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■脱獄囚

そして常と変わりない時間が戻っている。

作業場に戻ったユリウスは、己の仕事を再開し、休むことなく続けた。
ストーブをつけ、時計を修理し、ときおり仮眠を取ってまた仕事をする。
正確には、仕事以外にすることもなかった。こうなると窓の外は見ない。
去りゆく季節を惜しむような感性もなかった。
「ん……」
何度目かの長時間帯仕事中、ユリウスはついに作業台に突っ伏し、眠ってしまった。

最後に窓辺を見たとき、空は雪雲の片鱗もない鮮やかな青さだった。

…………

『悪く思わないでくれ、時計屋。本当に……すまないな』
何を話していただろうか。
夢の最後に夢魔がそう言っていた気がした。

「ん……」
ユリウスは薄目を開ける。
目が覚めた。ユリウスは突っ伏していた腕から顔を上げる。
そして寝起きの不機嫌な頭のまま、時計修理を再開しようとする。
しかしふと暑さを感じ、立ち上がる。
そしてつけっぱなしにしていたストーブを止めに行った。
スイッチを切りながら首をかしげる。
妙だ。寝ていれば体温が低くなるものだろうに、今はやけに暖かく感じる。
まるで冬とは思えないような……。
そして少し沈黙し――扉の方へ行き、扉を開けた。

扉の外は『時計塔』だった。

「…………」
ユリウスは表情を変えず、扉を閉める。
それから窓辺をチラッと見、遠景にハートの城があることだけを確かめる。
小さく息を吐いた。だが特に外に出る気はない。
国が変わったばかりのときは、いろいろ地形が不安定なものだ。
同時に安堵する。時計塔はユリウスの領土だ。
しばらくは作業場を離れず、異常事態に備えるとしよう。
そう思って満足し、窓辺を離れようとした。

そのとき、頭の中で声がした。

『下だ、時計屋』

「……芋虫!?」
ギョッとする。次の引っ越しまで聞くことはないと思っていた声だ。
わざわざ別の国から、いったいどこから、誰の助力を得てこちらに干渉を……。
しかし声はそれには返答せず、

『窓の下を見るんだ、時計屋』
「……?」
好奇心も刺激され、仕方なく窓の下、地面のあたりに視線を転じる。
時計塔広場の石畳。そこにウサギが立っていた。
最初は顔なしのウサギか、ハートの城のろくでもない宰相かと思った。
だが、違う。
その瞬間、ユリウスの目が見開かれた。

エリオット=マーチだった。

…………

明るすぎる日差しの降り注ぐ時計塔広場。
そこまで走ってきたユリウスは、大きく息をつく。
自分に心臓というものがあったら、恐らく爆発していた。
それくらい、全力で時計塔を下ってきた。
「久しぶりだなあ、時計屋」
時計屋の狼狽ぶりを愉しそうに見下ろすのは、腕組みをする三月ウサギ。
間違いない。一万時間帯の刑期を課されていたはずの三月ウサギだ。
だが怒りよりも驚きよりも、ユリウスは目の前に立つ男が現実とは思えなかった。
「そんな馬鹿な……投獄してから、そんなに時間帯は……」
そしてハッとする。
監獄では時間帯、いや時間の概念そのものが無意味だ。
こちらの一時間帯はあちらの一万時間帯に相当するし、逆もまたしかり。
「いや、そうじゃねえ。俺は刑期を終えたわけじゃない……」
酷薄に微笑み、マフラーを風になびかせる男は誇らしげに言った。

「脱獄した」

「なん……だと……?」
「はは。さっきから三下みたいな返事ばっかりだな、あんた。
エイプリル・シーズンで頭のネジまでゆるんだんじゃねえか?」
もはや親しさの『し』の字もないよそよそしさで、三月ウサギは銃を取り出した。
「ブラッドが脱獄させてくれたんだ。エイプリル・シーズンの終わる間際にな。
おかげであんたへの挨拶が遅れた」
「っ!!」
――帽子屋……!!
何もしかけてこないと思ったら、奴の目的は想像の別次元にあった。
一度収監された囚人を解き放つ。そちらにかかずらっていたらしい。
だが、いかなる話術、奇跡を用いたのか。
囚人を脱獄させるのは、容易なことではない。
だがユリウスが問う前に、三月ウサギがさらなる言葉を告げる。
「そして俺はブラッドに誓約した。生涯の絶対忠誠を誓う。
その代わり……俺が死んだら、俺の時計をブラッドに破壊してもらうと!!」
「馬鹿な!!」
悲鳴のような声で叫んだ。あってはならないことだ。
「何を愚かな事を!!帽子屋はおまえ共々、大罪人になるつもりか!?」
「もう大罪人だろ?あの人は前にも他の囚人を脱獄させてるしな」
そして完全に動揺するユリウスを心底から愉しそうに見、
「俺は、もう『あいつ』のことには囚われねえ……だが!!」
過去から解き放たれた男が言う。そしてユリウスに勢い良く銃を向けた。
「よくも俺を投獄してくれたな、時計屋あっ!!」

……ユリウスへの殺意だけは健在。いや、倍増しになったようだった。

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