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■怒らせた話25

それから、またしばらく経った。

私は相変わらず、クローバーの塔のグレイの部屋で、お世話になっている。
まだ身体は元に戻ってないけど、ちょっと大きくなった。

「グレイ」
塔の廊下で、私はキョロキョロして名前を呼んだ。
グレイの姿が見えない。それだけで、不安になる。
「すまない。ここだ、ナノ」
ちょっと先の廊下を曲がっていたらしい。
グレイが慌てて戻ってきてくれた。
「グレイ!」
私は彼の長身を見るとホッとして、一目散に駆け寄る。
「おっと、危ないぞ」
激突する勢いで抱きついてきた私に、グレイは笑顔で抱きしめてくれた。
「グレイ……」
彼に手をのばし、また繰り返すと、グレイはかがんで私を抱き上げてくれた。
もう抱き上げるには、ちょっと厳しい大きさなのに、グレイは構わない。
私は肩に乗せられ、不安定な体勢になり、思わずグレイにギュッとしがみつく。
「ナノ……」
背中を撫でる優しい手。そして歩き出したのか、かすかな揺れ。
グレイは私を落とさないよう、片手で身体をしっかり支えてくれる。
私はしがみついたまま、離さない。

周囲の人の努力もあり、ちょっとずつ、世界が怖くなくなってきた。
でもグレイは未だ、私を自分の部屋に置き、周りの人もそれを当たり前と思ってる
みたいだ。このまま私はずっとグレイに飼われるのだろうか。
それも一つの結末かもしれない。
怖くなくなってきたと言っても、まだ『彼』のことを考えると身体を丸めてしまうし
バリケードだって欠かさず作る。職員さんたちも慣れた物で、最近は、私がすぐに
作れるようにと、わざとゴミ箱やラックを、一ヶ所に集めて置いていてくれる。
もう外の世界には出られない。
グレイさえ良ければ、ずっと彼のそばに置いて欲しい。
私を危険なものに何一つさらさず、いつまでも、ずっと……。


……本当に、それでいいんだっけ?


…………

執務室では、いつも通り、私はゴミ箱やボックスのバリケードの中にいる。
身体を丸めて、息をひそめて動かない。
「ナノ」
優しい声がする。
ゆっくりと力をぬいて顔を上げると、バリケードがどけられ、グレイが入ってきた。
グレイなら入ってきて構わない。
「おやつを持ってきたんだ。ぜひ食べてほしい」
そしてグレイが笑顔で、スッと私にトレイを差し出した。
甘い香りのココアと、生クリームを添えたふわふわのシフォンケーキ。
「厨房の料理長が、君のために特別に作ってくれたケーキだ」
私は小さくうなずき、手を伸ばして受け取った。
グレイはホッとしたように笑い、バリケードを元に戻すと、仕事に帰って行った。
私はとりあえず、丸まったりせず、トレイを置き、じっと眺めた。
確かに私は今、ほとんど食べていない。
グレイのためにご飯はちょっと食べてるけど、あえて甘い物が欲しい気分でもない。
けど、グレイに悲しい顔をさせたくもない。
そして、私は恐る恐るケーキフォークを取り、卵色のシフォンに刺した。


――甘っ!!


瞬間、思考が一気に覚醒した。
――甘い!甘すぎですよ!私が子供の外見だからか!?
でもやっぱり甘すぎだ。砂糖の量、一桁間違えてませんか!?
私は慌ててフォークを置き、飲み物に手を伸ばした。苦みで中和を――

――甘ーっ!!

ココアはさらに甘かった……。
普通、甘い物を食べれば、ココアの甘味なんて相殺してしまうだろう。
だが、檄甘シフォンケーキの甘さが、さらに消されるほど、ココアは甘かった。
――グレイ……何つう甘いココアを淹れるんですかっ!!
私を慰めるためですか?虫歯になるわ!
私はろくに呑まないココアをカタンとトレイに戻す。すると、
「ナノ?」

――うっわ!びっくりした!!

いつの間にか、バリケードの向こうからグレイがのぞき込んでいた。
私の様子を見に来たらしい。
そして、ほとんど口をつけていないケーキとココアを見、悲しげに眉をひそめる。
「やはり、食べられないか?料理長に頼んで、特別に甘く作ってもらったが……」
――え?いえ、そういうことでは……甘すぎなんです。食べられないんですよ。
が、こんなときに限って夢魔は逃亡し不在。私の考えを伝えてくれない。
現実の私は、まだ無表情にグレイを見つめ返すだけだった。
「そうか。無理に食べなくて、いいからな」
肩を落とし、去って行くグレイ。
――え?あ!ちょっと、違うんです!甘すぎるんですよ!グレイ!グレイー!!
心の中でいくら呼びかけようが、読心術のない補佐官殿は去って行く。
――…………。
残された私は、冷や汗すらかいて、ケーキと冷めかけたココアを見る。
――丸まっちゃおうかな……。
しかし、大事なグレイに心配をかけたくない。
あと、糖分が入ったせいだろうか。
何か少し、思考がクリアになってきた気がする。
――せめて、もう少し食べないと……。
葛藤の末、私はもう一度ケーキを口に含んだ。
やっぱ甘すぎてダメでした。

「ナノ、そろそろ部屋に帰ろう」
やがて仕事が終わって、グレイがバリケードを開けて入ってきた。
「…………」
そして、全く減っていないケーキとココアを悲しげに見る。
罪悪感がうずいたけど、食べられないものは食べられない。
あと、ナイトメアは結局帰ってきませんでした。


「ナノ、また硬くなっているぞ」
一瞬だけクリアになった思考は、またすぐに停滞する。
グレイの部屋に戻った私は、またいつも通り。
勝手に丸まってグレイを困らせる、大きな子供のナノだった。
だから、甘すぎるケーキのことはそれきり忘れてしまった。
グレイもあきらめ、もうお菓子をすすめてくることもないだろうと。

……その考えすら『甘すぎた』と、すぐに思い知らされることになる。

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