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■怒らせた話16

「あ……えーと、グレイ?」
あまりにも呑気なその響きは、私の口から出た。
『え……?』
周囲からちょっとだけ、ざわめきが聞こえる。
まあ、そうですな。さっきまで物憂げに目を伏せていたのが、いきなり顔を上げて
呑気なトーンで話しだしたからなあ。
「どうもお久しぶりですね。その後、ナイトメアは病弱ですか?」
私はまた、普通に話す。プレハブ小屋に住んで、売り上げの少なさを嘆き、庭で
ボーッとたき火をしていた頃のナノさんの声だ。
「『病弱ですか』って……そこは普通、元気かと聞くところだろう、ナノ」
ナイトメアが抗議するけど、スルーします。
「……久しぶりだ。ナノ」
グレイはだいたいの事情をご存じらしい。私には勇気づけるような笑みを、ブラッド
には憎悪の視線を向け、それでも礼儀は失せず、一礼する。

ただ申し訳ないけど、私の方はグレイの姿に勇気づけられてない。
もう一介の補佐官殿じゃどうにもならない気がするし。
けど彼の姿を見た瞬間、ちょっとだけ肩の力が抜けた。ブラッドを激怒させるに至る
間抜けすぎる経緯を思いだし、フッと『素』に戻った。だから声が普通になった。
今はまた、ご主人様に怯えるペットだ。
でも、目の前のナイトメアは首を振る。
「いいや、ナノ。あれでいい。普段の君は『そう』あるべきだ。もっと――」

「ナノがどうあるべきかは私が決める」

グイッと痛いほど強く抱き寄せられ、私は抵抗せずブラッドにもたれる。
あの『普段の私』は光速で遠ざかり、私はまた、しゃべれなくなってしまった。
「芋虫。私の前で、私のペットと秘密のおしゃべりとは、仲が良いようだな」
そうでもないっす。最近は眠りが浅すぎて、夢も見られないレベルだから。
「帽子屋!人前で彼女を侮辱するな!」
……さっさと礼を忘れたグレイが、ファミリー傘下の人間を集めた会場で怒鳴る。
すると会場の空気が瞬時に下がっていく。
音もなくブラッドの周囲に、精鋭らしい構成員さんたちが集まり、いつでも銃を
抜ける体勢に移行した。私はというと、場を仲裁する言葉は何も言えない。
ただ震えて、ブラッドにしがみついていた。ブラッドはそんな私を見、
「これは私の『物』だ。私に忠誠を誓い、望んで側にいる」
ブラッドの声が、シンと静まりかえった会場に響く。
「マフィア風情が戯れ言を……っ!」
「ぐ、グレイ、落ち着け!今回はワザと招きに応じ、様子を見るだけだと――」
ナイトメアがグレイを制する。どうやら私の安否を確認するためだけに、アウェー
状態の集いに参加してくれたらしい。
けど、激昂したグレイは今にもナイフを抜きそうだった。
「か弱い女をさらい、力で身体を好きにし、逃げる気力を失うまで叩きのめす!
正面から女を口説くことも出来ない、腰抜け野郎のしそうなことだなっ!!」
あーあ。最後は『昔のグレイ』に戻ってますよ。
「止めろ」
……というブラッドの声は、周囲の構成員さんたちに向けられたもの。
何せボスを侮辱された皆さんが、今にも銃を撃とうとしていたのだ。
エリオットたちが仕事でいなくて良かった。でなきゃ、絶対に銃撃戦になってた。
あと、最強の夢魔は、おろおろしていて、ちょっと当てにならないです。

ブラッドは私を抱き直し、わざとらしく嘆息した。
「やれやれ。クローバーの塔とは、今後も懇意にありたいと考え、パーティーに
招かせていただいたというのに……まるで私が悪の権化だとでも言いたげだな」
――え?違うんですか?
一瞬、声に出しそうになり、慌てて抑えた。
つか、招いたという割に、部外者って、この二人しかいない。ここに至る経緯が
経緯だし、これ絶対、私を見せつけるためだけに招待したんだろうな……。
やっぱあなたは悪の権化ですよ、ブラッド。
「その思考、そのまま言ってやれ、ナノ……」
ナイトメアが余計なことを言う。
いえ、私に発破かけてないで、あなたがグレイに加勢してあげなさいよ。
「い、いや、だから、今回は様子見で……」
そして夢魔はブラッドに睨まれ、ヒッと黙る。どっちの陣営が腰抜けなんだか。
まあ私が言えた義理でもないですが。

「ナノは今もこれからも私が飼い、私に従属する。
私の思い通りに動き、命令には全て従ってもらう。
やや反抗的な点が見られるから、今はそれ相応の躾をしているだけだ」
本来は、こんな大勢の人前ですべきでない話を、堂々とされる。
ペット扱いだと、そこらへんの配慮さえ、してもらえないんですよね。
「この……××××××が……」
グレイの口からとは思えない、汚い言葉が出る。
だがブラッドは、相変わらず暴発寸前の構成員さんたちを手で制し、笑っている。
「口汚いことだ。だが私はナノに対し、そこまで誠意を持たないわけではない」
私を見下ろし、言う。私はというとその視線にビクッとしただけ。
こんな大勢の人前とはいえ、ブラッドに何を命令されるか分からない。
そしてグレイは怯える私を見て、さらに瞳を憎悪に染める。
「ナノはこれからも私に逆らうことは出来ない。
生涯、従順で私の足下にあり続ける。それなら私も……」
私の頭を撫で、

「結婚という墓場に縛られてやってもいい」

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