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■舞踏会と私3

夜風でドレスのスカートがわずかに舞い上がる。
「はあ、はあ、はあ……」
薔薇の迷宮の中で、私は前屈みになって息をついた。
――何てことしちゃったんだ、私……。
思わず逃げてしまった。ブラッドさんから。
いや、何というかあの『獲物を見定めた』、みたいな目が怖くて。
「はあ……」
ベンチに一人座り、星空を見上げる。何で逃げたかなあ。
――仲直りのチャンスだったかもしれないのに……。
いえ、でも『ブラッドさんが私を誘うかも〜♪』なんて自意識過剰もいいとこだ。
理由がないし……。ダンスフロアのど真ん中でパートナーにあぶれた知り合いを、
気の毒に思っただけかもしれない、一曲踊って終わりだったのかも。
いや、でも音楽によってはもう一曲くらい踊ってくれたかも。で、仲直りして……。
……何で、ブラッドさんと仲直りする可能性を延々考えてるんだか。
――虚しい。考えるの、止めよう。
意気地無しの自分に嫌気が差して、うなだれる。
――これから、どうしようか……。
先に帰るのは危険だし、ゴーランドさん達が心配する。
とはいえ、ダンスホールに戻ってブラッドさんと鉢合わせするのも気まずい。
――そうだ。疲れたお客さんのために、客室を一部開放してるって言ってたっけ。
お城のふかふかのベッドで、朝まで安眠しているのもいいかもしれない。
うん、そうしよう。私は善は急げと立ち上がる。
うう、慣れないヒールで足痛い。もう歩けない。
――ん?
薔薇の庭園からお城の通路に戻ろうとしたとき、何やら動く影を見つけた。
――っ!!
私は反射的に銃を抜き、身を低くして薔薇の生け垣に隠れる。
そしてお城の通路をうかがうと、
――何だ、アリス姉さんか。
アリス姉さん。ユリウスさんに手を引かれて歩いている。
お二人とも相当、酔いが回っているのか足下がフラフラだ。
どうやら客室で休憩を取るおつもりらしい。
二人にとっては良い雰囲気なんだろうけど、傍から見ると酔っ払いが二人。
――……何やってるんですか、本当に。
呆れながら銃を下ろそうとしたとき。
――……っ!!

突然、首の後ろの毛がぶわっと逆立つような感覚に襲われた。
心臓が大きくドクンと鳴り響き、勝手に身体が寒くなる。

――え?何?どういうこと!?
自分が急病か何かになったのかと思った。
――いや、違う……あそこだ。
人がいる。迷宮の暗がりの中に。舞踏会の客を装っているが、雰囲気がおかしい。
彼らは数人だった。動きはややバラバラだが、音も無く闇を滑り、迷宮の一角で
止まる。そして、一斉に銃を抜いた。その銃口は――。

――ユリウスさんを狙っている!?そんな!どうして……!!

アリス姉さんを狙う刺客はエースさんが始末したんじゃ……!
いや、違う。彼らは『別物』だ。ユリウスさんも言っていた。
『私が時計屋である限り、一つつぶしても、また次が来る』と。
間違いない。別口だけど、確かにユリウスさんを狙う刺客だ。
――やらなきゃ……私が……!
銃を握る。私が動かなかったこともあり、彼らはこちらに気づいていない。
奴らは、アリス姉さん達がフラフラしているせいか、まだ照準が定まらないらしい。
私は震える手で銃を構えた。奴らの位置は、だいたい分かっている。
でも時間の問題だ。早くしないと……。
――……っ!
私は一人のいる場所に銃を向け、恐怖で息を吐く。怖い。怖い。怖い。
――しっかりしろ、ナノ!あんたがやらなかったら、あの二人は……!
でも怖い。怖い。怖い。怖い。
素人の小娘が撃って、本当に刺客数人を撃ち取れるのか。
人を呼ぶべきでは?ダメ、気づかれたら私が危ない。
空砲を撃って、兵を呼んでは……いや、このへんに兵士さんの気配はない。
私が大声を出したって、連中はアリス姉さん達を始末してから悠々と逃げるかも
しれない。ああ、こうして考えているうちに二人が……!でも……!
汗が出る。銃口がぶるぶる激しく震える。荒い息が。指が。引き金に……。
――怖い……っ!
「誰だ!?」
気づかれた!刺客の男がこちらを振り返った。
瞬間、私は引き金を引いていた。

明るい闇に銃声が響いた。



薔薇の迷宮に銃声が響き、私は薔薇の生け垣に頭から突っ込んだ。
ドレスがひっかかり、ビリッと破ける。
太ももまであらわになったけど、それどころじゃない。
「はあ、はあ、はあ……っ」
――っ!!
また首の後ろの毛が逆立つような感覚を覚え、反射的に地面に伏せる。
一瞬後、ほんのわずか上の空間を銃弾が通過する。
――怖い……怖い、怖い、怖いっ!
もちろん、その場にへたりこんではおらず、横に転がるようにして、別の生け垣に
移った。薔薇のトゲに引っかかれ、擦り傷だらけな我が身を見て思う。
――怖い……撃たれたくないっ!
結論から言えば、状況的に完全に詰んでいる。
最初の一発を撃ってから、元の世界の時間感覚に換算し、約一分が経過した。

ユリウスさんたちは無事だ。銃声に気づき、銃で撃って牽制(けんせい)しつつ、
アリス姉さんの手を引っ張って舞踏会会場の方に逃げてくれた。無事に逃げ延びた。
そして私は取り残された。敵はまだ何人もいる。
最初の一発はどうにか当たったけど、その敵はまだ生きている。
――嫌だ……怖い……っ!
生け垣の後ろにしゃがみ、恐怖で全身をガクガク震わせる。
教わったことも何もかも頭から吹っ飛び、まともな思考一つ出来ない。
敵の気配に気づいては闇雲に撃ったが、全く当たらない。
空になった弾倉に銃弾を装てんしたのが、唯一まともに出来たことだ。
……でまあ、ビビりまくりのこっちの態度は、とうに向こうに伝わっている。
「素人の女だ。どうする……?」
彼らは隠しもせず、仲間同士で話している。さっき『誰だ』と声も出していたし、
プロの刺客ではないのかも。でも、素人の私よりは強いはず。
そして非情な一言が宣告された。
「見られている。構うな――始末しろ」
私の運命は決まったらしい。撃たれる。倒れる。二度と、アリス姉さんには会えない。


二度と会えない。


そう思った瞬間に、全ての恐怖が心から消え失せる。
「…………」
私は顔を上げた。どうしてだろう。不思議なほどに心がスッキリしている。
私はボリスさんとの特訓を思い出し、生け垣を出、走りながら一発撃った。
一人、倒れた。
私は勢いのまま、また薔薇の生け垣に全身で突っ込む。
けど、なぜか痛みを感じない。
そして敵の撃った銃弾がこちらに向かう。頬をかすった。ラッキー、助かった。
でも『撃たれたーっ!』みたいによろめきつつ、瞬間、ガバッと顔を上げ、一発。
また一人、油断していただろう相手が倒れる。ふふ。ちょっとフェイントしてみました!
そして、本能のまま、『いる!』と思った方向に、もう一発を撃つ。
別の一人が倒れた音がした。
けど、調子に乗っていられたのもそこまで。
敵の銃弾が、私を狙う。
とっさに避けた……つもりだったけど、避けきれず足首をわずかにかすった。

私はあっけなくその場に倒れた。生温かい感覚が足から広がっていく。
――え?あれ……私……?
動けない。足が動かない。もしかして、大事な神経が切れた?
そして――痛い。
――怖……い……っ!
一瞬だけかかっていた魔法が切れかけた。
――い、いや!怖いっ!
恐怖が、瞬く間に心の全てを侵略しようとしたとき。

「ナノーっ!!」

生け垣をかきわけ、誰かがこちらに駆けてくる。
その声が聞こえた瞬間に、魔法が再びかかった。

私はもう一度顔を上げ、自分の勘の命ずるまま、一発撃つ。
撃った銃弾が敵の時計を貫き、一人が倒れた。いや、まだ気配は残っている。
――これで……最後の一人!!
バッとその方向に銃を向けるけど、引き金はガチッと虚しい音を立てた。
――あ……。
「ナノっ!避けろ!」
「っ!!」
私はまた我に返り、動けない足ごと、全身で横に転がった。薔薇のしげみにもろに
身体ごと突っ込む。痛い。
だけど一瞬後、たった今まで私をいた場所を、敵の銃弾が蜂の巣にした。間一髪だ。

そして、悲鳴が聞こえた。
走ってきたブラッドさんの銃が、最後の敵を葬ったのだ。

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