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■八方ふさがり

三月ウサギは分が悪いと思ったらしい。
「時計野郎!!今回は見逃してやるが、次は絶対に始末するからな!!」
捨て台詞を吐き、脱兎が走って行く。
「あははは。マフィアに入ったら、言うことが悪役っぽくなったんじゃないか?」
気楽に手を振るエースは、最後の銃弾を軽々とかわし、剣を鞘におさめた。
「さて」
そして地面に伏せたユリウスを見下ろす。
「…………」
ユリウスはもう手を動かす力もなく、ハートの騎士を見上げた。
「まず応急処置しなきゃな」
騎士は青空のように爽やかに笑った。

…………

……ごく最近にも、同じことがあった気がする。
「はい、ユリウス、口を開けて」
エースは膝の上に包帯だらけのユリウスを抱え、スプーンを近づける。
拒んでも、延々と口元をつつかれるだけだと知っているので、渋々口を開けた。
するとやわらかく煮込んだ米が流し込まれた。
「……っ……」
口の中は切れているし、飲み込むだけで、一苦労だ。
けどエースは次のさじを近づける。
「ほら、頑張れよ。傷は巻き戻るけど、それまでの体力をつけないと」
銃弾を剣で弾く男は、長身の自分を片腕で支え、全く疲れた様子がない。
今さらながら、体力の違いを思い知らされる。
一口一口に時間をかけて食べさせられ、少しずつ身体が温かくなってくる。
「…………」
ついに、もう食べられないと、小さく首を振る。
「ん?もういらないって?そっか。じゃあ、最後に甘い物を取ろうぜ」
と、頭上で何かを咀嚼する音……。
……上体を持ち上げられたかと思うと唇を重ねられ、生温いリンゴが流し込まれる。
――これ、口移しする必要があるのか?
一転、最悪の気分にさせられ、ユリウスは眉間にしわを寄せながら飲み込んだ。
だが滋養と甘味が傷ついた胃に溶け込むにつれ、不快な思いも薄れる。
そしてユリウスはゆっくりと眠りに入っていった。
「おやすみ、ユリウス」
エースが髪を撫でる感触がしたが、以前ほど不快ではなかった。


夢の空間には夢魔が待っていた。
「災難だったなあ、時計屋。まあ、あいつにはごまかしておいてやるさ」
久しぶりに現れた夢魔は、ユリウスの無様な大敗をご承知のようだった。
ユリウスは憮然として、
「少し油断しただけだ。次こそは……」

「一人でやるなら次は死ぬ。間違いなく、な」

宙に浮き、厳かに夢魔は告げる。
「三月ウサギも、あまりにも情報が見え透いていたから、警戒していたのさ。
おまえがあの程度の策しか練れないと、底が割れたからには、次は全力で来る。
いや、向こうの方から仕掛けてくるかもな」
「…………」
一度の敗北の代償は大きい。焦っていた己には腹が立つばかりだ。
「……動ける者が私しかいないのでは、策も限られる。向こうは集団だから情報戦も
困難だし、戦力の一角を削るだけでも多大な金と労力がいる。
偽情報でおびき寄せるのが一番簡単で、確実だった」
「苦しい言い訳だな。おびき寄せたところで、完敗しちゃあ意味がないだろう。
騎士がいなかったら、今頃おまえは時計に戻っていたぞ」
「だろうな」
夢魔は腕組みし、虚空を見て目を細める。
「グレイの奴がまた騒ぐだろうなあ。もう、エイプリル・シーズンが終わるまで
クローバーの塔で大人しくしていたらどうだ?」
「大罪人を放置することは出来ない」
キッパリ言い、夢魔を見上げる。
「そうだ。おまえからも、トカゲに釘を刺しておけ。
いい加減、気色悪い恋情を捨て、まともな女を探せと」
「勘弁してくれ。ナイフを投げられたくないし、私は忙しい。自分で言え」
ユリウスはジロリと夢魔を睨む。
「忙しい?さんざんサボっておいてか?だいたい、クローバーの塔の主なら……」
そして苛々のはけ口とばかりに、ユリウスが痛い箇所を突こうとすると、
「あ、ああ!そ、そろそろ行かねばな!ああ、忙しい、忙しい!」
わざとらしく言い、夢魔は空中を漂っていく。
「おい待て、芋虫!話は終わっていない!」
「……すまないな、時計屋。本当に……すまない」
声が夢の空間に溶けていった。そして意味のない話し合いは終わった。

…………

担いでいたユリウスを背中から下ろし、エースは笑う。
「よし、ユリウス!しばらくここにキャンプするからな!」
「…………」
空が青い。エースが連れてきたのは、やけに眺めのいい丘の上だった。
ユリウスは、全身を包帯でグルグル巻きにされ、利き手にギプスまでさせられた
状態だった。異議があろうと抵抗は出来ない。
「本当はハートの城の、俺の部屋に連れて行きたいんだけどさ。
多分たどりつけないと思うから、ここでいいよな」
「…………」
領土が違うという話以前に『たどりつけない』が理由と来た。
遠くに見えるサーカスを見、ユリウスはため息をつくしかない。するとエースは、
「だって仕方ないだろ?今の状態のユリウスはあんまり動かせないし、街の宿じゃ
襲撃が心配だ。まあ、それでも塔に帰りたいなら頑張るけど……」
「いや、いい……」
騎士に背負われ、注目を集めながら塔を目指して迷う自分を想像し、頭が痛い。
この姿をトカゲや塔の者に見られ、根掘り葉掘り聞かれるのも嫌だ。
「ここでいい。さっさとテントを張れ」
「了解!」
力なく答えると、エースは嬉しそうに笑い、ゴソゴソとテントの設営を始める。
近くに下ろされたユリウスは、手伝うことも出来ず、風に髪をなびかせ、ぼんやりと考えた。
――次は、どんな作戦で三月ウサギを捕らえるか……。
いや、もう作戦も何もない。力の差は圧倒的。こちらはあの狭い部屋だけが領土だ。
人手も猶予も金も、何もかもが足りない。
別の国に、協力者や、協力してくれそうな者がいたような記憶もあるが、現時点では
どうにもならなかった。このままでは八方ふさがりだ。
何を優先させるべきか。
男としての矜持か、時計屋としての責務……この世界の秩序の維持か。

――考えるまでもないな。

「…………」
ユリウスは黙ってエースを見る。
「ん?何?ユリウス」
視線を受けたエースは、嬉しそうに振り返り、ユリウスに笑いかけた。

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