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■怒らせた話23

入ってきたコートとマフラーの人は怒鳴ります。
「服を着なさい!早く!」
私はうなずきます。私は底辺の人間。誰だろうと、命令には従わないと。
私はゆっくり起き上がり、散らばった服を集めようとした。
しかし身体のあちこちが痛い。本当に傷だらけです。
しかも何で私は服を着ておらず、ベッドの上で縛られていたんでしょう。
そしてベッド脇には、例のふくよかな男性が倒れています。
服はほとんど身につけていません。動かない。全身真っ赤。
トラウマ物の切り刻まれ方です。かろうじて人の形をとどめてますー、みたいな。
――えーと、ここに至るまで何があったんだっけ……。
服を握りしめながら、首をかしげる。

……あ、そうだ。えーと、そう、ちょっと思い出した。
私は脅されても、なだめられても、なかなか食べなくてですね。
で、『食べなければ、あの男を呼ぶ』と『館』の人たちに脅されたんですよ。
いっつも私に変な薬を飲ませ、身体を触ってくる人ですね。
私はそれがすごく嫌だから渋々食べた。
ですが、今の私に食べられるのはせいぜい一皿くらい。
でも『館』の人はもっと食えもっと食え、とせっつくけど、もう胃が限界。
で……どうしても嫌なら、と例のふくよかな男性が呼ばれちゃったんですな。
一度痛い目を見せて、言うことを聞かせようといういつものパターン。

それでその男に、いつものように何かの薬を大量に飲まされたんです。
それから身体をたくさん触られて、逆に触らされて……あとは覚えてない。

何かすごく嫌なことがあったような気もしますが、ちょっと記憶が途切れ途切れで。

それから、縛り上げられましてね。色んなことを、たくさんされまして。
意識が飛ぶ寸前で、『もうダメかなー』とか、ぼんやり思っていたら、あのコートと
マフラーの人が部屋に入ってきました。私の名前を大声で呼びながら。

……で、男性に何かをされてる私を見て。
顔色、変わったんですよね。
それからマフラーの人は、なぜか私のこと、そっちのけになっちゃいまして。
まず男性を縛り、悲鳴を上げられないように猿ぐつわとか何とかして、ゆっくりと、
時間をかけてジワジワ全身を切り刻んでいったんでした。
しばらくお肉は食べられませんね。そのくらい凄まじかったです。
赤いものは飛ぶけど、なかなかトドメは刺されない。声も出せない。超スプラッタ。
私はというと、ベッドで丸まったまま、男性が動かなくなるまで一部始終を見ていたわけです。


「ナノ!早く着てくれ!止まってはダメだ!」
叱咤され、回想シーンから我に返り、私はビクッとする。
私はまた身体を丸めていたみたいです。
これ、帽子屋屋敷の頃からの癖でしたが、最近は本当にひどくなりました。
暇さえあると丸くなってる感じなんですな。
きっと猫だった前世の記憶が、蘇ってきたのでしょう。
とか思いながら、ノロノロと服を着ていると、
「ナノ。身体が辛いのは分かる。だが時間がないんだ。本当に急いでくれ!」
あれ。ちょっと服に、赤いのがついてる。
ボーッとして、それを眺めていると、
「ナノっ!!」
怒鳴られるとますます身体が動きません。
そういえば、この人は誰なんだろう。
どこかに連れて行って、私に痛いことをするのでしょうか。
怒鳴られながら、ぼんやりと動かずにいると、部屋の扉がバタンと開く。
別の人が入ってきた。

「グレイ!」

入ってきたのは、どこかで見たことのある顔でした。
血色の悪そうな顔、紫の唇、何か変な服。そして眼帯。
――ん?『グレイ』?
聞いたことのある名前だったような。
で、眼帯の人は、『グレイ』というコートとマフラーの人に、
「ほとんどの者はつぶした。帽子屋屋敷へ連絡がいくまで、まだかかるはずだ」
「ありがとうございます、ナイトメア様。
ですがナノの様子がおかしいんです。身体も小さくなって……」
するとナイトメアという人は私をチラッと見て、深刻な顔で言う。
「薬品の副作用だ。今のナノは正常な思考能力がない。連れて行くぞ!」
え。超失礼な。ちゃんと思考してるじゃないですか!とか思っていると、グレイと
言う人が、半裸の私に布をまきつけ、肩に抱え上げる。
そして最後に、真っ赤になって倒れている人を蹴り、
「薬でナノを小さくしたことだけは感謝はする。おかげで運びやすくなった」
ああ。そういえば、やせている上に、小さくなった私は、恐ろしく軽いそうです。
呑気に思っていると、視界が揺れる。
グレイという人が、全力で走り出したんです。

悲鳴と歓声、あと爆音が聞こえます。
私は風のように流れる、悪夢の『館』の風景を見ていました。すると、
「ナノ。悪夢は私の領域だ。後で全て追い出してあげるから、安心しなさい」
まるで私の考えを読んだように、声がかかる。
眼帯の人だ。
走る体力はないのか、グレイという人の横を飛んでいる。
そう、この眼帯の人……夢魔だ。
いつの頃からか現れ、夢の中で私を励ましてくれた人だっけ。
この人のことだけは忘れない。
「だろうな」
また読んだのか、夢魔はどこか勝ち誇った笑みで、うっすらと笑った。
でもなぜか、ご主人様よりも残酷な笑みに思えました。

爆発音と銃声。私たちを妨害する人はいない。
「対抗勢力を取り込んだのが聞きましたね。
帽子屋も、そちらに対応して、ここまでは手が回らないはずだ」
私を大切に抱えて走りながら、グレイという人が言う。
「ナノのために、他の役持ちも、陰ながら協力してくれたからな。
さすがに皆、目に余ったんだろう。特に女王と白ウサギは……」
夢魔の言うことは、よく分からない。
私たちは、館の出口に向け、まっすぐ走っていきます。
途中、誰ともすれ違わなかったワケじゃないです。
遭った男性は全員、最悪の悪夢を見ているような顔で、地面にうずくまり、悲鳴を
あげていました。『館』の幹部の人たちが、特にひどかった気もします。
息の根を止めてくれ、と叫ぶ人、完全におかしくなった人までいました。
「君を苦しめた奴らは、もう悪夢から戻ってはこられないさ。私が……戻さない」
より酷薄な笑みを浮かべ、夢魔が言った。
私はぶるっとしてグレイという人の肩の上で、身を震わせる。
あちこちで爆発音がします。でもグレイという人の足は止まらない。
悪夢の『館』は、しっちゃかめっちゃかです。
捕らわれた気の毒なお姉様たちが、出口を求めて逃げていくのが見えました。
「帽子屋ファミリーは大損だな」
グレイが小気味良さそうに言う。
どうでしょうね。ゲームを何度もおしゃかにしたご主人様のこと。
普通に笑ってそうな気もします。
逃げる女性の中には、最初の指導役のお姉さんもいました。
質素な格好の、ハンサムな男性に手を引かれ、走っていきます。
小さくなっても私だと気づいたのでしょうか。こちらを見て一瞬だけ立ち止まり
『ありがとう!』と叫ぶ。
そして二度と振り返らず、男性と出口の向こう、街の方角に消えていきました。
きっと幸せになるでしょう。だってここは不思議の国だもの。
「そうだ。君だって、ああいう、幸せな夢を見られるんだ……」
考えを読んだのか、夢魔が言った。私は、すでに十分、幸せだと思いますが。
「ナノ、寝ていなさい。君は表の世界で悪夢を見すぎた」
息も乱さず走るグレイに、優しく言われます。
彼が言うならそうかもしれません。
私はグレイの肩にすがりながら、目を閉じました。

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