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■ナノ、男になる・下

「ブラッド。お久しぶりです」
部屋に入って、頭を下げる。仕事をしていたブラッドは上機嫌に笑いかけ、
「やあ、お嬢さん。来てくれて嬉しいよ。さっそくお茶会にしよう」
とベルを鳴らそうとする。けれど私は、変化に気づかない彼にピクリと眉を動かし、
「ブラッド、何か『俺』の変化に気づきませんか?」
するとブラッドは私を上から下まで眺め、
「ふむ。胸がほんの少し小さくなったな。君は減量などせずとも十分に愛らしいと思うが」
ほんの少しっ!?宣戦布告か!受けて立つぞっ!!
……コホン、我を忘れておりました。
「そうじゃないです。『俺』、男になりましたから。
もうボスの女は出来ませんから、お別れに来たんです!」
フンっとふんぞり返って言ってやる。
「何……」
さすがにブラッドも絶句したようだ。
ブラッドにそっちの趣味は確実にない。
これでマフィアのボスとの不毛な関係に終止符が打てるわけだ。
それだけでも日常生活の自由度がグンと跳ね上がる。
「ナノが男に?それは厄介だな。
いかに君といえど、男と淫らな行為にふける趣味はないからな」
もはやこちらは勝利を確信、
「そういうわけですから、もう店に変な嫌がらせとかしないでくださいね。
友達としてなら、たまには遊びに来ますから」
じゃあ、と男らしく手を振って去ろうとすると、
「エリオット」
「何だ、ブラッド!?」
打てば響くエリオットの返事。そして開く扉。
部屋に入ってきたエリオットはチラッとこちらを見、
「お、ナノ。男になったのか。可愛いぜ」
微妙な褒め言葉を寄こしてきた。ブラッドは頬杖をつきながら、
「そういうわけだ。後はまかせたぞ」
「おう、きれいにやってくれるところに預けるからよ!」
エリオットは頼もしくブラッドに笑って、こちらの手を引っ張って出て行く。
後ろでさっさと閉まる扉。
「え?ちょっと、エリオット。どこに行くんです?」
「どこって、病院に決まってるだろ?」
「へ?病院?」
「ああ。裏の連中が使うようなとこだけどな。でも怖くないぜ。麻酔を使って、
寝ている間に終わるからよ。傷も残らないから安心しな」
「な、何がです?」
答えを聞くのが怖かったけど、聞かずにいられなかった。
エリオットは太陽のような笑顔で、
「女になる手術だよ」
「――っ!」
「何、真っ青になってんだ?あんた、もともと女だから元に戻れて嬉しいだろ?」
「いやいやいやっ!あ、あそこを×××××のだけはっ!!」
というか女が男になりさらに女になる課程を『元に戻る』と言っていいのかどうか。
男のあなたなら、この恐怖が分かるでしょう、と訴えるけれど、
「すまねえな。ブラッドのためだ」
「エリオットぉーっ!」
すまなそうな顔をしながらも、容赦なくこちらを引きずるエリオット。
帽子屋屋敷に悲痛な叫びがこだましたのであった。

…………
夢の空間をナイトメアは優雅に飛んでいく。

「というわけだ。君が望み通りに性別を変えたらそういうことになる」
「まあそうですよね……」
そう、全部夢だったのだ。
でも夢だと分かっていても、手術への恐怖が今も生々しく思い出される。

何というか、いろいろ嫌になり、いっそ性別を変えたら解決するのでは、と思った
のがきっかけ。ナイトメアに夢で相談したところ、表情を変えずシミュレーションして
みせてくれたのだ。
しかしどいつもこいつも、性別の壁をあっさり乗り越えるか、力ずくで女に戻すか。
恐ろしや、恐ろしや。
「うう。とりあえず、楽な道に頼らず気長に断り続けてみます」
「それがいいだろう。だがオススメは私の部下なんだがなあ……」
「まあ、こればっかりは何とも」
いっそ心を操ってくれたらいいのに。
誰かが好きで好きで、心が埋め尽くされるくらい大好きになれたら。
そう考えているとナイトメアが私の心を読んだらしい。
「それもオススメはしないが……やってみるか?」
ナイトメアは指を鳴らした。
そして私の周囲の風景が変わった。

…………
あー、ブラッドが大好き。
ブラッドのことしか考えられない。
世界が真っ暗だとか、私が心底から無能で愚か者だとか。
認めることを恐怖した全てが今は受け入れられる。

ブラッドという灯りがあれば何も怖くない。
ブラッドだけいればいい。ブラッドの他はどうでもいい。
今の私はそんな心境だった。
「……お嬢さん。真っ正面の床に正座し、茶をすするのは止めてくれないか?」
「はあ」
私は懐に玉露の袋を持ち、ずずーっと茶をすする。
なぜだか今は以前ほど美味しいと感じない。
そして立ち上がり、ブラッドに懐の玉露の袋を差し出す。
「ん」
「……いただこう」
たいそう複雑な顔をして受け取るブラッド。
うん、どんなブラッドも大好き。
ブラッドはくしゃくしゃになった私の玉露の袋をしばらく見、
「これは以前、君が大切にしていたものだと思ったが、なぜ私に?」
「さあ」
「…………。それと君は何でずっと無表情なんだ?いつもの笑顔はどうした?」
私は返事をしない。なおも無表情で、じっとブラッドを見る。
「ふむ」
ブラッドはしばらく懐の玉露と、自分をガン見する私を見比べていた。
そして、何度も何度も何か言いかけ、やっとのことで私に言った。

「……もう少し、私のそばに来るか?」

「いいよ」

私はブラッドの座る椅子まで行き、無表情で彼の足下に正座する。
そのまま背筋を伸ばし動かない。
「頭を私の膝に乗せなさい」
「うん」
ちょこんと彼の膝に頭をもたれさせると、大きな手が頭を撫でる。
私は最初、身体を強ばらせていたけど、やがて力が抜ける。
ブラッドに身体を預け、安心して目を閉じた。
そして、いつになく穏やかなブラッドの声が、
「これからゆっくりと、本当の自分の出し方や、甘え方を教えてやらないとな」
「ん」
耳元を撫でる手をくすぐったく感じながら、私は眠りに落ちていった。
夢から覚めるために。

…………
その後。夢が覚めて現実に戻って。
いつものようにお店で飲み物を作っていると、グレイが駆けてきた。
「いらっしゃい。どうしたんですか?」
ニコニコ笑う私。グレイは汗をかきながら、
「はあ、はあ……い、いや、ナイトメア様に大変な悪夢を見させられてな。
どんな君でも受け入れると決めたのだが……でも良かった、本当に良かった」
と何度も何度も言い、ココアを飲んで帰っていった。

…………
「何ですか、エース。人の胸をじろじろ見て」
「あはは。変な夢見ちゃって。えーとさあ。その胸、本物か確かめさせて?」
公共の場で痴漢行為に及ぼうとした変態は、通りがかった敬語眼鏡ウサギが成敗してくれた。
お礼に紅茶をご馳走し、二人して敬語談義に花を咲かせたのでした。

…………
「……なぜ私が来ると分かった、お嬢さん」
憔悴しきった顔で現れたブラッドは、ダージリンを差し出すと驚いた様子だった。
「いいえ、何となくいらっしゃるかなあと思って」
「そうとも。君に関して、大変な悪夢と大変な吉夢を見てしまったのだ」
ダージリンをすすり、私を睨む。私はニコニコとブラッドに、
「悪い夢と良い夢ならバランスが取れていていいじゃないですか」
しかしブラッドは偉そうにステッキで私を指し、
「いいや。悪夢だけなら笑ってすませられた。問題は吉夢だ。
幸福を噛みしめていたら、その瞬間に目が覚めた。気分が最高に悪い」
「どんな夢だったんです?」
「それは……コホン、とにかくあれほど残酷な悪夢はなかった。
この紅茶を飲んだら夢魔を始末しにいく」
そしてティーカップを私に返し、大股でクローバーの塔に歩き出した。
「頑張ってください〜」
夢魔の領域で、グレイまでいてどう始末する気なのか知らないけれど。

「まあ、皆さんお元気で何よりです」
ティーカップを洗いながら、のんびりと晴れた空を見上げる私だった。
そういえば私自身も変な夢を見た気がする。
覚えていないけど、面白いような、楽しいような、嬉しいような、悲しいような。
でもまあいいですか、と空を見上げた。

不思議の国はいつも快晴だ。

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