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■忘れた話10

私はじーっとブラッドさんを見る。
「……お嬢さん、そんなに見つめないでくれるか?」
「さいですか。ではもう少し遠くから見つめることにします」
ちょっとお尻を動かして後ろに下がる。
「いや、意味がないだろう、お嬢さん」
「ではブラッドの真後ろから見つめることにします」
「怖いから止めなさい」
「あう」
額を指でつつかれ、降参。それでも私はブラッドさんを見つめる。
何だか、この頭のいい人のことが、気になるのだ。

あの後、私は人がいない隙を見つけてお屋敷を出ようかと思った。
でも気がついたら、ブラッドさんに部屋に連れて行かれた。
私は、このブラッドさんという人と関わりが深いらしい。
現にブラッドさんに連れて行かれる私を、誰も疑問に思わないようだった。
そして、私はブラッドさんのお部屋までついてきてしまい、迎え入れられた。
それからずっと、ソファに正座し、横で読書をするブラッドさんを見ている。

ブラッドさんは、本から顔を上げて私に言う。
「ナノ。全て忘れたのか?誰か覚えている奴は……時計屋のことは?」
「え……」
ドキッとする。でも私が全て忘れているのはもうバレているようだった。
「時計屋って何ですか?」
言われた単語には全く心当たりがない。
私は困って、ブラッドさんにストレートに聞くことにした。
「お察しの通り、何も覚えていないんです。
私はいったい誰なんですか?あなたとはどういう関係だったんですか?」
すがる思いで見上げる。
するとブラッドさんはしばらく私を見つめた。
顎に手を当て、ずいぶんと長く何かを考える。そして言った。

「君と私は親友だ。君は私を追って、この屋敷に引っ越してきたんだ」

「へ?」
こんな妙な帽子の人と私が大変に仲良し?
それって心の友?ねえ心の友なんですか?
「君はいつも私と一緒にいた。寝るときも一緒に、あのベッドでな」
チラッと、部屋の奥の大きなベッドを見てニヤリとする。
一緒のベッド……うーむ、よこしまな想像をしそうになるけど、こんな格好いい人と
私がそういう関係になるわけがないし。
きっと男女の垣根を越えた友情で結ばれていたのだろう。
「そういうことだ。周囲を混乱させないため、君もそう振る舞うといい」
「あのおー、それで他のことは……」
「あまり一度に言うと混乱する。少しずつ思い出していくといい」
「ええー」
不満だったけど、ブラッドさんはいい人みたいだ。
他に頼れる人が分からない以上、信用するしかない。
「分かりました」
私はうなずき、ブラッドさんに、
「では、私はなるべく『元の私』っぽく振る舞うことにします。
その方が記憶喪失とバレないでしょうし、自分から思い出せるかもしれませんし」
「ああ、そうするといい。仲良くしよう、ナノ」
「はい!」
私はうなずいた。
そこでブラッドは言葉を切り
「まあ、別に記憶喪失とバレるのは構わないか……。
君の記憶喪失も三度目だし、うちの連中は誰も驚かないだろう」
「え……」
まあ、それはそうかと思いかけたのに『三度目』という単語で背筋が寒くなる。
三度目って。一切合切を忘れるのが三度目って。
それ、頭の大事な部分がかなりヤバいということじゃないか。
ンなこと知られたら、別の意味でどんな扱いを受けることか。
「か、隠します!頭に××や金属片があるように思われるのはごめんです!」
「……伏せ字は『金属片』の方にもつけるべきではないか?」
「つけません!U●O特番なんてアナログ周波時代の遺物ですから!」
「極めてどうでもいいネタだけ覚えている点は、相変わらずだな」
ブラッドさんがフッと笑う。そして手を伸ばして私の頭を撫でた。
大きな温かい手。
すると、何だか部屋の空気まで春のように温かくなった気がした。
なんかくすぐったい……でも、嬉しい。
私はブラッドさんの服のすそをぎゅっと握る。
「ブラッドさんも協力して下さい。頭が可哀相な子と思われたくないんです」
「もう手遅れだと思うが。それと、私のことは『ブラッド』と呼びなさい」
前半部分、何か聞き捨てならない文章が混じっていた気もするけれど、ブラッドさん
……ブラッドはそう言った。
「はいです、ブラッド」
私はうなずき、緊張がゆるんだせいか、急に眠くなってくる。
「ん……」
「ナノ。こんなところで寝るのは止めなさい。
寝るならベッドで私と仲良くしてから……」
「んんん……」
よく分からない。今だって仲良しなのに。
ことんと私の頭がブラッドの肩にかかり、身体をすーっと滑りおり、膝で止まる。
「っ!」
――あ。男の人の膝枕……。
私はそのまますやすやと眠ってしまった。

起きたとき、私はベッドの中にいて、ブラッドのジャケットが身体にかけられていた。

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