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■忘れた話15

「はあ……」
私はため息をつく。
あれ以来、ブラッドのことばかり考え続けている。
ただ、初恋のドキドキ的意味ではない。

――ブラッドって、本当に私のことが好きなんでしょうか?

よく分からない。
あのときは私自身も……その、気持ち良かったけど。
――何か、違和感が……。
私はじっとティーカップを見てため息をつく。
「どうした?お嬢さん」
そのとき声をかけられ、ハッとした。
そのブラッドが私を見ていた。
私たち二人は、草原に敷いたシートの上で、ラフなお茶会をしていた。

「確かにウバはミルクティー向けかもしれないが、この独特の味は、ストレートで
味わってこそ、価値が分かるというものだ」
「は、はあ……」
ブラッドは理由を説明する前に、ご親切に解説してくださる。
私が紅茶をよく知らないので、啓発に熱心なのだ。
毎日(といっても日付の概念のない世界らしいけど)のように二人きりのお茶会を
開き、珍しい紅茶、高そうな紅茶を惜しげもなく飲ませてくれる。
私はシートの上に正座して、ずずーっとティーカップの紅茶を飲む。
そして空になったティーカップの匂いをかぐ。
すぅっと鼻に抜ける甘い芳香。
「良い紅茶は香りも良いものですね。飲んだ後も楽しめます」
ブラッドは私の言葉に嬉しそうにうなずく。
「そのとおり!香りを楽しむのもまた紅茶の魅力だ。飲む前と飲んでいる間、そして
飲んだ後と、器に残った残り香。どれをとっても素晴らしい。紅茶の香りを表現する
用語には、フラワリー、グリニッシュ、フルーティーと……」
以下省略。語る相手がいればひたすら語り尽くすタイプなんだろうか。
まあ本人が楽しそうだからいいか。
私は正座し、膝の上に空のティーカップを持ち、笑顔でブラッドの話に耳を傾けて
いた。ブラッドは一人で勝手に盛り上がり、私の肩を抱き寄せる。
そして優しくキスをしてくれた。
――うーん……。
「お嬢さん?」
私の反応が芳しくなかったせいか、ブラッドは不機嫌そうに顔を離す。
「ええと、あの……」
どうにも返事が浮かばずにもじもじする。
――恋人、なんですか?私たち。
私とブラッドはまあ、ええと……仲良しなことになった。
今まで時間帯によって就寝時間を分けていたけど、今は一緒に寝ている。
寝るたびに愛し合っている。
ブラッドは私にとても優しくしてくれるし、私もブラッドは好きだ。
でも、何というか……。

――これは違いますよね。

「?」
自分で思って、自分で首を傾げる。
何が『違う』のだろう。
分からない。
ブラッドは気を取り直たのか、なおも紅茶に関する話を延々と続けている。
私はティーカップを置き、体育座りになってブラッドの話に耳を傾ける。
「だが紅茶の奥の深さとは、そのような陳腐な文句では到底表現出来ない、深淵の美学であり……」
ブラッドは幸せそうに話し続けている。
幸せそうな彼を見るのは嫌いではない。
仲良し同士で過ごす午後のお茶会。
――幸せなひととき、のはずなんですが……。
私は麦わら帽子を取り、くるくる回す。
「どうした、ナノ」
帽子を取るという大きな動きに、ブラッドがようやく『こちらに』戻って来た。
コホン、と恥ずかしそうにせきばらい一つし、
「つい話に夢中になってしまった。紅茶に詳しくない君を退屈させたようだ」
「いえ、こちらこそ」
何がこちらこそなんだろう。
私は適当に答え、また帽子を被る。
「お嬢さん、どうした?手が落ち着かないようだな」
そう言って両手を伸ばし、私の両手を包み込んでくれる。
温かい。
そのままブラッドが、またキスをしてくれた。
優しくて温かい。
でも、やっぱり何か大事なことを忘れている気がした。

…………
最近、妙だと思うことが増えてきた。
「お嬢さま、最近はボスと仲がおよろしいんですね〜」
「一時はどうなることかと思ってましたが、俺たちホッとしました〜」
「ナノ!ブラッドとうまくやってるか?もう逃げようとか考えないで、いつまでも屋敷にいろよ」
「やっぱりお姉さんは元気でいるのが一番可愛いよね〜」
「泣いてるお姉さんはもう見たくないよ。ずっとずっとここにいてよね!」

私がいろいろ忘れて少し経った。
記憶喪失は隠しつつ、屋敷の人と会話する機会も増えた。
みんな親切で、いい人たちだ。
ただ奇妙なことに全員が『笑顔になって良かった』『ボスと仲良くなって良かった』
『もう逃げないで、ずっといてほしい』というようなことを言うのだ。
まるで、記憶喪失前の私とブラッドが険悪だったように聞こえる。
――ブラッドは、私がブラッドを慕ってここに来た、みたいなことを言ってたのに。

ブラッドは私に何か隠してるんじゃ……。
「編み目がほつれるぞ、お嬢さん」
「――はっ!」
気がつくとブラッドが横に座っていた。
私はいつものようにブラッドの部屋にいて、麦わら帽子の編み目をいじりながら、
物思いにふけっていたのだ。
麦わら帽子といえど、素材やデザインからいっても、高価な部類に入る帽子だ。
なのに、今は少し編み目が緩んでしまっている。
「す、すみません!いただいた帽子なのに……」
意味が無いと知りつつ、麦わら帽子をさわさわしてしまう。
「いや、かまわない。壊れても時間が経てば元に戻る。その帽子もそうだ」
ブラッドが言い、私の肩を引き寄せる。
「ここって変なところですよね」
帽子をとりあえずテーブルに置き、私はソファにもたれる。
壊れたものや汚れたものが元通りになるし、時間はメチャクチャ。不思議の国だ。
「そうとも、退屈極まりない世界だ」
ブラッドは関心なさそうにいい、どこからかパンフレットらしきものを取り出す。
そして私に見せ……私は絶句する。

「ナノ、どれがいい?」
「え、ええと、あの……」
いきなりウェディングドレスのカタログを見せられ、どう反応しろと。

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