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■帽子屋さんと私

「…………」
白ウサギの姿が見えなくなった後、私は何度も何度も何度も頭を下げました。
……無言で。いえ、その、すごくすごく怖かったので。
あと、失礼とは分かっているのだけど、今は別の意味で怖い。目の前の方が。
「やれやれ。謝意は伝わるが、傷つくものだな」
さらに倍速で頭を下げるしかありません……。
「もういいよ、お嬢さん。通りすがっただけだ。顔を上げなさい」
「…………はい」
小さく言って、顔を上げた。
目の前にはブラッドさんがいる。目を細めて私を見ていた。
「こうしてまともに話すのは、アリスに紹介された時以来だな」
私もうなずいた。でも帽子屋屋敷の怖そうな雰囲気。
加えて目の前の方がマフィアのボスであるという事実。
よってブラッドさんも『可能な限り避けるリスト』の上位常連でした。
そのツケで、こうしてお会いするとすごく緊張する。
それで、硬い笑顔のまま、立ち去ろうとすると、
「まあ、ついでだ。つきあいなさい」
「……っ!」
手を握られ、引っ張られた。
周囲を慌てて見ても、白ウサギのとき以上に、誰もが他人のフリをするのだった。

それからブラッドさんは、私を近くのカフェに連れて行ってくれた。
ブラッドさんが勝手に注文し、私は速やかに運ばれたダージリンと洋梨のトルテを
いただいた。うまうま。
「お嬢さん、白ウサギにはたびたび、あのような嫌がらせを受けているのか?」
ストレートのセカンド何とかを飲みながらブラッドさんは言った。
「会わないように、してるんですが……」
ボソボソと答え、うなずいた。
するとブラッドさん、私をまじまじと見る。
私が顔を赤くし、うつむいていると、
「お嬢さん。そんな気の小さなことでは、この世界では生きていけないよ」
「…………はい」
分かってはいるけど、自分のうっとうしい性格は、なかなか治らない。
ブラッドさんはテーブルの上で両手を組み、
「銃の使い方を教えようか?」
「……え?」
あまりにも意外なことを言われ、顔を上げると、
「ふふ。やっと普通の音量の声が出たな」
ブラッドさんが笑っていた。
「武器を持つのは、悪いことではない。長い時間帯をかけ、心身を鍛えるよりも
強い力を、少しの訓練と腕力で手に入れることが出来る。
君もそう他人を怖がらず、歩くことが出来るようになるだろう」
「い、いえ、その……そんなことは考えたことも……」
聞き取りがたいだろう声で、ぼそぼそ言うと、
ブラッドさんは紅茶を飲み終えると、立ち上がった。
「なら、考えたときに、いつでも帽子屋屋敷に来なさい。
君の敬愛する聖女は、いつまでも君を守ってくれるわけではないのだから」
そう言って、動けない私を置いて去って行った。

いつまでも守ってくれるわけではない。
分かっている……そんなことは……。
言われるまでもなく。

…………

「ただいま、ナノ」
私たちの家に、アリス姉さんが帰ってきた。
「おかえりなさい、アリス姉さん。時計塔でのお手伝い、ご苦労さまです」
「だから硬いわよ、ナノ」
チョンと額をつつかれました。

アリス姉さんは、ソファで私と並んで紅茶を飲む。
クッキーと焼きたてケーキの良い匂いが漂います。
「ユリウスったら、あなたが気にかかるみたい。
頼りなさすぎて気になるんだって。遊びに行ってあげたら?」
「あ、あはは。機会があったら……」
私はアリス姉さんと一緒にお茶会に誘われますが、毎回辞退します。
そしてアリス姉さんは私に向き直り、
「ねえ、ナノ」
「はい、アリス姉さん」
アリス姉さんは、私の両手をギュッと握りました。

「……もし私に好きな人が出来たら、どうする?」

『いつまでも君を守ってくれるわけではない』

ブラッドさんの声が重なり、ドキッとする。

「えと、おめでとうございます、アリス姉さん」
笑顔を作って言った。
「違う!違うわよ!聞いてみただけ!違うんだからね!!」
「え……はあ。はい。聞いてみただけなんですね」
私は笑顔でうなずきます。
「そ、そう。そうなのよ。分かってくれたのなら、良かったわ」
アリス姉さんはうつむき、また紅茶を飲む。
そういえば、確かに最近、帰りが少し遅いような。
行く先は時計塔ばかりだし、服からちょっと機械油の匂いがするし……。
でも例えそうだとしても、私から言うことは、祝福以外にない。
心に突き刺さる、痛いくらいのトゲは感じないようにする。

「それでね、ナノ。帰り道の商店街に、すごくお洒落な雑貨屋さんを見つけたの!」
「本当ですか!行ってみたいです!」
私たちはさっきまでの会話を忘れたみたいに、キャッキャと盛り上がった。

アリス姉さんは、やはり紅茶とお菓子と可愛い物が似合う方。
やっぱり、いなくならないでほしい。いつまでも一緒に居たい……。
一瞬そんなことを思った。それを口にしてみようかとも。でも、
「ほら、話を聞いてない!そんな困った妹におしおき!」
「わ!アリス姉さん!く、くすぐるのはダメ……!」
くすぐりっこが始まってしまい、その機会は閉ざされてしまった。

それで良かったんだと思った。

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