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■ごくささいな失恋

新緑の木々がそよ風に揺れている。
その向こうの青空は、何度見ても透き通るような快晴だった。
「はあ……」
どんよりした顔で、ユリウスはトボトボと森の小道を歩く。
「いやあ、ユリウスと舞踏会に行けるなんて嬉しいぜ!」
ユリウスの手を引き、先を歩く男。彼はうっとうしいくらいに爽やかだ。
もうここは時計塔ではない。ハートの城に続く、森の中だった。
「…………はあ」
「ユリウス。暗いなあ。背中に亡霊でも背負ってるみたいだぜ?」
「背負うか、そんなもの」
ツッコミもキレが悪くなる。ユリウスはよどんだ目で部下を見た。
「それに、いい加減に手を離せ。城が近いんだ。誰かに見られたら……」
「ユリウスー!自分で行くって言ったのに往生際が悪いぜ?」
砂利道を踏みながら、エースは上機嫌だ。ユリウスはあきらめ、
「引きこもっていたい。外に出たくない、時計塔に帰りたい……」
少女の無事を確かめるため、という目的があるものの、よくよく考えてみれば、そこ
までしてやる義理があるわけではない。たくましい少女だし、余所者だ。
自分が気にかけてやらなくても、他の奴が気にかけているはずだ。
だが見捨てて帰るとなると、後々まで心残りになりそうで……。
「はあ、これだから嫌なんだ。帰りたい。やっぱり仕事をしていたい……」
ブツブツブツブツと低く暗く呟き続ける。
「ほらほら!カビが生える前に歩いた歩いた!早く城に行こうぜ!」
鬱々としているとエースに手を引っ張られる。
「はあ……」
それでもなおテンションの低いユリウスに、
「早くしないと舞踏会が始まる……よし!近道を行くぜ、ユリウス!」
『近道』という言葉にユリウスはピクッとして顔を上げる。
案の定、部下の行き先は別方向だった。
「おい!そっちは全然別の獣道だろう!
何で目の前に城が見えているのに、他の道を行こうとするんだ!!」
しかしエースは自信に満ちた顔で、
「いいや、こっちが近道だ!俺の勘はそう告げている!」
歯がキラリと光りそうな爽やかさ。
そして強引にユリウスを引っ張っていこうとする。
ユリウスはため息を一つつき……ふところからスパナを取り出した。

…………

舞踏会の会場は、きらびやかに飾りつけられ、華やかな装いをした男女が楽しげに
語らいながら、女王の開催宣言を待っていた。
その片隅で、時計屋ユリウスは不機嫌に肩を落とす。
「どうにか、無事にたどりついたな」
「俺は無事じゃないって!ひどいぜ!ユリウスー!」
スパナで殴られた箇所をおさえ、エースが抗議する。
「おまえについていったら、いつまで経ってもたどりつけないだろうが。
私が帰るのが遅くなる」
「あははは!始まる前から帰る話?」
そしてユリウスの肩に馴れ馴れしく手をかけ、耳元で、
「心配しなくとも、朝まで帰すつもりはないからな」
――こ、この馬鹿……っ!!
人ごみの中とは言え、何を考えているんだ。しかし反論してもエースを喜ばせるだけ
だ、とユリウスは無視して、会場に目をさ迷わせる。
――あいつの無事だけ確かめれば、もうこんな場所に用は……。
しかし、こう人が多いと、長身のユリウスでも人捜しに難儀する。
「なあなあユリウス!せっかく城に来たんだ。俺の部屋に案内するぜ!」
「…………」
エースは、舞踏会というより『家に遊びにきた友達を歓待する』ノリだった。
ノコノコついていっても迷うか、部屋についた途端、襲われるがオチだろう。
「というかおまえ、主催者にあいさつに行かなくていいのか?元上司なんだろう?」
「あははは!」
行く気はないらしい。

…………

「……わらわからは以上じゃ」
短すぎる女王の開会の辞に、会場からは戸惑ったようなざわめきがあり、遅れて、
パラパラと拍手が上がった。
ユリウスは義理の讃辞を送る気にもならず、呆れてため息をつく。
エースは相変わらず、誰にもあいさつしないらしい。横で上機嫌にしている。
そしてオーケストラが舞踏曲を奏で始める。
そうなると、招待客も招かれざる客も、チラホラとホールに繰り出していった。
「さて、と」
白スーツの正装に着替えたエースがこちらを振り向いて笑う。
まさか『踊ろう』と言い出すのでは?と構えたユリウスだが、エースが大声で、
「よし!ビュッフェでタダ酒を飲みまくろうぜ、ユリウス!!」
「…………」
周囲の迷惑そうな顔に、ユリウスは穴があったら入りたいと心底から感じた。

そのとき、視界の端に、探していた少女が移った。
「……っ!」
エースに気づかれないように様子をうかがう。
どうやら使用人とダンスの練習中のようだ。
その顔は明るく、とても楽しそうだった。
「ほら行こうぜ、ユリウス」
後ろから声をかけられ、ユリウスはエースを見る。
「ああ」
なるべく平静に聞こえるように声を出した。
去り際にもう一度見るが、少女は使用人の足を踏み、笑いながら謝っているところ
だった。この前見せた憂いなど、一片も残ってはいない。
そしてユリウスは感慨もなく、エースの後を追う。

ただ自分の中で、始まってもいない何かが終わった気がした。

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