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■怒らせた話19

抱きしめられ、キスをされる。舌が歯列をなぞり、舌を絡める甘いキス。
「ん……」
ブラッドは私を抱きしめる。
本当に愛おしいものを抱くように、暖かく、強く。でも、
「あ、あの、ご主人様……恥ずかしいので、もう……」
息継ぎの合間に首を振ってみるけど、ボスは無視してまた口づける。
強ばりがちな少女をなだめる、優しいキス。
……しかし門の前で、しかも大勢のお見送りの部下さんたちの前で、堂々とキスを
するのはいかがなものか。
視界の端では双子が『ああ、あの角度で……』『ああすれば女の人が……』とボソボソ
話し合っている。参考にしない方がいいと思いますが。

ええ、ええ。飼い主様を懐柔しようと自分なりに努力はしましたが、ついに譲歩は
引き出せず。
かくして薄幸の少女ナノさん。
大人の『快楽の館』に、『花嫁修業』に送り出されることになったのです。さすがに
『お仕事』まではしなくていいけど、逃げたりしようとすれば、即、客を取らせると
脅されています。どういう花嫁修業だ。普通ありえない。
それでもご主人様がやらかすのに――深刻な理由など何一つないっす。
私を対等な存在と見てないからこその発想。言うことを聞かないペットを、専門の
教室で、きちんとしつけ直したい……そんな軽い感覚らしいんです。
こちらの心情への配慮ゼロ。何かもう、最低すぎて涙も出ません。

そして場所は再び帽子屋屋敷の門前。
「それじゃあ、いってまいりますね。ご主人様」
我ながら、魂の抜けたような声で私は言う。
心の中でベラベラしゃべってる私ですが、表の方では、顔と声から感情が抜けつつ
あります。原因は不明。不定愁訴かしらん。
あと、ギュッと丸まって寝る癖も、一向に治る気配がありません。
「ナノ……」
キスをするご主人様。イカレ帽子屋ブラッド=デュプレ。
彼の命令だから、旅立つ以外に選択肢はないです。

「君は私の大切な飼い物だ。わずかでも離れるのは、苛立つものだが」
ブラッドは私の頬を撫でる。シルクの手袋の感覚がこそばゆい。
だから私も、静かな声で小さく、小さく、
「今からでも判断を覆せば、私はご主人様と永遠に一緒にいますが」
我ながら人形みたいな声。たぶん表情も動いてない。そしてご主人様は鼻で笑い、
「誓った半時間帯後には、忘れて逃げる。記憶喪失は君の得意技だろう?」
……反論出来ない。実際に二回か三回、記憶喪失をやらかしてますしなあ。
そしてご主人様は、わざとらしく目を手で覆うと、空をあおぐ。
「私は祈ろう。君がいかに自堕落な女で、私に不誠実な態度を取ろうとも。
苦界で修行をすることで心を入れ替え、真に従順なペットになって戻ることを」
「くう……!ブラッド!!何て誠実で立派なんだ!!漢だ!尊敬するぜ!!」
かたわらで男泣きするエリオット……て、え?ええ!?
しかし感銘を受けたのは彼だけではなく、
「ボス〜なんて一途な〜……」
「大丈夫ですよ〜ナノ様は必ず〜治って戻ってきますよ〜」
使用人さんたちもボスを敬愛のまなざしで見ている。
え!?ちょっと待て!何でご主人様が誠実キャラ扱いなんですか!?
ご主人様が私にひどいことをするの、あなたたち、ずっと黙って見てましたよね!?
ていうか『治って』って何!どこを病んでるんですか、私!本気で泣きますよ!!


「それでは、頑張るんだぞ、ナノ」
ご主人様が最後のキスをして、私を見下ろす。
その瞳の中に移るのは、出会ったときと何一つ変わらない、平々凡々たる娘さん。
なぜここまで執着を受けるのか。『余所者』ということ以外、理由は分からない。
とか思ってると、ポンと肩を叩かれる。
振り向くとエリオットが私の肩に手を置き、ボスに笑っていた。
「心配するなよ、ブラッド。ナノ、こっち方面じゃ物覚えがいいんだろ?
きっと、すぐ戻れるって!」
白昼堂々、ギリギリなことを言うウサギさん。この自称お犬さんは全く――

「触れるな!」
「わっ!」

その瞬間、何が起こったのか分からなかった。
私は目を丸くし、門の前のお見送りの部下さんたちも、ギョッとした顔をしていた。
「いってえ……ひでえよ、ブラッド〜!」
そして見ると、地面に倒れ、涙目で頭を抑えているエリオットがいた。
慌ててご主人様を見ると、ステッキを構え、いつの間にか私の肩を抱き寄せていた。
手が痛い、痛い!
……えーと。ご主人様がなぜか、ステッキで腹心をぶちのめしたらしい。なぜに?

「『これ』に馴れ馴れしく触れるな!」

「わ、分かった分かった。悪かったって!」
エリオットは怒られた理由が分かったらしい。大慌てでご主人様に謝っている。
え?何々?どういうことですか?未だに私はよく分からない。
「そうだよな。ナノはブラッドの物だもんな」
はあ、まあ。確かに物ですな。愛玩物というか。
「以後、自重しろ。そして、ナノをちゃんと送り届けるように」
まだ不快さを残す声で、ご主人様が冷たく言う。
「ああ、まかせろ、ブラッド!」
そう。エリオットは私を××な館まで送る役なのです。
「じゃ、そろそろ行くか、ナノ!」
エリオットは立ち直りも早い。今度は私に触らないようにしながら、
「帰ってくるときには、あんたも立派な×××××だな!!」
元の世界なら、即セクハラで訴えられる単語を、褒め言葉に使ってきた!
「…………」
そしてご主人様は無言でステッキをふりかぶり。
「いってえーっ!!」
すっごく痛そうな音が門の前に響いたのでした。

「悪かった!本当に悪かったよ!勘弁してくれよ、ブラッド!!」
エリオットは平身低頭。でもご主人様はまだお怒りでした。
「物言いには気をつけろ。『これ』を貶め、好きに扱っていいのは私だけだ」

……フォローになってませんがな、ご主人様。

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