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■ユリウスさんと私

……時計塔まで来たとき、アリス姉さんは完全にご機嫌ななめだった。
まあ、それもそうだろう。
アリス姉さんが『大々ニュース!』とばかりに教えてくれた舞踏会の説明を、私が
全く聞いてなかったから。以前なら黄色い声を上げて盛り上がってたんだろうけど、
今はそれどころではなかったので……。
それで、天使のようなアリス姉さんも、怒ってしまったのだ。

時計塔内の風景が流れるように過ぎていく。階段を上る硬い音がリズムよく響く。
アリス姉さんは、ほとんど走るように階段を上がる。
「あ、アリス姉さん、そんなに引っ張らないで下さいよ」
私の手首をつかみ、アリス姉さんはどんどん階段を上がっていく、
「あんまり慌てて進んで、もし襲撃とかあったらどうするんですか!」
「もう、どうしちゃったのよ、ナノ!いいから、行くの!」
周囲を全く警戒せず、どんどん進んでいく。
そして、ユリウスさんの部屋の扉をバーンと開け、
「ユリウス!」
と叫んだ。

ユリウスさんは中にいた。時計の修理中だったらしい。
アリス姉さんの声に顔を上げ、嬉しそうな笑顔で、
「アリス!」
と立ち上がり、
「よく来たな。いつ来るかと、さっきから――」
と、そこまで言いかけ、私に気づいたらしい。
「……っ!」
目が合うと、顔を赤らめ、あらぬ方向を向いて咳払い。
いえいえいえ。私に構わずどうぞ続きを――。
と、そこで重大なことを思います。
「……あ、あの、ユリウスさん!お話が……!」
「?どうした、ナノ」
つかみかからんばかりの勢いの私に、ユリウスさんは驚いたようだった。けど、
「ユリウス、この子にきつーい珈琲を淹れてあげて!」
横からアリス姉さんが冷たい声。
「アリス?どうした?」
「この子、遊園地にあいさつに行ったらしいんだけど、帰ってきてから変なのよ。
周りを気にしすぎてビクビクしてるし、何かあると私が危険だとか言って……。
きっと遊園地のホラーハウスで遊びすぎたのよ!夜遊びもしたみたいだし!」
うう、アリス姉さんに怒られたぁ。でも理由を話すわけにはいかないし。
「…………」
ユリウスさんは私とアリス姉さんを交互に見、
「アリス。悪いが台所で何か、甘い物を作ってきてくれないか」
「え?」
アリス姉さんは首をかしげて、恋人を見上げる。ユリウスさんは、
「気を落ち着かせるには、糖分も必要だ。頼む」
そして不安で仕方ない私を見下ろし、
「時計塔は私の領土だ。侵入者があれば分かるし、私が負けることはない」
「は、はい……」
「分かったわ」
落ち着いたユリウスさんに言われ、二人してうなずいてしまった。


そしてアリス姉さんがお菓子作りに出かけ、部屋は私とユリウスさんだけになる。
ソファに座っていると、私の前に湯気の立つ珈琲カップが出された。
「飲め。アリスが戻るまで、一時間帯はかかるだろう」
「あ、ありがとうございます……」
お礼を言って受け取る。ふぅふぅと息を吹きかけて、そっと飲む。
きつーい珈琲……ではなく、砂糖たっぷりのカフェオレだった。
甘さが全身に染み渡っていく。
「それで、私に話があるんだろう?」
向かいに腰掛けたユリウスさんが、私に言う。
「あ、はい!実は――」
身を乗り出して言いかけ、
「私の襲撃計画でも聞いたのか?」
「…………!!」
そのものズバリ、なセリフに言葉が引っ込んでしまう。
ユリウスさんはご自分の珈琲を飲み、
「まあ、そんなところだと思っていた。時計屋は恨まれやすいし、この世界で、
そういったことは日常茶飯事だからな。で、何を聞いた?」
「あ、はい。実は――」
私はユリウスさんに話した。遊園地の帰り、襲撃の計画を聞いたこと。
アリス姉さんどころか、私まで狙われているということも。
ユリウスさんは黙って聞いていた。そして珈琲を一口飲み、
「そうか。アリスまで……。なら、白ウサギの手の者ではないな」
……白ウサギにまで、暗殺者を送られているんですか、ユリウスさん。
「あ、あの、私、どうすれば……アリス姉さんには……」
「やはり、アリスとの仲は、もう少し隠すべきだったな。
アリスはもとより、おまえにまで危害が及ぶところだった」
苦い顔だった。あのとき自分が捕まらなくて、本当に良かったと思う。
「やっぱり、私があのとき、撃っていれば……」
「よせ」
すぐに遮られる。キッパリと、
「隠れていて正解だった。素人のおまえに、どう転んでも勝ち目はない」
「…………」
私は、自分のように甘い甘いカフェオレを飲む。
「とにかく、よく教えてくれた。敵のことは部下に探らせよう。
アリスにこのことは話すな」
「はい」
ホッとして、力が抜ける。でも、
「アリスには、適当な理由をつけ、時計塔に滞在させることにする。
おまえは遊園地に滞在することに決めたそうだな。
なら、おまえも家には戻らず、遊園地に世話になりなさい」
「え――」
びっくりした。
アリス姉さんが安全な場所で守られることは嬉しい。でも、それはつまり……。
「ゴーランドに連絡し、事情を話して、チェシャ猫に空間をつながせる。
荷物は人を使って、後で送らせよう」
「え、ええと、いつまで……あいつらの計画が失敗したら、帰れますよね?」
「いや、ずっとだ。私が時計屋である限り、一つつぶしても、また次が来る」
「…………」
時計屋と縁がある限り、アリス姉さんは危ない。その妹の私も。そうだ。襲撃計画が
あるのに、ずっとあの家に住み続けられるって、何で思っていられたんだろう。
でも、突然すぎる。アリス姉さんが時計塔に移るだなんて。
いずれ離れて暮らすにしても、もっと盛大にお別れパーティーをやりたかった。
アリス姉さんに教わっていたお菓子や編み物だって……。
「それとも、アリスと一緒におまえも時計塔に滞在するか?今なら変えられる」
「!!」
激しい誘惑に心が揺れた。
一瞬、一にも二にもなく『はい!』と答えるところだった。でも……
「いえ、遊園地に行きます。私、やらなきゃいけないことがあるんです」
腰の銃が重い。でも、もう捨てる気はなかった。

焼き菓子の匂いが漂ってくる。アリス姉さんが戻ってくるみたいだ。
ユリウスさんを見ると、どこかあきらめたような、優しい目をしていた。
「無理に取り上げることは……出来ないだろうな。だが、頼むから無茶だけは
してくれるな。おまえがいなくなったら、アリスが泣く」
「はい」
私は強くうなずいた。ユリウスさんはため息をつき、立ち上がる。
「ゴーランドに連絡を入れる」
「…………」
私はうつむいた。ほんの少し前まで当たり前だったものが、急に遠ざかっていく。
あの襲撃計画を聞かなければ……と、一瞬でも思ってしまった。
「そう暗い顔をするな。アリスに会いたくなったら、チェシャ猫に頼んで、いつでも
会いに来るといい。舞踏会も近いし……」
「あ」
そういえば、近々舞踏会があるんだったっけ。完全に頭から吹っ飛んでた。

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