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■忘れた話16

でもブラッドの表情は本気だった。
「屋敷内ですませたいところだが、君が望むなら教会で挙げてもいい」
「は、はあ、どうも……?」
何となく疑問系。呆然として、手渡されたカタログをパラパラめくり、
「あ、これ可愛いですね。でもこっちのもきれいかも……」
「気に入ったなら、何回式を挙げてもいい。ここでは毎日が誕生日だ」
――いえ『毎日が結婚式』は、さすがにどうかと……。
そこでハッと我に返る。慌ててカタログを返し、
「ていうか、あなたの結婚式について私に意見を求めないでくださいよ!」
誰と結婚するのか知らないけれど。
「君に意見を求めず誰に求めるというのだ」
「ご本人に聞けばいいでしょう!これじゃ、私とあなたが結婚するみたい……」
そこで言葉を切る。ブラッドに威圧された、としか表現しようがない。
彼は冷たい氷のような目をしていた。
私がブラッドの手を振り払ったときのように。
そしてブラッドは言った。

「私と君が結婚することに、何か異議があると?」

「は……?」
結婚?私が?ブラッドと?

「な、何でですか?だって、あなたはこんな大きなお屋敷の持ち主で、身分も……」
どもりながら、それだけやっと言った。
もちろん、彼が私を捨てる前提で、関係を持ったとは思いたくない。
ただ、私にしてみれば唐突すぎた。何もかも。

「したいからだ。実は君には一度求婚してすげなく断られた」
「え、ええぇ!?」
「それ以来、形式にはこだわらないつもりだったが、考えが変わった」
「え、ええと……」
何だろう、何なんだろう。麦わら帽子を取るのももどかしく、仕方なくブラッドの
手を包んでみる。ほとんど無意識の行動だったけれど、ブラッドは目を和らげた。
「ほら、君も私に好意を抱いてくれている。おかしなことではないだろう」
「おかしなことですよ!だって……」
「だって?」
言葉につまる。私は記憶喪失で、ブラッドの親切をずっと嬉しいと思っていた。
屋敷の人たちは、私とブラッドの仲が良いことを喜んでくれているし、私がブラッド
の部屋で寝起きしていることに疑問を抱いていないようだ。
でも違和感がある。
とにかく私の中の何かが警鐘を鳴らして仕方ない。
地雷原のお花畑を歩いている気分だった。

「い、意外ですね。ブラッドって、結婚式の話をしそうには見えないのに」
結局、無理やりに話をそらした。
というか言い寄る女を普通に撃ちそうな気がします。本人を前に言えませんが。
「それに、それにですね。私は記憶喪失の真っ最中ですし、頭が戻ってから……」
「私はしたいときにしたいことをする。君も結婚すれば気が変わるだろう」
遮られた。
「え、ええと……」
私は仕方なくカタログを開き、無い知恵を絞る。
どういうことなんだろう。何かがおかしい。
記憶喪失。
優しくて偉いブラッド。
前は私とブラッドが不仲だったらしい話。
突然に押し倒されたこと。
突然の結婚話……。

「わ、分からないです」
10秒で陥落。考えるのは苦手だ。
ただブラッドが何か焦っている風なことは感じる。
「分からないままでいい。君が難しいことを無理に考えようとするな。
そんなことは他の者に任せて、快楽に溺れていればいい」
待ってください。それは人間止めます宣言に等しいのですが。あと快楽て。
「それに記憶喪失状態の私と結婚するって……前はどうだったか覚えてませんけど
その……仲良しになってから、まだあんまり間が無いですし……」
そう思うと、馴れ馴れしくブラッドの手に触れていることが図々しく思え、手を離し
ブラッドから距離を取ろうとした。
「わっ!」
離した手をつかまれたかと思うと逆に引き寄せられる。そして、
「ん……」
背中をかき抱かれ、強引に唇を重ねられた。
「ブラッド……その、やっぱりまだ早いと思うんです。私はあまりあなたを思い出せ
ないのに、結婚とか何とか……」
ブラッドは私の唇をそっと舌でなぞり、怪しい声で、
「なら、今から結婚しておかしくない仲になればいい」

そう言って私をソファに押し倒す。
私は昼間からそんな気になれず、もがいた。
「ブラッド……やめてください……っ!」
けれど、あれだけ親切だったブラッドは、私がいくら暴れようが抗議しようが、顔色
一つ変えない。両手首をつかみ、身体を易々と押さえつける。
そして暴れる私を楽しむような口ぶりで、

「ナノ。何も心配することはない。すぐに何も気にならなくなる。
そして、終わったら教会へ行こう……」
何だか表情と真逆のことを言った。
――ブラッド……あなたのことは好きですけど。でもこれは……。
違う。やっぱり違うと思う。

そう自分の中で確信した瞬間に、何かが頭の内で弾けた気がした。

「あ……」

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