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■時計屋の出発・下

「お、おい!トカゲ!!」
ユリウスは慌てて、周囲を確認する。幸い、視界にうつる範囲に人はいないが。
引き離す前に、トカゲがユリウスに唇を重ねる。
さっきの戯れの口づけと違い、深く、強い力だった。
「……っ!〜〜っ!」
ユリウスはもがき、トカゲの身体を押し返そうと必死だった。
ここは作業場でもトカゲの部屋でもない。誰かに見られでもしたら……!
だがトカゲは切なそうにユリウスを抱きしめ、首筋に顔をうずめる。
「…………」
熱い。爬虫類のはずなのに、トカゲの身体をやけに暖かく感じる。
それくらい強く抱きしめられているからかもしれない。
「俺では、ダメなのか?俺が男だから?騎士ではないからか?」
「……あいつは関係ない。同性と関係を持つ気はないと、何度も言っているだろう」
素っ気なく返答したつもりだ。だが……時計がきしむ。何かが痛かった。
「おまえが、好きだ」
その声は震えていた。トカゲは騎士とは違う。強気に出ることはあっても、騎士の
ようにユリウスの意向を完全に無視することは出来ないのだろう。

「……すまん」
他に言葉が見つからない。期待を持たせることは言えない。
「時計屋、俺は……」
そしてトカゲが何か言おうとしたとき、

「……ん?」
ユリウスはトカゲの腕の中で我に返る。
何か、ココアの甘い香りに混じって異臭がした気がした。

「どうした?時計屋」
ユリウスの雰囲気に気づいたのか、トカゲも声のトーンを戻し、聞いてくる。
「トカゲ。何か、変な臭いがしないか?」
「……臭い?」
すぐさまトカゲはユリウスから身を離し、袖口で口と鼻をふさいだ。
「賊か?テロか?ナイトメア様に何かあったら……」
先ほどまで、男を口説いていたとは思えない、切り替えの早さだった。
ユリウスは内心呆れつつ、『臭い』の発生源に感謝する。トカゲは、
「時計屋。おまえは一度、部屋に戻れ。毒ガスなら大ごとだ」
だがユリウスは首を振る。
「テロに使うような猛毒のガスなら、無臭か、気がついたときには……ということが
多いはずだ。それに、この臭いは……」
「……――!」
トカゲもハッと思い当たったらしい。
二人で顔を見合わせ、同時に呟く。
『……焚き火?』

…………

……ユリウスは考える。
脇をコソコソと通りすぎるべきか、遠回りして別の道を探すべきか。
そして目の前では声が飛び交う。
「廊下は焚き火をする場所でも、キャンプをする場所でもない!!」
「あはは!だってユリウスの部屋にたどりつけないんだ、仕方ないだろ?」
……それとも鎮火をすべきだろうか。
目の前にはテントと……廊下でパチパチ燃える焚き火。
そして大まじめに刃物をふるう獣が二人。
「たどりついたところで、時計屋がおまえのようなガキを入れるか!」
「あはははは!ユリウスとのつきあいは、俺の方が長いんだぜ?」
「長い短いの問題か!時計屋に面倒をかけるな!!」
「いやいや、ユリウスは、実はそういうのを喜んでいるんだぜ!」
――……喜ぶか。
それと、誰が来るか分からない場所で、露骨な会話は遠慮してもらいたい。
ユリウスは腹を決め、足音を立てないよう、二人の戦う脇を通りすぎようとした。
「あ!ユリウス!どこ行くんだよ!」
さっさと気づいたエースが、斬り合いの中、慌てて言ってくる。
「おまえには関係ない」
冷たく返答し、馬鹿二人の傍らを通り、歩いて行く。
「関係あるさ!俺はユリウスの部下なんだぜ?」
「おまえが勝手に言い張っていることだ。私に部下は必要ない」
一片の感情もこめず、答えてやる。
「分かったらあきらめて帰れ!騎士!!」
トカゲが調子を合わせ、エースを妨害する。エースは口を尖らせ、
「でも俺を選ばないから、トカゲさんを選ぶってワケでもないだろう?」
気のせいか剣戟(げき)の音がさらに強くなったような……。
「待てよ、ユリウス!本当にどこに行くんだ!?」
後ろから声をかけるエースはしつこい。
「時計屋の役目を果たしにいくだけだ」
役を放棄したがっている男に答え、ユリウスは戦闘の場を後にする。
「グレイ様!?」
「何だ、この臭いは!」
騒ぎに気づいたらしい塔の職員たちが、慌ただしく走っていく横を通りすぎて。

…………

森は夕暮れに包まれ、不気味なほどに薄暗かった。
――確かこのあたりだと、情報を流させたな。
身をかがめ、木の陰をつたうようにして進む。

三月ウサギを捕らえる。罪状が確定したのなら、時計屋として放置は出来ない。
だが処刑人は不在。
候補者もおらず、協力者も期待出来ない現状では、自分が動くしかない。
稚拙な手ではあるが、情報を流し、三月ウサギをおびき出すことを狙った。
「…………」
やがてユリウスは一本の木の陰に身をひそめ、ふところから銃を出し、息を殺す。
――奴は来ているのか?
だが探れど気配はまるでない。
それでユリウスは銃をかまえ、三月ウサギが現れるのを待った。


――ガセだと思われたか?
数時間帯ばかり経ち、また夕暮れに転じた森の中で、ユリウスは思う。
三月ウサギが現れる気配はない。
たまに音がしても、たいていは獣や鳥が動く音だ。
緊張していたのも最初の一時間帯くらい。あとは独り相撲の疑念との戦いだ。

――やはり、こういうことには向かないな。

ついにユリウスはあきらめ、銃をふところに収めて木の陰から出た。
そして腕組みし、呑気に歩き出す。
――流す情報を精査して、もう一度やってみるか。
若干の虚しさを胸に、クローバーの塔への道を帰ろうとし。

そして銃声と、脇腹への熱を感じた。

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