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■騎士と戦って罵倒した話

――早い!
剣と銃。本来なら威力も速度も比べ物になるはずがない。
だが騎士という男はその差を無いものにしてしまう。
銃弾を軽やかにかわしながら長身に合わぬ瞬発力で疾駆し、
自分に大きく剣を振りかぶる。
ユリウスは咄嗟に銃をかざし、剣を受ける。
不快な金属音、耳障りな残響。
「――くっ!!」
銃ごと叩き斬られるかと思うような重い一撃だった。
骨が悲鳴を上げ、腕がしびれ、頭が白くなり、感覚がなくなる。
だが騎士は頓着せず、とどめの一撃をあびせるべく再度ふりかぶる。
「くそっ!!」
ユリウスはとっさに脇に転がり、攻撃をかわすと起き上がり……逃げ出した。
「え?ちょっとユリウス!!」
後ろからあまりにも呑気な声がする。こちらは命からがら逃げているというのに。
――負け戦にいつまでも興じているほど暇ではないんだ。
騎士は相変わらずとぼけた声で呼んでいる。
構わず走り続ける。ほどなく、追跡の音が加わった。
ユリウスは振り向きざまに何度も銃弾を撃ち込むが、騎士はどれも簡単にかわす。
その気になればすぐに縮められるだろう距離をつめないのは、獲物を追う楽しみを
長続きさせたいからか。爽やかさが消された顔には酷薄な笑みが見える。
麦畑は悪夢のように広がっている。
ユリウスは走った。
近道のつもりだった麦畑だが、思ったより広く、なかなか出口にたどり着けない。
騎士は一定の距離を保ち、ユリウスを追ってくる。
走り続けた足は棒のようで、肺は爆発しそうに熱い。
もはや約束の場所に急いでいるのか、逃げるのに必死なのか、それさえ分からない。
「うわっ!」

ついに本当に足がもつれ、倒れる。
手から銃がこぼれ、麦の合間に見えなくなった。

麦の群生が衝撃を緩和したが、休息を必死に訴えていた身体は再起動を拒んだ。
「あははは。ユリウス。自分で、すっ転ぶなんて、本当にドジだなー」
騎士は余裕の足運びで近づいてくる。
そしてかたわらに立つと、靴先でユリウスの身体を転がし、仰向けにさせた。
「さて……」
剣を引き抜き、倒れたユリウスの喉元に切っ先を突きつける。
これで二度目だ。
「うーん、でもやっぱり迷っちゃうよな。ユリウスのことは好きだから殺したい。
でも殺す前に犯したい、でも犯していたらまた殺すことを迷っちゃいそうだ」
そんなことを言いながら、己の腰に下げている袋をチラリと見る。
中には未回収の時計が入っているのだろう。
相変わらず全身で支離滅裂な男だ。だが――
「俺ってやっぱりユリウスと縁があるんだな。俺の迷う先には常にユリウスがいる。
気が付くと時計塔に向かっていて、いつもユリウスのことを考えてる。
ユリウスのこと以外は何も考えられなくなっていく。
誰かを好きになるっていいよなあ、本当に。だから――」
少年のように爽やかに笑い、剣を構える。
ユリウスの額に汗がにじむ。
――今は、死ねない。
いつ時計を破壊されてもいいとずっと思っていた。
だが、今だけは死ねない。
だが力で勝てないからどうやって逃れればいいのか。

「だから……愛してるから、今度こそさよならだ。ユリウス」

……つけこむ余地がないわけではない。
この男は迷いやすい、集中力が拡散しやすい傾向にある。
そこをつき、一瞬でも動揺を誘えればいい。

「騎士。お前は私を好きだと思い込んでいるだけだ」

「え?」

剣が止まった。騎士は本当に意外といった様子で、
「今さらなんだよユリウス。俺はユリウスが本当に好きだぜ?
そりゃ、最初は殺そうとかそう思ったけどさ。でも今は違う。
でなきゃ、好き好んで男を抱いたりしない」
なぜか言葉をつむぐのが辛い。けれど確信が薄いわけではない。

「違う。お前の目的は、最初も今もただ一つ――ハートの騎士を止めることだ」

騎士は本当に想像外のことを言われた、という表情だった。
「え?ええ?そんなはずないぜ。だって俺は本当にユリウスが大好きで――」
考えるのは得意ではないらしい。少し剣先が揺れる。だがまだ隙は見えない。

「好意と錯覚するのも当然だ。私は部下を持たず、部下を欲し、人とのつながりも
少ない。取り入るのが容易で、押せば流される意志の弱い人づき合いの悪い男。
己の願望を叶えてくれそうな人間に悪感情を持たないのは当たり前だ」
「違う……違う。誤解してるぜ、ユリウス。
俺はそんなユリウスがほっとけないから部下になりたいと思ったんだ。
そばにいたくて、友達になりたいと思って……」
騎士も必死に言葉を紡ぐ。
伝わらない、伝えられない。だが伝えなければならない。
でなければ時計の針は、永久に先に進まない。

「それは嘲りだ。お前は、私に一片の好意も抱いてはいない。
ただ私を侮蔑し、慰みものにし、目的のため利用しようと思っているだけだ!」

彼の自分に対する全ての所業と殺意。根拠は十分すぎるほどにある。
愛だの恋だの適当な言葉で包んで正当化しているだけだ。
……自覚無しでやっているらしいだけに、なおのことタチが悪いが。
「違う、俺は……俺は……そんなはずは……」
好青年面に初めて本物の動揺が走った。
彼から反論の言葉が出ないことに深く傷つくが、仕方ない。
見下せる相手を無意識に見抜き、友人となろうとする人間はどこにでもいる。
だが本音が分かりにくい分、そういう奴だと確信するまで時間はかかった。

「そんな最低な奴を、死んでも部下にするか。
私はお前を心の底から軽蔑している!」

言って、地面の砂をつかみ、騎士の顔に投げつける。
「うわっ!」
古典的だが有効な方法だ。目を押さえる騎士の下から逃れると、後ろを見ず走り出す。
夕暮れの下、ユリウスは走り続けた。
走って、走って、走って、やっと麦畑を抜け、街道にたどり着いた。
汗が雫となって次々に地面に落ちる。続けざまの運動を強要された肺は猛烈に抗議し、
正確に時を刻む体内の時計さえ爆発しそうな錯覚に捕らわれる。
振り向いたが、騎士の姿は麦の穂の向こうに消え、見えない。

恐らく、もう追っては来ないだろう。
今度こそ、もう二度と。

「――?」
ふいに視界がにじんだ。疲労で目がかすんだかと目をこする。
ほんのわずかな水滴がユリウスの指先に触れ――すぐに乾いた。

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