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■会いたい話

サーカスが始まっても、時計屋ユリウスは上の空だった。
満場の喝采も、舞台の大仰な技も、まるで頭に入らない。
――三月ウサギをどう捕らえるか……。
そして心配される、帽子屋ファミリーの報復。
部下を利用し、身を守りつつ、時計を集め、時計屋としての仕事を円滑に進める。
――まず、私を囮にもう一度誘い出し、そこをあいつに……。
頭の中でエースの配置を考え、いかに効率良く自分を護らせ、時計回収するかを
シミュレーションする。そこでふと、思う。
――まるで駒扱いだな。
だが、それは奴の望んだこと。自業自得だと己を叱咤する。
時計塔には自分一人きり、これからも一人なのだから。
「……時計屋?」
「――っ!」

声をかけられ我に返る。すると夢魔を挟み、二つ隣からトカゲがこちらを見ていた。
「どうした?サーカスに集中出来ないようだな」
「ん。ああ、出し物の機構について考えていた」
トカゲに適当にごまかすと、サーカスの子供だましな演目を見ようとした。
けれどいくらも集中出来ず、もう少し現実的な問題に時計の針がそれる。
――この馬鹿馬鹿しい催しが終わったら、早く探さなければ。
……もう何十時間帯も、あの馬鹿の姿を見ていない。
落ち着かない。苛々する。
ユリウスはまず、部下に会ったら怒鳴りつけてやろうと決める。
それから二人で露天をじっくり見回って、襲撃者なりを巻くとしよう。
その後で森にでも行き、木陰に座って計画をじっくり話し合おう。
誰もいない春の森の中なら、二人で何時間帯でも話し合える。
その最中で馬鹿が襲いかかってきたら……まあ、その、力ではかなわないし、出来る
だけ抵抗はするが、それでダメなら成り行きに任せるしかない。

そう考えると、一刻も早く馬鹿を見つけなければいけない気分になってくる。
早く終わらないだろうか。
あいつは早く捕まえないと、すぐに迷子になって逃げてしまう。
「……時計屋。おい」
「あ、ああ、何だ?トカゲ?」
ハッとすると、またトカゲが不思議そうにこちらを見ていた。
「ちゃんとサーカスを見ているのか?何だかさっきから……」
「え、あ、いや、その……」
どもりつつ、適当に答えようとすると、
「心配ないさ、グレイ。見ての通り、時計屋は浮かれているだけだ」
夢魔がニヤニヤと言う。ユリウスは思いがけない言葉に眉をひそめ、
「おまえ、頭は大丈夫か?芋虫」
トカゲの前と言うことも忘れ、蔑称を口にする。だが夢魔は意地の悪い笑みで、
「さあな」
と言ったきり、また舞台に視線を戻した。
だがユリウスは不快な感情を抑えるのに精一杯だった。
断じて浮かれてなどいない。他人の表層を見た程度で、知った風な口を……。
「ナイトメア様。他人の心を軽々しく読まないよう、いつも申し上げているでしょう」
ユリウスの険悪な感情を読み取ったのか、トカゲが叱るように言う。
こちらが、エース絡みのことを考えていたと知っているだろうに。この公私を毅然と
分ける対応だけは、ユリウスにも真似が出来ない。
だが夢魔は肩をすくめて黙るのみ。トカゲは目で謝罪の意を送ってくる。
「…………」
ユリウスは咳払いだけをし、サーカスに視線を戻した。

――……エース。

考えないようにしようと思っても考えてしまう。
いつからだろう。始めの頃は、ごくたまに。
最近は少し思考に隙間があれば、奴のことを考えている。
何があろうと変わらない壊れた騎士。自分に向けられた笑顔と殺意。

今は時計塔の物だ。どれだけルールがどうと他人が言おうと。
騎士が選び、時計屋ユリウスが認めた。
誰にも奪うことは出来ない。
あの男はこれから……ずっと自分の元に返ってくる。

――……っ!
そこまで考えハッとする。夢魔に今の考えを読まれていないか慌てて横を見る。
だが、夢魔もトカゲも、大きな風船の中から現れた子ウサギに拍手を送っていた。
少なくともそう見えた。
だからユリウスもホッと心をなで下ろし、慌てて取り繕うように考える。
――もちろん、あいつは自分にとっての単なる道具だ。
全く思い入れがない。時計屋のための、ただの駒だ。
自分の興味は、言うなれば、新しく自分のものになった珈琲器具が物珍しいだけ。
新しいものが入れば、ほんの少しだけ風景が違って見える。それだけだ。
別に浮かれてなどいない。
芋虫は人の心はのぞいても、そこに隠された機微など知るわけがない。
だから『浮かれている』などあまりにも見当違いなことを言っているのだろう。
そう考え直して、必要もなく一人で安堵した。
そして、少しでも早くサーカスが終わればいい。いつもより一際強く思った。

舞台の上では、それまでやっていた演目が終わり、ジョーカーが観客からの盛大な
拍手を浴びつつ、優雅に礼をしていた。
そして黒い方か白い方か分からない道化が、不思議な笑みをもらす。

「それでは、最後の演目に参りましょう……『ウサギ狩り』をお楽しみ下さい!!」

大歓声と拍手、少々のざわめき。ユリウスは席で少し呆れていた。
――また、挑発的な名をつけたものだ。
他の客席にいるウサギの役持ちや顔なしは、案の定、複雑な顔をしている。
どうせ黒い方の趣味だ。後で獣耳をつけた連中からクレームを食らうに違いない。
とはいえ、やや挑戦的な演目名に、観客の期待は、小さくなかったようだ。
拍手が鳴り響き、内心、ユリウスも何が始まるかと興味を惹かれた。
ようやく、騎士のことから意識がそれ、他の観客と共に舞台を凝視した。
そして。

騒々しいドラムの音が盛り上がり、大拍手。
そしてパッと照明が消える。
そして再びついたとき。

舞台の中心には、道化の代わりに、別の男がいた。

仮面と、薄汚れたローブをまとっていた。

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