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■惨敗

撃たれた、と思った瞬間には、目の前に靴が見えた。

「……っ!!」

腹に靴がめりこみ、ユリウスは背後の木の幹に叩きつけられる。
背骨に激痛。そして衝撃を受けた胃が猛烈に逆流し、猛烈な吐気を訴える。
だがかまっているヒマはない。次の衝撃に備えようと身を固めるが、
「遅ぇよ!!」
後頭部に銃の本体を叩きつけられたらしい。目の前が一瞬だけ白くなる。
もしかすると本当に数瞬ほど気絶していたかもしれない。
だが気絶する慈悲も与えられず、再び腹を拳で殴られた。
「ぐ……っ!」
そして蹴られる。身体を、顔を、何度も何度も。
「う……あ……ぐっ……!」
ユリウスは地面を玩具のように跳ね、合間に吐瀉物と胃液を吐く。
だが襲撃者は無慈悲に、靴を腹に叩きこむ作業を止めない。
すでに銃もはじき飛ばされ、森には一方的な暴力の音と、くぐもった声が響いた。


眉間に鉄の感触を覚え、わずかに目を開く。
「う……」
どれだけいたぶられただろうか。
恐らく、何本も骨が折れているのだろう。全身が激痛で焼けつきそうだ。
「あんた、本当に弱すぎだぜ、時計屋……」
失望した声で、三月ウサギがユリウスを見下ろしていた。
ユリウスが頭部から流れる血もぬぐえず、不明瞭な視界で三月ウサギを見上げると、
「あんたさ、マフィアの2を誘うならもっと上手くやれよ。
情報を流してきた奴は、ちょっと拷問したら、すぐあんたの名前を出したぞ?
あんたが気配丸出しでゴソゴソ現れたとき、笑いそうになったぜ」
スナイパーのごとく、ユリウスが撃ちやすい場所に出てくるのを待っていたようだ。
奴の忍耐力と復讐心を、測り間違えていたらしい。
「この程度だったのか、時計屋ってのは」
「…………」
稚拙だったことは認める。だが余裕も人員もなかった。焦ったとしか思えない。
そしてまた身体を蹴られる。
「……ぅっ……」
肋骨にヒビが入ったのだろう。吐き尽くして胃も空だ。
夢魔のように、血の混じった胃液が口からこぼれた。三月ウサギはそれを見下ろし、
「前の、チンピラの俺と同じだと思ったか?今の俺はブラッドの部下なんだぜ?」
「…………ぐ……っ」
利き手を三月ウサギが踏み、力を入れる。骨を折る気かという重量だ。
「無様だな、時計屋。本当にカッコ悪いぜ」
三月ウサギの目には蔑みしかない。
「ブラッドなら、こんな無様な姿は絶対に見せない。窮地でも堂々としてる」
狂った男の言葉からは、狂ったボスへの忠誠心の萌芽が見えた。
そして三月ウサギが、改めて銃口をユリウスに突きつける。

「まず、俺の親友を殺したことを、土下座して詫びてもらう」

……そういえば、三月ウサギは帽子屋にだまされ、ユリウスが親友を殺した、という
根も葉もないデタラメを信じていたのだった。
「……ことわ、る……」
冤罪を立証するのは、この世界ではもはや不可能だ。
「……っ!!」
利き手から嫌な音がした。三月ウサギが、ユリウスの手の骨を踏み折ったらしい。
「死んでも、ごめんだ……」
痛みに震えながら拒み通した。
例え望み通りに土下座しても、最終的には殺されるに決まっている。
「なら死ねよ!!時計野郎ぉっ!!」
「――ぅ、ぐ……っ」
また蹴られる。何度も何度も何度も。もう反撃の糸口もつかめない。
――やはり……無謀だったか……。
不明瞭になる視界の中、今さらながらに実感する。
焦っていて、判断を致命的に誤ったとしか思えなかった。

「こんなもんだったのか」
血と土に汚れ、声も出せないユリウスに、三月ウサギが言う。
「こんな小さい男に、俺は仕えようとしていたのか」
一言でユリウスの矜持を斬りつける。
そしてこめかみにまた鉄の感触。
「俺は、マフィアの2として生きていく。俺の復讐も、ここで終わりだ」
「…………」
だがユリウスは手で地面の草を握りしめる。
激痛に意識を奪われそうになりながら、三月ウサギを睨み上げた。
「好きに、しろ。だが……私が、死んでも、新しい時計屋が……私の時計を、直す」
三月ウサギが眉をピクリと動かす。
「おまえの、友の時計も、すでに、私が作り直した……」
「何だと……」
ユリウスは嘲笑を口に乗せた。
「時計を、破壊しても……無駄だったな。罪だけを増やして、愚かな……」
「てめえ……あいつを侮辱する気か!!」
蹴られても、なぜか痛みを感じない。
今さら怒らせたところで、瀕死の身に恐れるものはない。
「一人激怒し、空回り、踊らされ、間違った相手を撃ち、溜飲を下げていろ……。
おまえは無意味だ、その存在も、感情も、友への思いも……」
三月ウサギの温度が氷点下まで下がる。
「残ったのは、時計破壊の大罪だけ、だ。
今私を殺しても、処刑人が、おまえを……必ず、捕らえる……」
「なら何でおまえが来た。処刑人ってのはどうしたんだ」
「…………」
さすがにそこまで説明してやる義理はない。
ただ己の時計が終わる前に、少しでも相手の時計にヒビを入れたかった。
死の間際におかれても、己の陰険な性根は治りそうにないらしい。
ユリウスはフッと自虐的な笑みをもらす。そして三月ウサギは銃を構え、

「……死ね」

そして間髪を入れず、銃声が森に響いた。


……こうなることを、ユリウスは予測していなかったわけではない。
「騎士っ!何で割って入った!てめえには関係ねえだろうが!!」
復讐を一歩手前で果たせなかった三月ウサギ。怒って銃弾を撃ち込むが、
「うーん、でもさ、俺は騎士だからね。弱いものいじめは放っておけないんだ」
撃たれる寸前に現れ、あっさりユリウスを救ったのは、ハートの騎士だ。
トカゲとの戦闘を終えて、ユリウスを追ってきたらしい。
今はユリウスを守るように三月ウサギとの間に立ちはだかり、剣で銃弾を弾く。
本来ならありえない光景も、そろそろ見慣れてきた。
そして戦うエースは、嬉しそうにユリウスを見下ろした。
「あはは。処刑人に大罪か、いいこと聞いたぜ」

……またギリギリまで、ユリウスの苦境を放置していたらしい。

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