続き→ トップへ 短編目次 長編2目次 ■薔薇園の昼下がり・上 ※夢主≠敬語夢主。 私ナノはぼんやりと薔薇園に立っていた。 風がかすかに髪をゆらし、薔薇の花々をさざめかせる。 ここはマフィアのボスと鮮血の女王陛下の聖域。 私はあの二人以外で、秘密の花園に入ることを許された、唯一の人間だ。 「…………」 薔薇が美しい。不思議の国の中でも、ここは特に幻想的な場所だ。 鮮やかな薔薇の花びらが舞い散る様子は、夢よりも美しい夢の光景。 現実主義の私も、ここでは夢見る乙女になることを許される。そんな気がする。 ただ、私はもう『乙女』などという清純なものではない。 さらに言えば『夢見る』という響きほど美しくもない。 だけど、そうならずにはいられない。 この時間帯は、似合わないスカートまでつけて、ここに着ていた。 でも薔薇の香りは、私のちっぽけな弱さまで吹き飛ばしてくれる。 むせかえるような香りの中、私はうっとりと目を閉じる。 私が身をゆだねる、あの姉弟が来るのを待っている。 そうして立ち続けていれば、華のない自分も、いつかこの夢の一部になれる気がして。 「お嬢さん」 ハッと気がつくと、後ろに人の気配がした。 「私を無視しないでくれるか?」 いつ来たのやら。薔薇園の主ブラッドが私の前に立っていた。 ちょっとぼんやりしすぎたかもしれない。きっとこの美しい薔薇のせいだ。 彼は片方の手で私の腰を抱き、もう片方の手で私の顎をくすぐってくる。 白い革手袋の感触がなぜか気恥ずかしい。 「ブラッド。無視してたわけじゃないんです。ただ……」 「あまりに動かないから、君がこの薔薇園に溶け込んでしまわないか心配だったよ。 可愛らしすぎて、薔薇の妖精に手招きされたのではないかとね」 「……悪かったですね。夢見がちなお年頃で」 薔薇の空気に酔っているところを見られた気まずさもあり、ブラッドを突き放す。 やれやれ。本物のブラッドは実に憎たらしい。 夢心地から現実に戻され、私の気分は最悪だ。 ブラッドのせいでもないのに、ついにらみつけてしまう。 するとブラッドは帽子を取って苦笑し、 「やれやれ。我が姫君はご機嫌が悪いようだな。 どうすれば君の笑顔を見られるのかな?」 「…………」 こういうとき魔性の女か小悪魔的美少女なら、気の利いたおねだりが出来るのだろう。 だが、ごくごく普通の少女の私は、何も浮かばない。 タイミングも失し、気まずく地面をつま先でひっかく。 するとブラッドの含み笑いが聞こえた。 「ふふ。つむじを曲げた君は何をしていても可愛いな、ナノ。 ならば、どうかこれで怒りを収めてくれないか?」 「え?」 振り向くと、ブラッドの手にはいつ取りだしたのか、可愛らしい小瓶。 中には透明なピンクの液体がきらめいている。 「香水?私には似合わないですよ」 「そう言わないでくれ。この液体は、同じ重さの宝石の何十倍もの価値を持つ。 それで君の怒りがわずかばかりでも紛れるのであれば、いくらでも差し上げよう」 「…………『液体』?」 間違いない。香水ではなく『液体』と言った。怪しすぎる。 「……ブラッド、私ちょっと急用を思い出しました!」 私はもう夢見る乙女を完全に放棄して、小走りに逃げようとし、 「待ちなさい、ナノ」 薔薇園の主にしてマフィアのボスから逃げられるわけがなかった。 「離して下さい!」 アッサリとブラッドの腕の中にからめとられた私は、強引にキスをされた。 「ん……んん……」 そして押しつけられた唇から伝わる、変わった味の液体。 言うまでもなく、さっきの小瓶の中身だ。 「ケホ……ブラッド、あなたねえ……」 私は完全に怒った。実はこの薔薇園でビバルディに会う約束だったんだけど、もう 約束なんかどうでもいい。 ビバルディに会えないのは残念だけど、しばらくはブラッドの顔は見たくない。 「お嬢さん、どこへ行く?」 「どこでもいいでしょう?しばらく他の領土に泊まるから、追ってこないで!」 「やれやれ。空を舞う小鳥を手の内にとどめておくのは、領土争いに勝るとも劣らないゲームだな」 「誰が小鳥ですか」 それでも、領土争いと私のご機嫌取りを同列のように言われ、少し赤くなる。 けれど許してやる気になるはずもなく、私は靴音を立ててその場を去ろうとし、 「……え?」 そのときドクン、と心臓が大きく波打った。 「あれ?え……」 気のせいではなく身体が熱くなっていく。 でも病ではない。なぜならとりわけ熱いのが、身体の一番敏感な―― 「ブ、ブラッド、私に何を飲ませたんですか!?」 「おや、もう効いているのか。さすが大金を投じただけはある」 ブラッドは勝ち誇った顔で私に近づく。私はワケが分からないなりに危険を感じて 後じさり……真っ白なベンチに足がぶつかり、へたりこんでしまう。 立っていられたのは、そこまでだった。 1/3 続き→ トップへ 短編目次 長編2目次 |