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■忘れた話8

「ブラッド、元々変だったけど、最近特に変ですよね」

ナイトメアの見せてくれる草原でまどろみながら、私はリンゴをかじる。
青い空に白い雲。新緑の草原に汁気たっぷりの果実。
夢だと分かっているのに、現実としか思えない感覚だ。
ナイトメアは、あの夢魔の装束で、私を見ている。

悪夢を癒やしてくれる夢魔は、横に座って私の頭を撫でながら、
「君があまりに相手にしてくれないから、余裕ではいられなくなったのさ」
「そんなことありませんよ。私を『飼う』とか普通に言ってる人ですよ?」
「いいやいつも袖にされ、警戒され、他の奴と態度が違う。本心では、他の奴らに
に懐くように、自分にも懐いてほしい。屋敷に頻繁に足を向けてほしいんだ」
「はあ……」
子どものワガママというか嫉妬というか。
ただマフィアのボスがそれをやられてはたまらない。
脅したり、力ずくに出たり、嫌われる態度を取られると、こちらも逃げるしかない。
「まあ、奴も奴で歪んでいるからな」
「でもこのまま店を放置出来ませんよ。どうにか出来ませんか?」
すると夢魔は難しい顔をする。
「塔の方も忙しくてな。グレイも動きにくいし、チェシャ猫に空間をつなげる真似も
させられない。私自身も警戒されている。こうして夢で会うのがせいぜいなんだ」
「うーむ……」
ブラッド。そういうところに全力出さなくてもいいのに。
もう、ブラッドの機嫌を取って、向こうが軟化するのを待つしかないんだろうか。
何か気の長い話だし、本当に『ブラッド=ご主人さま』と洗脳されそうな気もする。
自慢ではないけど心底から意思が弱いのだ、私は。
「いや、本当に自慢にならないぞ、ナノ」
心を読まないでってば。
でもブラッドを柔軟にさせるにしてもエプロンを取られたのはちょっとマイナスだ。
あれは数少ない私物で、大事な品だったのに。
たくさんの物に囲まれたブラッドには、その価値が分からないんだろうか。
「ナノ。何か欲しい物や見たい物はあるか?
私に出来ることなら、何でも叶えてあげよう」
ナイトメアが優しく言ってくれた。
「うーん……」
……ちょっと考えるのに疲れてきた。
「だからこそだ。いっときの夢で辛いことを忘れれば、良いアイデアも出てくる。
負けないでくれ、ナノ」
ナイトメアは私の手を取って励ましてくれる。
「そうはいっても、夢が覚めればまた戻らなければいけないと思えば……」
私はふと黙る。そしてあることを考えた。

「ナノ……本気か?」

ナイトメアはすぐ読み取ってくれた。
「でも、良いアイデアじゃないですか?『ブラッドが望むナノ』にすぐなれるんですから」
それでブラッドを懐柔できれば万々歳。
「外に出られたら戻してくださいよ」
「だが、自分の意思を捨てるようなものだ。奴が良い方向に軟化すればいいが、
逆効果になれば、君は一生、帽子屋屋敷に住むと誓約させられかねないぞ?」
彼は乗り気じゃないようだ。私は渋る夢魔に頼み込む。
「ねえ、お願いしますよナイトメア。あなたの力が必要なんです」
なぜ必要だと分かるのか。確信はないけれど、勘だ。
『なぜか』私はナイトメアにその能力があると『知っている』。
「……あまり脅さないでくれ。私は気の弱い男なんだ」
悪夢を体現する男が苦笑する。そして最後にはため息をついた。
「分かったよ。帽子屋が君を試しているのに、君が帽子屋を試せないのは不公平な
ことだ。どうなっても知らないからな……」

…………
帽子屋屋敷の廊下を、ブラッドについて歩いて行く。
私は久しぶりに外に出ることを許された。
あんまり驚いて、起きる前に見た変な夢のことを忘れてしまった。
高価な服とアクセサリーをに飾られ、エリオットたちも伴い、幹部会議に行く最中。
でも会議が終わって戻った後にどうなるかは分からない。

「わっ!」
そこで足がもつれた。いつもなら踏ん張れるはずだった。
のに、なぜか私は体勢を立て直せず、そのまますっころんだ。

「ナノ!?」
「ナノ様っ!」
エリオットや使用人さんたちが驚く声。
風景はスローモーションのようにゆっくりと周り、最後にブラッドが呆れたように
私を振り向くのが見え……私は後頭部を盛大に床にぶつけた。

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