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■怒らせた話30(完)

「気づいたのはついさっき。確証は、報復がないことと、あなたの『お礼』」
自分の女を娼館に送る、ファミリーの収益源に大損害を与えたというのに、私が回復
するまでの長期間、一切の報復措置や再誘拐がない。それどころか家を再建する。
つまり、今回のことで帽子屋ファミリーは何らかの利益を得たのだ。

優雅に紅茶を飲みながら、ブラッドは否定しない。
「あそこの上層部は、莫大な売り上げのうちの相当額を横領しているのではないかと
いう疑いがあり、以前から調べさせていた。
だが帳簿の小細工が巧みな上、ああいった商売は不透明な支出がどうしても出る。
君には悪いが、君の『余所者』の立場を利用し、適当な理由をつけて送り込んだ。
君に醜悪な興味を示す富豪がいたことも、良いまき餌になったな」
あー、そういえば私をあの変態に差し出して、しつけに利用したり、金を稼いだり
してましたっけ、あそこのお偉いさん方。
それに私が『館』にいるとき、ブラッドはちょくちょく来たっけ。
もちろん、お愉しみもあったんだろうけど、本当の目的は『館』のチェックだったと。
「今回のことは、内部を引き締め、無能者を見分ける好機となった」
「いったいどこからが、企みの始まりなんですか?」
もしかして、私への執着なんて嘘で、利用することしか考えてなかったんじゃ……。
ブラッドは感情の読めない笑みで言う。
「そう悲観的に考えることはない。君を利用した企みは、あの娼館のことだけだ。
私の目的は最初から最後まで君の教育にある。何度苦労して君を手に入れ、忠誠を
誓わせても、どうせいつものように口先だけで、隙があれば逃げ出すからな」
……いや実際に逃げた事実があるから反論出来ないけど。
あれだけ私を好き勝手にしながら、私が逃げることも計算の内だったらしい。
そしてそれを前提にした上での、過激な嫌がらせ。
今回のブラッドは本当に私に怒っていた。
その怒りの延長で私を利用したりしたみたいだけど、それで収まったんだろうか。
今は、怒りの欠片も見えない、風のような静かさだ。

「でも、その……あの『館』が襲撃されたことは、怒っていないんですか?」
苦労して育てた『商品』のお姉様たちに逃げられ、痛い目を見たはずだ。
「無駄な保身と金策に走る部下。そんな無能者を飼っていることもまた損害だ」
と、ボスはまた紅茶を飲み、目を閉じる。まつげ長いなあ。
「爬虫類が図に乗ったおかげで、数値の上では少なくない損害が出た。
だが組織の再編をすすめることも出来たことも大きい。君のおかげだ。感謝しよう」
「…………」
経営上の損害と、無能な部下の一掃。ブラッドの中ではプラマイゼロっぽい。
とはいえ、自分の扱いのひどさには毎度のことながら泣けてくる。
「私に感謝するなら、もうあの事業からは手を引いて下さいね。
逃げた女の人も捜さないで下さい」
マフィアだろうと、女性を食い物にする人と知り合いでいたくない。
すると、意外にアッサリとブラッドは承諾した。
「いいだろう。あそこは知名度の割に、採算が悪かった。
整理するにはちょうどいい。他の組織に良い値段で売ることにしよう」
いや……その返答、微妙にズレてないですか?
まあ、ステータス性を売りにするのも大変なんだろう。
現実の吉原だって、花魁一人育てるのに、すっごい時間とお金がかかったらしいし。

「もちろん、君がまた店を始めてくれるなら、の条件付きだが」

……やはりタダでは譲らないですか。流し目をこちらに寄越すな。

「そのために、店を元に戻して下さったんですか?」
私は低く言う。
エリオットが伝えたように、確かに私の店と家は再建されていた。
帽子屋ファミリーが資金を全額拠出したそうで、私の店のある場所には、何事も
なかったかのうように、プレハブと屋台が建っている。
もちろん、商売道具全般と、紅茶の茶葉も各種そろっていて。
……ただし珈琲関連のブツが何一つなく、店の旗からティーカップから、あちこちに
帽子マークがさりげなくついてたけど……。

「私の紅茶が飲みたいのなら、また私をさらって、お好きにすればいいんじゃない
ですか?『ご主人様』」
二杯目を注ぎながら、たっぷりと嫌みをこめると、ブラッドはため息をついた。
「君は最高の紅茶を淹れるが、欠点が一つある。
出来が精神状態に大きく左右されることだ」
あー。それは確かに。いろいろ覚えはあります。
「ベテランなら勘と癖でカバーできるだろうが、君はその境地には達していない」
出ましたよ、ブラッドの上から目線。
つまり、私をさらって調教して従順にさせたら、紅茶の味が落ちる。
逆もまたしかりなワケである。ブラッドには悩ましい問題のようだ。
だからといって、あれだけ私にやらかして、どの面下げて……という気分にはなる。
「ブラッド、あなた、私を怒らせたんですよ?その自覚があるんですか?」
「君も私を怒らせた。おあいこだろう」
こんな不公平な、おあいこがあるか。

「最高の女か、一流の紅茶職人か……なかなか二兎は得られないものだ」

ブラッドはブランデーのようにカップの中の紅茶を傾け、物思いに浸っている。
あれだけ策略を巡らせる人が、私を手に入れることは難しいと嘆く。
私の自由は、趣味同然の紅茶の腕にかかっているみたいだ。
でも本当に、何だって、こんなどこにでもいる小娘に執着するんだか。
「あなたはまともじゃないですよ。ブラッド」
「私がまともじゃないのは、誰でも知っていることさ」
しれっと返答される。て、その返答、いろいろ引っかかるけど。

でも。普通じゃないからこそマッドハッター、イカレ帽子屋。
私は容易にブラッドの物にはならない。
かといって彼に勝つことも出来ない。

私の全てはブラッド=デュプレの手の内。
やはり泣くに泣けない。

脱力して、私は肩を落とし、黒エプロンを外す。
「それじゃ帰りますね。紅茶を飲みたかったら、また店に来て下さい」
本当は半永久的に出入り禁止にしてやりたいが、報復を思うと怖くて出来ない。
「ナノ」
紅茶の道具を片付け、帰り支度をしていると声がかかる。
「私のために紅茶の腕を磨くことだ。これからも気ままに生きたいのなら」
ペットになりたくなければ、紅茶の腕を磨き、『ナノ』としての価値を高めること。
私は応えずにボスに背を向け、歩き出す。
チラリと振り返ると、ボスは立って見送るでもなく、座したまま笑っていた。
「それじゃ、さよなら。ブラッド」
「精進しなさい、ナノ」
私はまた肩を落とし、帽子屋屋敷の庭園を歩いた。

ブラッドとのことだけじゃない。これから問題山積みだ。
恩人のグレイとナイトメアに報告しないわけに行かないし、でも絶対に反対される。
そうしたら一戦交えてでも、お店の再開を認めさせないといけない。
珈琲の器具もどうにかして、そろえなきゃ。
ああそれと、私の脱出を手伝ってくれたっていう、色んな人たちにもお礼まわりを
して……ひとり暮らしもちゃんと再開出来るかなあ。
まだときどき、すごくうなされて、グレイに起こしてもらったりしてるし。

グレイには本当に感謝している。大切すぎる友人だ。
でも、想いには応えられない。
それをハッキリと伝えなくてはいけない。

もちろん……ブラッドのペットになる結末も論外ですが!

私は最後に振り向き、両手を口にあて、大声で、
「ブラッド!!私はあなたが大嫌いです!二度と近づかないで下さい!!」
ボスは声を上げ、嬉しそうに笑った。
「また行ってやってもいい。私の大切なペットの様子を見るために!」
「また怒らせるかもしれませんよ!?」
余所者の女の一人暮らし。怒りの材料には事欠かない。
「何度でもしつけ直す。私は気の長い飼い主だからな」
その目は絶対的な自信に満ちていた。
「…………」
ダメだこりゃ。
いつか人間扱いしてくれるかなー、とはかない願いを胸に、私は帽子屋屋敷を出た。
そして、また歩き出す。ゆっくりと、危なげに。
でも確実に前へ。


こうしてまた、余所者の日常が始まるのだった。



怒らせた話・完

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