続き→ トップへ 目次

■時計屋の出発・上

窓の外は分厚い雲がたれこめている。もうすぐ雪が降るのだろう。

ユリウスは窓から目を離し、作業台を見た。その上はきれいに片づけられている。
修理すべき時計は全て修理し、急を要する用事もない。
そして時計屋ユリウスは、懐からスパナを取り出した。
スパナは取り出したとき、一瞬だけ光り、次の瞬間には銃に変わっている。
銃を作業台に置く。ゴトリと重い音がした。
ユリウスはそれを分解し始めた。
細かいパーツに変わっていく凶器を、一つ一つ、時計を修理するような手つきで、
慎重に点検する。強度、ゆがみ、傷、全てをチェックし、異常なしと結論づけた。
それから再び元の銃に戻す。
ユリウスが銃を片手で持ち、重さを確かめるように構えると、
「時計屋、入るぞ」
扉が開き、トカゲの補佐官が入ってきた。
「仕事中か……ん?」
トカゲの持つトレイの上には、例によって湯気の立つココアが二つ置かれている。
だがトカゲは、銃をいじるユリウスに驚いたらしい。
ユリウスが銃をトカゲに向けると、少し笑い、
「どうした?時計屋。俺との、ルールでの撃ち合いはまだ先だろう」
「試し撃ちをしたいから、そこに立っていろ」
と、トカゲを狙うフリをすると、トカゲは苦笑してトレイを作業台に置く。
「あいにくと、ナイトメア様を置いて逝くわけにはいかないな。
いや、それ以前に、おまえに負けるはずがない」
「おい、トカゲ……」
さすがに少し青筋を立てて言うと、
「だがそうだろう?俺はナイトメア様の護衛もしている。
剣客が時計屋ごときに負けては立つ瀬がない」
露骨に見下している物言いだが、反論出来ない。
ユリウスは本当に撃ってやろうかとしばし葛藤した。
するとトカゲが声を上げて笑う。
「はは。それで?今回は誰と出会わなければいけないんだ?
不安なら、俺もついていってやろうか?」
どうやらユリウスが、ルールの撃ち合いに出かけると思ったようだ。
「いらん!」
銃をふところに収め、仏頂面で立ち上がる。
「急ぎか?ココアくらい腹に入れていけ。
空きっ腹では、撃ち合いのときにわずかな隙が出来る」
「おまえは私の妻か何かか!変な世話を焼くな!」
そのままトカゲの傍らを通りすぎようとしたとき、肩をつかまれる。

「世話を焼かせてもらう。おまえは俺の恋人だ」

そして唇を重ねられた。
「…………っ!」
……もはやこの爬虫類には、話が通じない。
抵抗するにも体力がいる。ユリウスは肩を落とし、口づけの終わりを待った。
「心配はしていないが、無事に帰れよ、時計屋。次のサーカスも近いからな」
少ししてから、やっと顔を離してトカゲが言う。
「…………」
ユリウスは無視し、急ぎ足で扉に向かった。

…………

クローバーの塔の廊下は、ひんやりとした寒さに包まれている。
ユリウスは冷たい床に靴音を立て、静かに歩いて行った。
そして後ろから、もう一つの靴音がする。
ユリウスが足を止めると、背後の靴音も止まる。
「おい、トカゲ。いつまでついてくるんだ」
振り向くと、トカゲが立っている。冷めたココアを二つ、トレイにのせて。
「たまたま行く方向が同じなだけだ」
しらっとして答えられる。言葉の真偽は、表情からは分からない。
ユリウスはしばらくトカゲを睨みつけていたが、トカゲが一歩も譲るつもりがない
と悟るとついに諦めた。歩き出すと、後ろの足音も再開する。
そのまま無言でユリウスは歩いた。

「時計屋」
しばらくしてトカゲが言う。
「何だ?」
「おまえは一人で、何を抱え込んでいる」
「……おまえたちには関係のないことだ」
秩序を維持する話だ。夢魔も立場が異なるし、安易に情報を出すことは出来ない。
するとトカゲがフッと笑う。
「出会ったときから変わらないな。援助を拒み、意地を張って、路地で死にかける。
塔の利益になると言い訳でもして、こちらの支援を引き出せばいいものを」
「…………」
トカゲが一歩近づく。ユリウスは動かない。
何かに勘づいているのだろうか。
間近に見えるトカゲのまなざしは、真剣そのものだった。
「なあ時計屋。今は時計塔がないんだ。そう意地を張っていては、そのうち死ぬぞ」
「……気遣いには感謝する」
「感謝するなら頼れ。何をするつもりか知らないが、人員や道具が何か必要か?
俺は喜んで手配するし、護衛だってする」
まあ、帽子屋ファミリーとのもめ事は、トカゲも知るところだ。
エイプリル・シーズンの到来でうやむやになった面はあるが、それだけで終わったと
思うほど、楽観的な補佐官ではないだろう。
「何も必要ない。私は撃ち合いに行くだけだ」
ユリウスは堂々と嘘をはく。
「…………」
トカゲは寂しげに切れ長の目を伏せた。
そして次の瞬間、

――っ!!

トレイが落ちるのがわずかに見えた。
カップが砕ける音が聞こえた。ココアが散乱したのだろう、甘い香りが鼻腔をさす。

「時計屋……っ!」
トカゲがユリウスを抱きしめた。強く、強く。


1/5

続き→

トップへ 目次


- ナノ -