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■友達と勧誘と奇妙な男

やがて三月ウサギはポツリと呟いた。
「俺、帽子屋ファミリーに投降しようかと思ってるんだ」
「そうか」
「マフィアなんて嫌だって、それで役割を放棄して逃げ出して。
でも、結局何にもならないしな」
「最初からそうすれば良かっただろう。いったいなぜマフィアを嫌っていた」
やっと、聞きたかった言葉が口から出た。
そして三月ウサギの返答もアッサリしたものだった。

「ああ。あいつらは俺の親友を殺したんだ」

「……そうか」

過ぎ去った者に哀切の感情を抱き、敵対者を憎み続ける。珍しい奴だ。
ユリウスが思ったのはそれだけだった。
別に同情もしないし、お悔やみの言葉をかける間柄でもない。
ただ、三月ウサギは悔しそうだった。
「仇を取ってやりたかったのに、そいつらに投降するなんてさ……」
ユリウスにそういった感情は分からない。
出来るのは、壊れた時計を修理することだけだ。
そして三月ウサギが決断したのなら、万々歳だ。
望んでいた日々が、数時間帯のうちにも戻ってくるかもしれない。
騎士とも縁が切れたし、あとは無言で三月ウサギを後押しするだけだ。

ユリウスは口を開く、
「三月ウサギ」
三月ウサギが顔を上げる。
「時計屋さん、俺ウサギじゃないぜ?
ウサギじゃないのに三月ウサギって変だよな」
「なあ、三月ウサギ」
「ウサギじゃないってのに……何だよ、時計屋さん」
三月ウサギは笑う。
金色の稲穂の海のような、広く深く穏やかな……哀しげな微笑み。
その下にどんな過去が、親友との物語があったのか、永久に興味はない。

「マフィアが嫌なら、時計塔に来い。仕事を手伝ってほしい」

「え?」
予想もしなかっただろう答えに三月ウサギの目が丸くなる。
けれどユリウスはその言葉を撤回する気にはなれなかった。
三月ウサギはブラックジョークのたぐいと思ったようで、ぎこちなく、
「は、はは。時計屋さん、そういう冗談はキツイぜ。
帽子屋にもにらまれて苦労してるんだろ?これ以上迷惑かけられないぜ」
「フン、知ったことか」
使える手駒を使うのは当たり前のことだ。
それで三月ウサギがこちらに懐いたとして、帽子屋の自業自得だろう。
「面倒を見てやるから、こちらに来い」
静かに言った。
三月ウサギはまだ信じきれないようだ。
「何で……知り合って間もない俺のためにそこまでしてくれるんだよ……。
俺はあんたの領土のカードじゃないし、役を嫌がって逃げてる卑怯者だ。
チンピラで、あんたみたいに頭が良くなくて、要領悪くて……」
三月ウサギらしからぬ自己卑下を手で制す。
「友達だろう」
それだけ言った。

そして、拷問のような数瞬が過ぎた。
それだけの沈黙に耐えきれず顔を上げると、これ以上にないほど呆気に取られた
三月ウサギの顔が――笑顔になった。
「ありがとう!時計屋さん……ユリウス!!」
「……おい……!」
大音量で喜びを爆発させる。骨が砕けるかというほど強くユリウスの手を握り、
「ありがとう!ありがとう!本当にありがとうな!
俺、時計塔のために一生懸命働くからな!!」
よほどブラッド=デュプレを憎悪していたのだろう。
時計塔という後ろ盾を得て、三月ウサギの目には生気が戻ってきた。
耳はピンと立ち、頬は赤く染まり、目は感激で潤んでいる。
ユリウスはというと三月ウサギの過剰な反応に力が抜け、押されるまま木の幹にもたれる。
――まあ、これで懸案はおおむね解決したな。
帽子屋はユリウスにあっさり前言を翻され、報復処置に出るだろう。
だが帽子屋が悔しがるさまを想像するのは愉快だった。
奴らさえ何とかすれば、今まで通りの生活が戻ってくる。
ユリウスはいつになく自分の心が弾んでいることに気づいた。

「ユリウスはもっと部下を作ったほうがいいと思うぜ。
俺みたいなカードじゃなく領主が旗頭なら、仕えたい奴もいると思うしさ」
「いや、私はそういう派手な真似は……ま、まあ、考えておく」
「まかせとけって。俺、人を集めたりするのは得意なんだ!」
彼の好意と尊敬は頂点に達したようで、キラキラの視線は、惜しげもなく
ユリウスに全力照射されている。
――このやたら眩しい視線だけは苦手だが……。
内心ため息をついた。

…………

「じゃあな、ユリウス!約束したぜ」
「ああ、おまえも道中気をつけろ」
「おうっ!」
エリオットは一旦隠れ家に戻ることを希望した。
着の身着のままで逃げ回っているかと思ったが、何か『大事な物』があるらしい。
それを持ってから時計塔に来るとのことだった。
綿密に落ち合う場所と時間帯を決め、エリオットは森の中に消えていく。
と思うと、またこちらを振り返り、手を振った。
ユリウスもやや硬い動きで手を振りかえした。
本人は自分がウサギであることを否定していたが、耳に加え、跳ねるように軽やかな
足取りで去る姿は、やはりウサギを連想させる。

――……?
そのとき、ユリウスは気配を感じた。
やや離れた木の方向に違和感がある。
――聞かれていたか!?
ユリウスは勢いよく振り向く。

だが、そこに立っていたのは――

「ユリウス、俺ならここにいるぜ」

そこに立っていたのは、奇妙な男だった。

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