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■決して譲れないもの

「エリオット!」
「時計屋さん!遅いぜ!」
森で遠くからエリオットを見つけ、ユリウスは安堵で笑顔になる。
エリオットも輝くような笑顔で走ってきた。
ハートの騎士の妨害で相当な時間帯が経ってしまったが、どうにか待ってくれていた。
「大事な物、というのは持ってきたのか?」
そう言うとエリオットは勢い良くうなずいた。
「ああ。これで心残りはねえ」
「なら時計塔へ行くぞ」
「おう!」
嘘偽りのない笑顔に、疲れが癒やされる思いがする。
これで、やっと陰鬱な生活が終わる。そう思ったとき、
「あ……っ」
ゴトッと、何かが草むらに落ちる音がした。
「何だ?」
「あ、いや、その……」
エリオットは顔色を失って、落ちた何かを拾い上げた。ほとんど一瞬の動作だった。
どうやら服のポケットか何かが破れ、中にあったものが落ちたらしい。
「あ、あはは。服もちゃんと繕わなきゃな……悪い悪い。じゃあ行こうぜ」
だがユリウスは口を開く。

「三月ウサギ。今落としたものを見せろ」

自分でも分かるくらい冷ややかな声だった。
「な、何だよ時計屋さん。顔が怖いぜ」
三月ウサギはまだごまかそうとしているのか、あからさまな作り笑いを浮かべた。

「私に見せろ……その時計を」

時計屋ユリウスの目に狂いはない。
三月ウサギの服から、存在を主張するようにこぼれ落ちた物。
間違いなく、時を止めた時計だった。
そして三月ウサギの様子も、来る途中に拾った時計、という感じではなかった。
「壊れた時計だろう。私が動けるようにしてやる」
「違う……これは壊れた時計じゃねえよ」
もう認めたようなものだ。
「三月ウサギ!」
強くないはずの葬儀屋の言葉に、三月ウサギがビクッとする。

「おまえの親友とやらの時計か?」
心当たりはそれくらいしかない。
相手からは返答がない。
「時計を渡せ。その時計は私が修理する。それがルールだ」
子どもに言い聞かせるように繰り返した。
すると三月ウサギは、ゆっくりと時計を出した。
少し古くなった時計だ。止まってから、かなり経っているようだ。
時計屋がとんだ失態だ。時計回収をする者が、時計を隠していたとは。
「さあ」
受け取ろうと、手をのばす。
三月ウサギの瞳が揺れた。彼は己の手に大切に持った時計をじっと眺める。
そして小さく、本当に小さく言った。

「嫌だ」

「三月ウサギ、渡せ。今まで黙っていたことは大目に見てやる」
「嫌だ!」
今度はハッキリと抵抗される。
「三月ウサギ!!」
ユリウスが怒鳴って一歩近づくと、三月ウサギは時計を守るかのように身を引いた。
「頼む……見逃してくれ。あんたに他のことでは絶対逆らわない。
こいつは、俺の親友の時計なんだ。
あいつは小さい頃から俺と一緒にいて、本当に良い奴で――」
「そんな事情に興味はない」
どんな美しい思い出だろうと、一々心を動かされていては時計屋はつとまらない。
「私はその時計に再び命を息づかせることが出来る。
お前の親友の『役』はちゃんと引き継がせてやる。それが私の仕事だ」
だが三月ウサギの何かに触れたようで、強硬に反論された。
「『役』が引き継がれたからどうなるんだよ!!
あいつの存在がこの世界から完全に消えちまうんだぞ!?」
「それは単なる時計だ。いくら大事に持っていても、おまえの親友は生き返らない」
理路整然とさとしたつもりだが、
「あいつは形見の品も写真も何一つ無いんだ。この時計しか残ってない!」
もはや子どもの言い訳だ。
「三月ウサギ、分かれ。それではこの世界は回らなくなる……」
「嫌だ、この時計を直されたら、あいつが本当にいなくなっちまう!!」
もう理性を失いかけている。言うことが錯乱気味になってきていた。
声をかけるほど彼を頑なにさせている気がする。

「何で、何で渡さなきゃいけないんだ。×××時間帯前まで人の姿をしていて。
それより前は生きて動いてしゃべってたのに……」
「それがこの世の条理だ。私にもおまえにもどうにも出来ない」
「あんた……冷たいな」
三月ウサギの言葉に、初めて冷ややかな感情が交じる。
少しは冷静になったかとユリウスは安堵した。
だが懇願するようにユリウスを見る三月ウサギは別のことを言った。
「なあ、時計なんて山ほどあるだろ。一つくらい……永久にとは言わない。
せめてもう少しの間だけ、な、頼む」
「ダメだ」
言えば揺らぐ。例外が一つ出来ればなし崩しになる。
かつて、多少ルールを無視することになっても三月ウサギを助けたいと思った。
今も、その気持ちに偽りはない。
だが事が『時計』に関わることとなれば話は別だ。
それはユリウスの『役』……存在の根幹に関わる重要なルールだ。
「私が時計屋だということは知っているだろう?
壊れた時計を修理し、命を再び与えることが私の『役』なんだ。
時計屋が壊れた時計を見逃すことは、どうあっても出来ない」
またも沈黙があった。
「…………」
彼はユリウスを見上げた。初めて見る傷ついた眼差しで。
「時計は渡す。でもその前にもう少し、もう少しだけ一緒にいさせてくれよ。
あいつと今ここで別れるなんて……見せたい風景だって、語りたいことだって……」
「ダメだ。その時計は修理する」
見つけた以上、見逃すことは出来ない。
ズルズルと先延ばしにしても、必ず今と同じやりとりを繰り返すだろう。
例え一度は部下になりたいと言ってくれた男だとしても。

三月ウサギは耳を垂らした。
「あんたが『葬儀屋』って皆に嫌われているわけが、やっと分かったぜ」
寂しそうにポツリと呟いた。

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