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■不思議の国と私・下(完)

広い広いバスルームに、湯けむりが上る。
私は肩まで乳白色のお湯につかりながら、夢見心地で物思いにふけっていた。
――アリス姉さん、きれいになったなあ……。
落ち着いた雰囲気になり、すっかり大人の女性になったというか。
ユリウスさんも、ますます頼もしくなった気がする。
……えー。やむを得ないとはいえ、攻撃してしまったことは、後ほど、
菓子折りを持ってお詫びにいくとしよう。
――どうしたら、アリス姉さんみたいに素敵な女性になれるかな。
あ、そうだ。お詫びに行くとき、それについて詳しく聞いて……。
「ナノ」
声がしたかと思うと、肩をつかまれた。
そして頭のてっぺんまで、一気に湯の中に沈められる。
「っ!?」
突然お湯の中に入れられ、視界はきかないわ、息が出来ないわとパニックに
なり、ガブガブと暴れた。
と思うと、ザバァっと引き上げられた。ブラッドだ!
「ブラッドーっ!!」
髪からポタポタお湯を垂らし、抗議すると、
「私が入ってきたことに気づかず、ぼんやりしているからだ。
それに、こういった状況への対処法もエリオットから教わらなかったか?」
「う……」
抗争はマニュアル通りにはいかない。マニュアルなんて無い。
常に不測の事態にそなえ、慌てず、冷静に状況を判断すべし。
うん。頭では分かっているのだけど……。
「それにナノ。また浮気をしていたようだな」
「うわっ!!」
水音と一緒に、今度は抱き寄せられる。
「う、浮気なんかしていませんよ!」
「していたとも。アリスと時計屋に」
「はあ?」
むろんバスルームということで、互いに服は着ていない。
ブラッドの腕が無遠慮に胸をかすめ、何やらドキドキする。
するとブラッドが嬉しそうに笑い、ずぶ濡れの髪に口づける
「君はいつまで経っても、初々しさが抜けないな」
「いえ、それより、アリス姉さんとユリウスさんに浮気って……」
そういえばアジト前でも、ちょっとだけ不機嫌だったなあ。
「せっかく私の物にしたというのに、君はいつまでもアリス、時計屋、
アリス、時計屋と……。二人の危機とあらば率先して二人の救出を主張し、
再会すれば二人にばかり……」
ブツブツブツ。私はしばし沈黙し、
「あの、ブラッド。もしかして、私に構ってほしいんですか?」
なーんちゃって。マフィアのボスにこんな口のきき方して、もう一度、湯に
沈められるかもしれん。すると、
「な……っ!き、君は、私を挑発しているのか?」
……顔を赤くされました。どうしろって言うんですか、コレ。
というか湯に当たりすぎた。そろそろ上がらないと。
「それじゃブラッド、私、先に脱衣所に――」
「逃げるつもりか?」
「うわっ!!」
ブラッドの腕の中から出ようとしたら、引き寄せられる。
「だって、そろそろ熱くて……ちょっと、どこを触ってるんです!」
ブラッドの手が、私の身体を這い出す。私は慌てて、
「お屋敷の共同浴場なんですよ?誰か来たら……!」
抗議するけどブラッドは一転、余裕を取り戻し、楽しそうに笑う。
「入る前に気づき、出ていくさ。
さあ、ナノ。今回はどういった趣向がお好みだ?」
マズい。完全にその気だ。でも、私の方もちょっと身体が……。
「や、優しく……」
ブラッドの腕に触れながら、おずおずと甘えてみると、
「激しく虐めてほしい?本意ではないが、君の望みとあらば応じよう」
「言ってません、言ってませ――」
ツッコミを入れようとしたけど、その前にブラッドの方を向かされ、
キスをされた。そして――。

…………

…………

――ふう。
ブラッドの部屋には、紅茶と薔薇の香りがほんのりと漂っている。
私はネグリジェ姿で、大きなベッドに横たわっていた。
ええ、ええ。立派にのぼせましたとも!
やがて扉が開き、上着を脱いだラフな姿のブラッドが入ってきた。
手にトレイを持っている。上には二つ、美味しそうなアイスがのっていた。
「料理長にジェラートを作らせた。起き上がれるか?」
「はい……」
気だるく起き上がると、ひんやりジェラートを手渡される。スプーンで
舌にのせると……何?高級ショコラアイスの中にしっとりブラウニーと
ローストナッツ!?何と絶妙な口どけ!生クリームとの奇跡のコラボが!!
「機嫌が直ったようだな」
無言でもくもく食べ続ける私にブラッドが笑う。
彼も隣に座り、普通にアイスを食べていた。
そして、いち早く食べ終わった私は、じーっとブラッドを……ブラッドの
アイスを見つめ、
「……一口、いかがかな?お嬢さん」
「いただきます!」
こうして夜は更けていく。


「ん……」
眠くてシーツに顔をうずめる。
「ナノ。カードの片付けくらい手伝いなさい」
ベッドの上に散らかったカードを集めながら、ブラッドが言う。
まだ眠る気になれず、二人でカードゲームをして遊んだのだ。
「いいじゃないですか。また私のボロ負けだったんだし……」
「負けた側が片付けるべき、というのは、私の誤った常識だったか?」
「そうそう。常識なんて、あなたに似合いませんよ」
「返答に適当さが感じられる上、論点がズレている気もするが」
眠い眠い。
やがてカードを片付け終えたのか、ブラッドが私の横に滑り込む。
「……ナノ」
柔らかくて温かい掛け布がフワッと身体を覆い、私はブラッドに身体を寄せる。
抱きしめてくれる大きな腕。安心して、目を閉じた。
ブラッドは髪を撫でながら、
「アリス達に再会して、まだ『こちら』が魅力的と思えるか?」
「…………」
アリス姉さんと巡り会って、昔が恋しいかと聞かれているみたいだ。
あの頃。銃を持つことなんか考えもしなかった、平和で夢みたいな世界が、
切なく胸をかすめる。アリス姉さんも私も、今は全然違う世界にいる。
溝はまだ跳び越えられるのだろうか。
マフィアのオルメタの掟さえ、余所者のアリス姉さんならねじ曲げてしまうだろうか。
「私は帽子屋屋敷を、あなたを選びますよ。誓い通りに」
自分の親指を見、馬鹿な考えを一蹴して応えた。ブラッドはまた髪を撫でる。
「だが危険に身を挺して、得るものがあると?もう少し安全な書類業務なら
いくらでも回してやれると言っているのに」
銃を持つ、そもそものきっかけを作りながら、ブラッドは私が抗争に出向く
ことに乗り気では無いらしい。
「大切な人をこの手で守りたい、好きな人の隣に立っていたい。
これは詭弁だと思いますか?」
「いいや。君の好きにすればいい。その代わり、私も好きなように君を
守らせてもらう。手放すつもりはないからな」
そう言って、私を抱き寄せ、キスをする。
「……ん……」
バスルームで一度解放させられた熱が、再び私の中で息を吹き返す。
「さて。ナノ」
「はい」
ネグリジェの肩紐を下ろされ、私も微笑んでブラッドを抱きしめた。


不思議の国に来た、世間知らずの少女。
一度、鳥カゴを出た彼女は、すぐマフィアに捕らえられた。
彼女はマフィアと一緒に戦うことを決意する。
陰惨な日常風景に鈍磨する心。銃撃戦。赤にまみれ、転がる身体。
眠れない夜も多い。
――それでも、自分がやるべきことを見つけたから。
後悔はない。銃の訓練も怠らない。止める気もなかった。
私はこの世界を選んだ。これからも生きていく。
自分が選んだ道を歩いて行く。先に何が待っていても。
私を導くボスの背中と、アリス姉さんの笑顔がある限り。


「ナノ……」
ブラッドの動きが次第に激しくなり、私もそれに思考が乱れていく。
――会いに行こう。クッキーを作って、お土産をたくさん持って。
一緒に紅茶を飲めば、空白なんて吹き飛ぶ。
ユリウスさんも一緒に、皆でたくさん話をして笑おう。
それで、帰ってきたらブラッドに怒られよう。
道は違っても絆は断たれない。
絆は新しい絆を呼び、私を包み込む。
「ブラッド、好きです、あなたが……誰よりも!」
抱きしめ、誓いを叫んだ。
「当然だ。君は私の物だ。全て。永遠に!」
「あなたを、愛してる……!」
私たちは互いを激しく求め合う。
そして私はブラッド以外、もう何も見えなくなった。



ずっと前の国のこと。
時計塔近くの通りに、小さな家が一軒建っていました。
その家に住んでいた二人の少女は、今は別々の場所に、別々の家族と
住んでいます。
でも二人は仲良しです。
引っ越しがあったり銃撃戦があったりしますが、ずっとずっと仲良しです。

――そして皆で、いつまでも幸せに暮らしました!



アリス姉さんシリーズ・完

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