続き→ トップへ 短編目次 長編2目次

■帽子屋屋敷と私

汗が流れる。身体が少し震える。
緊張のせいなのか、手の中の重さのせいなのかは、分からない。
でも引き返すことは出来ない。私が、自分で決めたことなんだから。
「ナノ。そう力を入れるな。グリップは軽く握ればいい。人差し指は引き金だ。
逆の手は、利き手を包むように添えろ」
私のすぐ横で、エリオットさんが指導してくれる。
「お嬢さん、腰が引けているぞ」
後ろではブラッドさんが、腕組みしている。
ここは帽子屋屋敷の広い広い専用射撃場。
そして私は、銃の指導をしていただいている。

以前、街中で危険な状況にあったとき、ブラッドさんに助けていただいた。
そのとき銃を持つことを勧められたのだ。
私は本気にしなかったけど、その後、エリオットさんを通してこっそり銃を贈られた。
そしてアリス姉さんに、時計塔に移らないかと言われて。
それから、自分でも分からないうちに、銃を持つ決心をしていた。

もちろんアリス姉さんに知られたら、大反対されると思う。
だから心配をかけないように、『帽子屋屋敷にお手伝いに行く』とだけ言っている。

そして私は今……銃口を少し震わせ……引き金を引く!

「わっ!!」

人生初の射撃は、思ったよりあっけなかった。
ボードの的から全然外れた壁に弾痕が空いたのが分かった。
ただ、銃声と発砲ショックでとんでもない力が全身を揺さぶり、身体のバランスが
崩れる。
「危ねえ!」
倒れる、と思ったときドサッと誰かが私を受け止めた。
エリオットさんだった。
どうやら私は、撃ったときの反動で後ろに倒れかけたらしい。
「す、すみません……」
顔を赤くして謝ると、エリオットさんの笑顔がある。
「ま、自分の足を撃たなくて良かったぜ」
そして真剣な顔になり、
「撃った瞬間に逆の手を銃から離しただろう。だから反動で吹っ飛んだんだ。
いいか、手は絶対に銃から離すな!利き手も引き金だけに力を入れるな。
全身で銃を持つんだ。これはあんたの身を守るためでもあるんだぜ」
「はい」
ウサギの教官にうなずくと、笑って肩を叩かれる。
「じゃあもう一度だ!この時間帯中に、連射出来るようにしてもらうぜ」
「はい!」
銃が少し熱い。貼り付いたような手をどうにか動かし、銃を持ち直す。
そして的に照準を向ける。
練習用ボードと分かっていても、人型というだけでためらいが出来る。
――護身用、護身用に持つだけなんだから……。
でも、いつか自分の意思で人に向けることはあるんだろうか。銃が重い。
「一発でも的に当たったら、シェフにアントルメ・ショコラを作らせてあげよう。頑張りなさい」
「いいな!ブラッド!よし、俺は特大のニンジンタルトだ!頑張れよ、ナノ!」
……不思議の国の人たちには、暇つぶしみたいだった。

…………

…………

帽子屋屋敷の庭園には、お茶会の席が設けられていた。
「結局、一発も当たりませんでした……」
結局作って頂いた、何たらショコラなるケーキをつつく。
お屋敷の幹部を何時間帯も拘束し、結局、的に当てた回数ゼロ。
一番いい弾で、的から何センチのとこに当たった程度だ。
「気にすることはない。さあ、食べて疲れを癒やすといい」
ブラッドさんは笑顔で私にケーキを勧める。
うわ、とろけるようなココアスポンジ!濃厚なチョコムース!何て絶品!
口直しに紅茶も――な、何たる美味!紅茶がこんな美味しいものだったなんて……!
「ナノ、こっちのタルトもだ!どんどん食べてくれよ!」
エリオットさんがタルトの特大カットをよこしてくれる。
120度。いや、140度はないだろうか。見るだけでお腹いっぱいなんですが。
それに、ケーキとタルトだけのはずが、テーブルの上にはまだまだ色んなケーキが
のっている。
「プロフィットロールですよ〜。ダコワーズ生地の上にチョコがけプティシューを
いっぱい重ねてあります〜。召し上がりますか?お嬢様〜」
「こちらは、特製オペラです〜。スポンジは十層で〜特製ミルクガナッシュを八層の
ビスキュイの間に〜サンドしました〜。お切りわけしますか〜?」
「は、はあ……」
どこのセレブのお屋敷ですか、という絶品スイーツの数々に、目を白黒させる。
「何、急なお茶会だから、そんな凝ったものはないがね。
よければアリスへのお土産に、いくつか持って行くといい」
ブラッドさんは紅茶を飲みながら涼しい顔。世界が違いますね、もう。

そしてニンジンスフレをパクパク食べながら、エリオットさんが笑いかけてくる。
「あんた、筋がいいぜ。まだまだ腰はびびってるけど、動作は安定してきてる。
的だってギリギリのところにかすったしな。初心者にしちゃ上出来だ」
シェフのスイーツと職人の紅茶をいただきながら、話題は物騒なものばかり。
「ここに、もうちょっと通って練習すれば、実戦でもイケるぜ!」
それにちょっと引き気味に、
「無いですよ。護身用に教えていただいているだけで、出来れば使いたくな……」
「それは、ありえないな」
ブラッドさんが言う。私がブラッドさんを見ると、怜悧なまなざしと目が合った。
「銃を最終手段と考えるのならば構わない。だが『出来れば使いたくない』という
甘い考えなら、今すぐ銃を我々に返却し、アリスの元に帰るといい」
「え……」
「そして、男を探すことだ。君は『余所者』だからな。
君を守りたいという志願者は、探せばいくらでも湧いて出るだろう」
「…………」
突き放すような言い方に、返す言葉を失っていると、エリオットさんが優しく、
「ナノ。ブラッドは中途半端な気持ちで銃を持つなって言ってるんだ。
銃口が鈍れば隙が出来る。そして撃たれる。ブラッドはそれが心配なんだ」
「余計なことは言うな、エリオット」
ブラッドさんがジロリと睨み、エリオットさんを黙らせる。
「まあ、一番理想的なのは、君がアリスともども我が屋敷に住まいを移し、守られて
暮らすことだがね」
――あ……。
ブラッドさんに言われ、胸にすとんと落ちるものがある。
――そっか。やっぱり、アリス姉さん目当てだったんですか……。
将を射んとせばまず馬を射よ、とは言うけれど。
だから私に銃を与えたり、気にかけて下さったのか。
マフィアのボスが私に構ってくるから、変だと思ってた。
それで納得し、理由が分かって安堵し……ほんの少しだけ、胸が痛い。
「よく考えてみますね。本当にありがとうございます」
私は微笑み、楽しいお茶会を続けた。
「ああ、そうしなさい。私はどちらでも構わないよ」
ブラッドさんも微笑む。
「君は、撃つときの表情が良い」

8/32
続き→
トップへ 短編目次 長編2目次


- ナノ -