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■ウサギ狩り・上


期待に沸いていた会場は、一瞬にして戸惑いのどよめきに取って替わった。
拍手が瞬時に止み、ひそひそささやく声が響く。
「だ、誰なのかしらね、あの人」
「サーカスの団員なのかな、つ、強そうだな……」
誰もがその男の正体を知っている。だが決して言い当てることはない。
目を泳がせ咳払いし、見ないフリをする。わざとらしい推理を周辺の者と語り合う。
あるいは率直に、つまらないから出て行け、と野次を飛ばす。
そしてユリウスは凍りついたように動けなかった。
そう。その男が何者なのか、誰の目にも明らかだった。

仮面の男は、観客の反応を楽しんでいる風だった。
一時間帯にも思えた、十数秒のわずかな間、何もせずに客席を眺めていた。
特に、無表情と絶対の沈黙を守るハートの城陣営を。
平然としているのは、女王と白ウサギくらいのものだったが。

「何を考えているんだ、あの騎……いや、あのサーカスの団員は」
グレイでさえ、立ち位置を決めかねているようだった。
夢魔はただ謎めいた笑みを浮かべている。
ユリウスも何も出来なかった。
自分が動いたり、何か命じたりすれば奴は動くかもしれない。
だが……それは……。


そして、ささやき声がほどなく収まり、冷淡さを含む静寂に変わったころ。
ふいに仮面の男が動いた。
緊張のカケラも見せず剣を抜く。
それをまっすぐに帽子屋屋敷の方へ向けた。
そして静寂を破る声がした。

「何だ、てめえ!!ブラッドはウサギじゃねえぞ!!」

――そういえば、あいつもあいつで馬鹿だったな……。
ユリウスは、帽子屋の隣で立ち上がった、長い耳の男を見た。

仮面の男は声を発さない。挑発的な笑みを浮かべ、三月ウサギを見ている。
その笑みが気に障ったのか、三月ウサギは、遠くからも分かる険悪な雰囲気で、
「帽子屋ファミリーにウサギなんざいねえよ!狙うなら、白ウサギでも狙え!」
恐らくサーカス全体の目が、三月ウサギの『耳』に集中していた。
もちろん、当のウサギは気づいた様子もないが。

そして次の瞬間、銃声がした。

「てめえ……」
今度こそ三月ウサギが隠しようのない殺気を放つ。
仮面の男が、一瞬で剣を銃に変え、帽子屋のボスに発砲したのだ。
それを何らかの方法で妨害したのは三月ウサギ。
一瞬の間を置き、会場が一気にざわついた。
「うちのボスに何しやがる!!」
三月ウサギの忠誠心は、かなり醸成されているようだ。
ボスを狙われた三月ウサギは、恐らく心底から激昂していた。
もちろん他の部下も黙っていない。次々に銃を持ち出す。
会場は一気に混乱に叩きこまれた。


「ナイトメア様!座席の下に伏せていて下さい!」
「い、言われなくてもそうする!」
とんでもないアクシデントだった。
銃弾が飛び交い、狭いサーカスの中に爆音が響く。
帽子屋ファミリーの側からは、戦場のように銃弾が掃射されている。
だが仮面の男は驚愕すべき運動能力で、それを全てかわした。そして、
「てめえ!何しやがる!!」
「うちの勢力は関係ないでしょう!!」
他の客席に流れ弾が飛んだり、爆弾が誤射されたりで、応戦が始まっていた。
火薬が使われたのか、どこかの座席で火柱が上がった。
耳を覆いたくなるような銃声と悲鳴が響く、だがジョーカーは現れない。
「グレイ!助けてくれ!死にたくないー!!」
「ナイトメア様、ご安心を!俺が命に代えてもお守りしますから!
だから頭を上げないで下さい!動いてはいけません!」
塔の方も狙撃され、慌てるナイトメアを、トカゲが必死に庇い、流れ弾から守る。
ユリウスも弾を受けないよう、銃を構えながら身を低くしていた。やや青い顔で。
「おい、時計屋……」
這いつくばったまま、手で頭を守り、真っ青な顔をした夢魔がこちらを見る。
口には決して出してこないだろう。だが言わんとすることは明らかだ。ユリウスは、
「……努力は、する」

舞台の中心に立つ男は、四方八方から(ハートの城陣営からも)撃たれる銃弾を避け
あるいは剣で弾き返し、未だに笑みを浮かべていた。
悲鳴と銃声。立ちのぼる煙と嫌な臭い。
だが誰もサーカスからは出て行かない。
舞台中央に立つ男の名を、誰もが知っているのに、例え呪詛でも口にしない。
ルールに支配された異様な空間が、そこにはあった。

「てめえ!!ちょこまか逃げやがって!!」
そして怒声と共に、激怒した三月ウサギが、客席からヒラリと舞台に降り立った。

――っ!!

ユリウスは息を呑む。
舞台の上で向かい会う、三月ウサギと仮面の男。

「ウサギを、巣穴から引きずり出したか……」
トカゲの声がどこか遠かった。

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