続き→ トップへ 目次

■ウサギの孤独、時計屋の孤独

「あんたは頭が良すぎで、そして厳しすぎる。
大雑把で頭の悪い俺とは、合わないよな……」
「時計を渡せ、三月ウサギ」
イライラして繰り返した。少しは使えると思ったら、感情に流され、譲歩を迫る。
こんな軟弱な一面があるとは思わなかった。

「私は己の役割に反することはしない。情に流される弱い部下は不要だ」
「……そうだな。『あいつ』もいない、時計塔であんたと二人きりっていうのは、
俺にはちょっと寂しすぎる」
「…………」
胸の時計を切り裂くような、強い軋みが走った気がした。
だがユリウスは無視する。
ユリウスは弱い三月ウサギに難色を示し、三月ウサギは厳格なユリウスと合わない
気がすると、遠回しに言ってきた。
なら三月ウサギの時計塔滞在の話も、これで永遠に流れる。
「私はルールを厳格に守っているだけだ。非難を受けるいわれはない」
そして改めて言う。
「おまえを部下に取り立てる話はなかったことにする。時計を渡せ」
心の距離さえも、徐々に遠くなっていく。だが三月ウサギは時計を握り締める。
「三月ウサギ!」
「ならなおさらだ。あいつの時計は渡さない。絶対に!」

瞬間、ユリウスは腹に冷たいものを感じた。

見下ろすと、腹部に赤い染みがあり、それは見る間に広がっていく。
三月ウサギに撃たれた、と気づくまで数瞬がかかった。
見ると、三月ウサギが呆然と自分の銃を見ているところだった。
そういえば、すっかり忘れていた。
この男が考える前に撃つ、短気で知られた男だと。
ユリウスは音を立てて草むらに倒れる。
「あ……と、時計屋、さん……」
決して致命傷ではない。三月ウサギは自分を見失い、反撃も容易だ。
――なのに、なぜ何もする気になれないのだろう。
そこまでの深手ではないはずなのに。
「わ、悪い。あんたにはあんなに世話になったのに……」
そう言いながら、駆け寄ったり、応急処置をしようとしたりする気配はない。
「世話になった奴に、八つ当たりの、銃弾を……叩き込むのがお前の礼儀か。
ずいぶん、高等な……教育を、受けて、きたようだな」
力なく嫌味をぶつけるのが精一杯だ。
「あ、ああ。本当にすまねえ……時計屋さん。でも、でもこれだけは……」
それで帽子屋に入ることもせずにまた逃亡か。
「言い訳はしねえよ。だけど今は時間が欲しいんだ」
言って、親友の時計を大事そうに懐にしまうと、倒れたユリウスに背を向ける。
ユリウスはその背中にさらに言葉をぶつけた。

「好きなだけ、思い出に浸っていろ。だが時が来れば渡してもらう。
その時計は、私が……傷一つ無く、完璧に修理してやる」

「……俺の中で整理がついたら、いつか渡しに行く。本当に、すまねえ……」

そして狂ったウサギは振り向かずに立ち去った。
ユリウスは目を閉じる。
あまり経験したことのないヒリヒリした痛みが胃のあたりを苛む。
「く……」
ユリウスは痛みをこらえ、起き上がった。
銃弾は急所を外している。応急処置をして、塔に帰らなければ。
痛い。痛い。
きつく目を閉じ、襲撃に備えて常備していた包帯を巻く。
撃たれた箇所と別の場所が痛んでいる気がしたが、きっと錯覚だろう。

…………

…………

仮面の下の瞳は、ユリウスを哀れんでいるようでもあった。
「おまえか……」
ユリウスは壊れた時計の山にもたれかかり、訪れた男を見上げる。
「お前には、本当に呆れる。心底から、な」
「俺、あきらめが悪いんだ」
誉めたわけではないのに嬉しそうに頷く騎士。

騎士は、またも、またもやってきた。
例のふざけた変装をして、未回収の時計を集めて。
あれだけの言葉と反撃をぶつけられながら、一切態度を変えなかった。
普通なら二度と来ない。少なくともユリウスならそうする。それなのに……
「俺、考えるの苦手なんだ。だから聞かなかったことにした。時計集めてきたぜ!」
爽やかに笑う。聞かなかったことにしたと、自分で言っていては世話がない。
――本当に、空回りさせられる奴だ……。
こちら側は命がけで言葉をぶつけたというのに。
「三月ウサギはどうしてる?」
「知らない」
それだけだった。もう対抗意識を持つ理由がなくなったこともあるのだろう。
「まあ時計を持って逃げてるから追いかけてるけどさ。いちおう役持ちだから、
隠れるのが上手くて。ウサギって皆、逃げ足だけは速いよな」
騎士は本当に興味が無さそうに話を打ち切る。そして作業室を見回した。
見えるのは、至るところに積まれた時計、時計、時計。
「本当にすごいな量だあ。葬儀屋が時計の修理を止めたって噂には聞いてたけど。
何で止めたんだ?」
「ああ、身体の不調でな」
本当は自分でも理由が分からない。
三月ウサギが去り、かなり経つ。だがあれからほとんど時計を修理していない。
役割に忠実に生きると宣言したはずなのに、どうしてか修理にかかれない。
今や作業室は時計で埋まりそうな按配だ。
「ひっどいなあ。俺がせっかく苦労して回収してるのに」
騎士は床に散乱する時計を頓着せずに踏みつけ、蹴飛ばし、ユリウスの前に立つ。
そして、仮面とローブごとコートを脱ぎ、袋とともに時計の山に放り投げる。
そしてユリウスの前に静かに膝をついた。
主に忠誠を誓う騎士のように。
「ユリウス、抱くぜ」
「……お前の好きにしろ」
どのみち抵抗出来ない。逃げることもかなわず、力でも言葉でも無理なら
何をもってはねのければいいのか。

4/7

続き→

トップへ 目次


- ナノ -