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■舞踏会へ

作業に集中出来ない。来客のことがどうしても気になる。
時計屋として、あってはならないことだ。
だが本当に気になるから仕方ない。

日差しの差し込む静かな時計塔。
その作業場で、ついにユリウスは作業の手を止めた。
そして、ソファに座る少女に聞く。
「どうした?悩み事か?」
本を読んでいた少女は、顔を上げて目を丸くし、こちらを凝視した。
「珍しいわね、ユリウスがそんなことを言うなんて!」
「…………」
ユリウスは咳払いし、眼鏡を外し、コトリと机に置いた。
少女の顔に陰りがある気がする。だからこそ集中出来なかった。

「その、またここに来ることについて、何か言われたのか?」
「ううん、違うわ。ただ……」
少女の顔はどこか暗い。窓の外を憂い顔で見やる。
ユリウスはその意味をはかりかね――やがて恐ろしい結論に思い至った。
自分にも記憶があることだ。
「おまえ、まさか……」
「ユリウス!」
その先は言わないで、と、言葉にされずとも分かった。
しかしそれでかえって確信がいった。
――あの、イカレ帽子屋が……!
珍しいものに興味を示す、女に慣れた帽子屋。
いつまでも物珍しい余所者を放って置くはずはないと思っていたが。
「あの、クズ、×××××が……」
何とも言えない不快感と、似合わない義憤が腹の奥からこみ上げる。
すでにそれくらい、少女に肩入れしていた自分に驚きつつ。
「おい。もう帽子屋屋敷に戻るな。滞在地を変えろ。どこにでも送ってやる」
すると少女はすぐに首を振った。
「う、ううん。いいのユリウス。大丈夫よ!」
見せてしまった自分の弱さを、恥じらうように、
「私はかまわないのよ。ブラッドは優しいし。ただ、ちょっと……気持ちを落ち着け
たかっただけ。本当に大丈夫だから……そんな顔をしないで」
「脅しにも力にも屈することはない。私には奴と同等の力がある」
励ましたつもりだったが、少女は首を振る。そして立ち上がった。
「私、もう帰るわね。ブラッドが心配していると思うし……」
そしてはにかんで、ユリウスを見上げた。
「でもユリウスが心配してくれて嬉しかったわ。本当にありがとう。大丈夫よ」
「…………」
彼女はやわらかく微笑む。彼女だけが気づいていない、誰もを魅了する笑みで。
ユリウスの時計がまた、切なく音を刻んだ。

…………

「ユリウス……」
馬鹿は眠っている。テントの中で。ユリウスを抱きしめながら。
語るほどでもない、いつもの展開だ。
時計塔にたどりついたエースに、旅に出ようと引きずりだされた。
そしてまた遭難して、テントで抱かれた。
夜の時間帯になり、時計塔は暗闇の遙か遙か先だ。

ユリウスは眠る気にもなれず闇を眺めた。
間近には、警戒を解いた寝顔と、寝言で自分の名を呼ぶ騎士。
小さないびきがテントに響く。
「ユリウス〜ユリウス……ユリウス……?」
――うるさい……。
仕方なく抱き寄せてやると、エースの顔が安心したように和らいだ。
ユリウスはため息をつき、さらに抱き寄せてやる。
そうやって抱きしめながら、余所者の少女のことを考える。

本当に助けなくて良かったのだろうか。出来ることはいくらもあるのに。
だが、本人が大丈夫と言う以上、余計な手助けをすることは主義に反する。
本人もしごく元気そうだ。逃げる気力を奪われるほど、精神的に屈服させられている
……という感じでもなかった。
――逃げる気力、か。
ユリウスは腕の中のエースを見る。
それから、そっと腕を抜き、エースの首に両手をかけてみた。
あのときされたように。
――馬鹿馬鹿しい。
ユリウスはすぐに手を外す。
そして改めてエースを抱き寄せ、目を閉じた。
「……殺さないんだ」
エースの声は聞かないフリをして。

この騎士からは逃げられない。

…………

「それでさ、もうすぐ舞踏会なんだってさ」
「そうか」
「城は大忙しでさ。俺も手伝わなきゃと思うんだけど、城にたどり着けなくて……」
「そうか」
ユリウスはエースの言葉を適当に聞き流し、時計修理を続ける。
もう何十時間帯も少女の声を聞いていない。

あのときの会話が不味かったのだろうか。それとも帽子屋に拘束されているのか。
少女はパタリと姿を見せなくなった。
ドライバーの手元がわずかに狂い、ネジが一つ床に転がる。
それはコロコロ転がり、エースの寝ているソファのあたりで止まった。
ユリウスは舌打ちし、暇そうにゴロゴロしているエースに、
「おい」
「ん」
エースはサッとネジを拾うと指先でピンと弾き、ユリウスの方に飛ばす。
慌てて両手で受け止めながら、
「時計の部品を粗末に扱うな!!」
「はいはい。それでさっきの話の続きだけどさ……」
エースも流し、またどうでもいいことをしゃべり続ける。
ユリウスも時計修理に戻りながら考える。
やはり少女の安否が気になって仕方なかった。
「それで、ユリウスも舞踏会に行くだろ?」
「ああ」
うなずいた。
「え……?」
エースは自分で言っておいて、ポカンとした顔をしていた。
「え?い、行くのか?ユリウスが?本当に!?」
――何だ、その『何、真に受けてんの?』的な驚きようは……。
怒鳴りたくなるのを押さえ、エースを睨んだ。
「い、いやあ別に!」
エースが慌てて首を振る。そして腕組みをし、にんまり笑う。
「うん!引きこもりのユリウスがどうしても俺と舞踏会に行きたいって言うのか!
仕方ないなあ。それじゃあ恋人として、連れて行ってもらうのが義務だよな」
……ツッコミしてもらいたいのだろうが、面倒くさい。
時計修理をしながら不機嫌に考える。
ユリウスには、踊る気もなければ踊る相手もいない。
帽子屋ファミリーが来るなら、少女も連れてこられるだろう。
その安否だけ確認したら、すぐに帰ればいい。

それだけだ。

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