二人の領主が一つの領土に滞在するのですから、話し合いの場を設け、取り決め
などを決定したいとのご意向です。では、これから私がご案内を――」
「断る。私は仕事で忙しい」
相手の話をさえぎり、手を振る。
「細かい取り決めはそちらで適当に采配してくれ。私は会う気はない」
応ずる気配のないユリウスに、男は少し眉をひそめる。
それでも礼儀正しさは崩れない。
「領主が顔を合わせないのは、世間の聞こえが芳しくないと愚考いたしますが」
「世間体を気にして役持ちなどやっていられるか。
それにあの芋虫の醜態で十分、領民の評判は地に落ちているだろう」
『芋虫』という単語を耳にしたとき、男の眉がわずかに動いた。
だが、変化は一瞬で、男は言葉を重ねる。聞かないことにしたようだ。
「領主同士が不仲という噂が広まれば、他の役持ちにつけいる隙を与えかねません。
どうか我が主の体面を考慮してはいただけませんか」
食い下がる。外部を牽制し、夢魔のメンツも保ちたいというところか。
こちらも甘く見られた物だ。
芋虫が発案者とは考えられない。それなら目の前のこの夢魔の部下の意向か。
だからこそユリウスも、子どもっぽいと分かっていて、わざと舌打ちした。
夢魔の部下の眉が、今度こそ不快そうにピクリと動く。

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