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■時計塔の騎士

ユリウスはテントの中で横になっている。
――眠い……。
時計屋が、こんな怠惰に時を過ごすことなど滅多にない。
しかし今の身体は、労働を許さない。

エースとキャンプ生活を始め、しばしの時間帯が経った。
三月ウサギの襲撃に失敗したユリウスは、全身のケガが治っていない。
一時期より多少の包帯は取れたものの、利き手の骨は砕かれている。
時計修理どころか、日常生活もまともに出来ないありさまだった。
何から何までエースに面倒を見られ、騎士は嬉々として世話を焼いてくる。
――はあ……こんな人里離れた場所で何もせずに、私という奴は……。
自己嫌悪も極限に達し、やる気なく、薄布団の中で寝返りを打った。
――う……っ!
うっかり、傷ついた箇所を下にしてしまい、わずかな眠気も散ってしまう。
――本でも持ってくれば良かったな。
と、呑気なことをぼんやり考えていると、
「ユリウスー!!暗い顔するなよ、外に出ようぜ!!」
上機嫌そのものの騎士が、テントの入り口から顔を出した。

丘の空はどこまでも青く、草原には風がそよいでいる。
ユリウスはエースに担いで外に出され、草むらに下ろされた。
「はい」
「ああ」
渡されたリンゴを受け取った。まだ少し固い。
それでも歯を立てると、甘い果汁が口の中に染みこんだ。
「ユリウス」
自分もリンゴをかじりながら、エースの目は説明を促してくる。
「……分かった。話してやるから」
大罪のことまで知られては、もう隠しても無駄だろうと、ユリウスは口を開いた。

…………

「……そういうわけで、私だけで三月ウサギを捕らえようとしていた」
「ふーん、時計を破壊したんじゃ仕方ないか。ユリウスも大変なんだな」
時計屋の恥を知っても、リンゴをかじるエースに変化はない。
「じゃ、ますます俺が部下になるしかなくなったわけだ」
それどころか弱みをにぎった顔で、にんまり笑う。
「おまえという奴は……それでいいのか?
私の部下になるというのは『処刑人』になることでもあって……」
笑う騎士は、明らかにユリウスの苦境につけこんでいる。
「ああ!俺が処刑人になって、三月ウサギ君を捕まえる。それで解決だな」
ユリウスが悩み続けたことには、即答が返ってきた。
「だが……」
包帯だらけのユリウスは、何とかエースを説得しようとした。
「いいか?よく聞け。私に仕えてルールから逃れようとしても無駄なことだ」
「うん」
騎士はニコニコ返事をする。
「仕える相手を変えたところで、しょせん、ハートの騎士の役割からは逃れられない」
「うんうん」
「私の与える仕事は激務だ。給料もほとんど払ってやれないし、危険も多い」
「うんうんうん」
「……それでも、なりたいのか?」
「うん!」
……悲しいほど即答だった。
――いや、こいつは多分、何も考えてないな。
ユリウスは動く方の手で頭を抱える。
つきあいが長くなるにつれ、エースという男の馬鹿さ加減も見えてきた。
恋の相手が男だろうと、ルールを破りかねないことをしようと、何も考えていない。
馬鹿だ。馬鹿を理解し、説得する作業も面倒になってきていた。
「まあ俺は頭が良くないけどさ、今のままじゃ、ユリウスが死ぬってことくらいは
理解してるぜ?」
「…………」

「俺なら捕まえられる。時計を壊した、大罪人の三月ウサギを」

声に力みは一切ない。事実を平然と述べているように。
そして馴れ馴れしくユリウスの肩に手を回し、片目をつぶる。
「俺から逃げようったってダメだぜ、ユリウス。
こんなボロボロのユリウスを見捨てるなんて、騎士じゃない。
放っておけなさすぎるんだ、ユリウスは」
そしてユリウスは深く深くため息をついた。
もう押され負けたとしか言いようがない。

「……分かった。部下にしてやる」

そして、しばし沈黙があり、
「そっか!やっと許してくれたんだな!」
エースは芯だけになったリンゴを近くの草むらに放ると、ふいに立ち上がった。
そして剣を抜く。
「おい、何のつもりだ?」
騎士の唐突な行動にはそろそろ慣れっこだ。
ユリウスはやや警戒して声を低める。
すると、エースはその剣をこちらに差し出した。
「ん」
「は?」
「叙任だよ、叙任。ユリウスが剣を持ってくれないと始まらないだろ?」
あっさりとエースが言う。
「……はあ!?」
「ほら、持って持って」
「お、おい!」
エースはユリウスの手に無理やり剣を押しつけると、数歩下がる。
そして片膝をついてひざまずき、ユリウスに深く頭を垂れた。
「い、いや、ちょっと待て……痛……っ」
慌てて立ち上がり、傷に響いてうめく。というか剣がずっしりしていて重い。
こんなものを軽々と振り、銃弾まで弾くとは……と内心舌を巻く。
「エース。叙任と言われても、私は流れも宣誓の言葉も何も知らないぞ。
それに、本来の叙任式は、城か教会で行うものだろう。何もこんな場所で……」
すると騎士は顔を上げた。珍しく笑顔を消した、真面目な顔で言う。
「形式なんてどうでもいいさ。ユリウスの好きにしてくれよ。
ユリウスが俺を部下にして、俺がそれを誓うのが重要なんだ」
……珍しく騎士が正論を言ってきた。
そしてエースは再び頭を垂れ、静かにユリウスの言葉を待つ。
――全く、普段は常識もルールも無視するくせに……。
ユリウスの方は包帯だらけのボロボロな格好。
騎士は教会の石畳ではなく草の上にひざまずく。かたわらにあるのは薄汚れたテント。
そしてユリウスは少し考え、シンプルにまとめることにした。

「我、汝エースを我が騎士とする。ルールを重んじ、時間を乱す者には罰を」

そして騎士が宣誓をする。

「ここに誓う。我が主君、時計塔が主ユリウスに永遠の忠誠を」

茶番の儀式だが、エースの声には笑いも何もない。
まるで大聖堂で誓いを立てる本物の騎士のように、真摯に頭を下げていた。
だからユリウスも、重い剣をどうにか持ちあげた。
ゆっくりと騎士の肩に置くと、軽く剣の平で打った。
そして騎士が顔を上げる。そしてユリウスに手を伸ばす。
「?」
「ユリウス、剣を俺に渡して」
「あ、ああ」
誓う側にリードされる叙任式も妙なものだが。
ユリウスは重量に耐えきれなくなった片手で、何とか騎士に剣を渡す。
すると騎士はそれを恭しく両手で受け取る。
そして鞘を取り出し、目の前で水平に、鞘に収めた。
柄と鞘の触れる何より硬い音。
「……これで、おまえは私の騎士だ」
そう言って、ユリウスは小さく息を吐く。
「ああ」
そして騎士が感慨深げな声で答えた瞬間。

突然、周囲の景色が乱れた。

「……?」
さすがに予想外だったらしい。
エースはユリウスを守ろうと考えたのか、一度おさめた剣を抜こうとする。
だが、ユリウスは予測していたのでそれを制する。
「大丈夫だ。あいつらが挨拶にきただけだ」
「あいつら……?」
そして瞬きをした後、そこは監獄に変わっていた。

冷たい監獄の檻の前には、監獄の所長と道化がそろって立っていた。
「よう、迷子」
「やあ、エース」
「……ジョーカー。それにジョーカーさん?」
エースが首をかしげた。そして『ああ』、と手を打つ。
「そっか、俺、処刑人にもなったから……」
「そういうことだ。これからは、俺たちの命令にも絶対忠実だからな」
鞭をかまえた所長は偉そうに、エースに告げる。
「うんうん」
やはり聞いているのか聞いていないのか、笑ってうなずくエース。
「そっかそっか。これで俺もお役人の側か」
「そういうことだ」
ユリウスが腕組みし、所長が鞭を構え、道化の団長が笑う。

「監獄へようこそ。処刑人エース」


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