続き→ トップへ 短編目次 長編2目次

■忘れた話17

空は快晴だ。
私は麦わら帽子をかぶり、正座して、ズズーっと茶を飲む。

「まあ、こんなオチだろうとは思ってたんですが……」
私は今、立派に記憶が戻っている。
「私もだ。気が合うな、ナノ」
ブラッドはシートにあぐらをかき、ほうじ茶を不味そうに飲む。
「君は私のことを悪し様に罵るが、君自身もひどい女だ。
私が軟化した時点で、君は十分に目的を達しただろうに」
麦わら帽子の位置を直し、私は首を傾げてニヤニヤする。
「さて、何で戻ったのやら分かりませんね」
ブラッドはなおもグチグチ言っている。
私の記憶が戻ったのはともかく『記憶喪失の間のことを一切合切覚えていない』点が
大変に不満らしい。

後に残ったのは、前と違い、シートでなごやかに和式お茶会をする私たち。
そしてサテンのリボンの麦わら帽子だ。
私はそっとブラッドにもたれる。
その肩をブラッドが抱き寄せた。
私は心の一部で彼に惹かれている。それだけは確かだ。
「マフィアはまだ嫌いか?」
「ええ、もちろん」
きっぱりと応える。
これだけは譲れない。何があろうとも。
進んで人を傷つけ、貶める人種とは関わりたくない。
「上手く行かないな、事を急いて、君とすれ違った」
ブラッドがため息をつく。
「あなたがマフィアということを忘れられたら……」
そこで言葉を切る。そういえば忘れていたのだった。
ブラッドは全てを忘れた私に会い、私はマフィアではないブラッドに会った。
一時期は対等で、かなり良好な関係を築けたらしい。
でも結局、あまり上手くいかなかったのだそうだ。

「私たちって根本的に合わないんですかね」
「それ以上は言うな。君でも撃ってしまいそうだ」
そのことに、私たちはお互いちょっと疲れていた。
「どうやっても、君は手に入らない」
「はあ」
ブラッドとの関係が多少改善していたのがせめてもの救いかもしれない。
――仲良くなりたかったのは、ブラッドじゃなく私の方だったんでしょうか。
自分のことなのに、分からなくなって首をかしげる。
難しいことを考えるのは苦手だなあ。

「ブラッド、私、そろそろ店に帰りますね」
私は立ち上がる。
「ああ、そうするといい。抱きたくなったらまた連れ戻しに行く」
連れ戻しに行く、と来た。飼い主モード復活の兆しだ。
早めに帽子屋屋敷を離れるのが吉だろう。
「これ、お返ししますね」
麦わら帽子を取って、ブラッドに差し出す。
意外なことにブラッドは何も言わずそれを受け取った。そして、
「これを君に返そう。時間が経ち、元に戻ったものをさらに洗浄した」
渡されたのは、きれいになった私の黒エプロンだった。
そして私にキスをし、耳元でささやく。
「この麦わら帽子は取っておこう」
「捨てていいんですよ。あなたには迷惑をかけたし」
「君にかけられる迷惑なら喜んで受けるさ」
「…………」
私は返事をせずにブラッドを見上げる。ちょっと顔が赤くなったかもしれない。
ブラッドは少し驚いたように私を見、そして肩をそっと抱いて、唇を重ねてくれた。
――こうやって、少しずつ近づいて行けたら……。
それでもマフィアは嫌いだ。いつか一緒になることはないのだろうか。
分からない。未来なんて不確定なことは何も。
私は少し切ない思いでブラッドを抱きしめた。


…………

……………………

黒エプロンをつけ、正座して、ズズーっと茶を飲む。
プレハブ屋根から見える空は実に爽快な青だ。
「ブラッドにはもう少し空気を読んで欲しかったですね」
下からは元気な声がかかる。
「ナノー!これでもう大丈夫だ!ブラッドもいつでもあんたに会えるし、
あんたも店を続けられる!」
大仕事を成し遂げたナンバー2は、疲れよりも誇らしげだった。
私はプレハブの屋根に正座し、新しい風景を見回す。
帽子屋屋敷の庭園である。店に戻って十時間帯もしないでこれだ。

目が覚めると帽子屋屋敷に『店ごと』移されていた。
どうやったのか人が寝てる間に『店を丸ごと帽子屋屋敷内に移動させた』張本人は、
「まあ、これで君が記憶がどうだのマフィアがどうだの、細かいことを気にせずに
私の物になれるだろう。君の自由意思も尊重した」
どこが。
下ではブラッド=デュプレが、すましてステッキを構え直す。
「さっすがブラッド!頭がいいぜ!」
だから、どこが。

あんな別れ方で、こんなオチをつけますか普通。

「マフィアの領地でお仕事なんかしませんよ?」
それだけは宣言しておく。ああ、頭が痛い。
「なら頑張って店を戻しなさい。私の領土内では君の友人や夢魔も役に立たない。
せいぜい自助努力をすることだ」
無言で立てた中指は一笑に付されただけだった。
――やっぱり合わないですよねえ。
何というか考え方の次元というか、いろいろ根本的に。
でも少しホッとしたりもする。
頭のよろしいマフィアのボスは、私のうじうじした悩みをアッサリ吹き飛ばす。
だからといって負けてはいられないけど。

「と、とりあえず、一度下りませんと……」

ブラッドと一緒なら、全てが何とかなりそうな気がする。
私の卑小な思いを越え、引っ張っていってくれる。
私はいつか彼の腕の中に飛び込めるかもしれない。
記憶喪失に頼らず、マフィアということにこだわらず。
小さな小さな光が、彼への熱い思いを強くする。

でもそんなことは内緒だ。
私は考え事をしながら平屋のプレハブ屋根から下りようとし、
「わっ……!」
足を踏み外して盛大に落ちた。
でも特に心配はしていない。
そしてすぐに衝撃では無く、別のものに身体を包まれた。

「気をつけなさい。まあ、予測の範囲内ではあったがね」
苦笑と、キスをしてくれる優しい陰。
「ありがとう、ブラッド」
そう、高いところから落ちたって怖くはない。
受け止めてくれる腕があると、分かっているから。


忘れた話・終わり

17/17
続き→
トップへ 短編目次 長編2目次


- ナノ -