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■迷いの鳥かご2

風向きは突然に変わった。

かなり回復してきたあるとき、私はいつものようにブラッドの部屋に行った。
ブラッドはもちろん、上機嫌で私を歓迎してくれた。
私は並んでソファに座り、私は紅茶をいただきながら元の世界の話をした。

すると話の途中で突然、ブラッドが舌打ちした。

ハッとしたように、手を口に当てたので、恐らく無意識に出たんだろう。
だけど私は顔を強ばらせ、激しく自分を恥じた。
いくら許可されたとはいえ、何度も押しかけ、元の世界が恋しいとこぼされるのだ。
きっと、彼も内心はうっとうしかったのだろう。
恩人のブラッドに大迷惑をかけた、やはり部屋で横になっていようと、私は
真っ赤になって紅茶を置き、席を立って――ブラッドに手首をつかまれた。

『初めて聞いたよ。君が元の世界に想い人を残していたと』

『え?』

私は呆気に取られた。そういえばその話をしているときに舌打ちされたのだった。
でも想い人』と言われるほど大げさでなものではない。
ブラッドに話すまで私自身、忘れかけていた。

日本にいたときのこと。私には同じ学校に、気になる人がいた。
告白どころか、それ以前。どうにかして二人きりになれないかと悩む日々だった。
でも、ついにその人とは深い関係になれなかった。
少女漫画にさえなれない、よくある話。可愛く、甘く、そして苦い初恋だ。

その人が、なぜだろう……ずっと歳上のはずのブラッドと、少し雰囲気が似ていた。
私はそう言っただけだった。

『つきあいが長いのにずっと隠しているなんて、冷たいじゃないか、お嬢さん』
『別に隠してなんて……痛っ!』
強い力で手首をつかまれる。いつもなら絶対にされないことだ。
『ブラッド、痛い……離してください!』
つかまれた手首が痛い。痣になっているかもしれない。けれどブラッドは、
『君が、私にだけ特に打ちとけてくれているのは、私の人徳だと自惚れていたが、
まさか元の世界の恋人に似ていたからだったとはね……』
ブラッドが笑う。なのに空気は急速に冷え込む。
『ち、違います!恋人じゃないですよ!私だって今まで忘れていて……!』
わけが分からない。
この世界でもっとも親しい友達で、紅茶狂いの家主で、帽子屋ファミリーのボス。
食客の小娘に、初恋の思い出を話されただけで、なぜここまで不機嫌になるのか。
そしてブラッドは言った。

『お嬢さん。君の根治困難な病を治す方法を私は知っている』

『え……?』
『それは君を支配すること。君を私のものにすることだ』
『ブラッド?』
意味が分からず、問うた。何人ものご婦人方とつきあっているボスは、ときどき
私にも口説き文句をささやくことはあった。
でも、それは距離が近すぎる友人への、親しみをこめた冗談のようなものだった。
今はそんな冗談を口にする空気でもないのに。
『――っ!』
手首を引かれ、体力の戻らない私はバランスを崩してブラッドの上に倒れ込む。
それを軽々と受け止めたブラッドは膝の上に私を抱え直す。
後ろから抱きしめられる形で膝上に乗せられ、私はもちろんもがいた。
けれど、しっかりとブラッドの両腕に囲い込まれ、逃げ道を失う。
彼は恋人のように、背後から私の耳元に、

『自分で残ることを選択したからこそ悩む。
だから、誰かに残れと強制されたことにすればいい。
そうすれば、君はそいつを恨むだけで、帰らなければと迷う必要はない』

『……っ!』
耳朶をかまれた。ブラッドがそんな行為に及ぶのは初めてのことだ。
……けれどマフィアのボスが、私のような小娘に本気になるはずがない。
これはブラッドの退屈しのぎという、タチの悪い病気だ。
いくら衣食住を世話になっているとはいえ、こういったことを強制される謂われはない。
『ブラッド。私が邪魔なら、今すぐに出て行きます。こんな冗談は止めて下さい』
『冗談?もちろん本気だとも。いつでも手に入る距離にいるからこそ、時間をかけて
君の心を変えようと思っていたが、どうやらのんびりしすぎたようだな』
『…………』
冷や汗が流れる。彼が考えていることを、予測したくないのにしてしまう。
嫌。絶対に嫌。何をしてでも抵抗し、私の尊厳を守ってみせる。
勇ましい内心と裏腹に、私はすくんでいたかもしれない。
けれどフッとブラッドは両腕を離した。
私は脱兎のごとくブラッドの膝から飛び降り、ドアに駆け寄った。
そして我に返って振り向く。
ソファではブラッドが肩を震わせ、笑っていた。私は怒気を込め、
『ブラッド、真顔で冗談を言うのは止めてください。
それにさっきのは完全にセクハラですよ?』
まあ、この伊達男にセクハラされても、ご婦人方には羨まれるだけだろうけど。

私は怒りのままにドアノブに手をかけ――扉はビクともしない。

『ブラッド、開かないです。鍵を開けて下さい』

再度振り向くと、ブラッドが立ち上がるところだった。
そして彼は言った。
『自由があることで君が迷うなら、私は君を鳥かごに閉じ込めよう』
なぜだろう。怖いと感じる。
そして彼は言った。
『今から、君は私の支配下に置く。この屋敷を出ることは許さない』
『ブラッド。あの、熱があるんじゃないですか?紅茶を控えては?』
軽口でかわそうとして、失敗したかもしれない。ブラッドも聞いた風でもなく、

『閉じ込めはするが辛い思いをさせたくもない。恨まれるのもごめんだ。
だから君の方から来てもらいたい。少しの痛みはあるだろうが、教えてあげよう。
元の世界も優しいだけの恋人も――全てを消す快楽が存在することを』

もう冗談にしても度が過ぎている。私は不快感を隠さず、
『ブラッド。鍵を開けて下さい。私、しばらく他の領土に泊まります!』
でも、どうしても鍵は開かない。
そして唯一、扉を開けられる部屋の主は、静かに言った。

『服を脱ぎなさい、ナノ』

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