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■店を改装した話11

「ナノ。脅しなんか気にするなよ。ほら、貴重品持ってきて行こう」
ボリスは私を励ますけれど、私は困惑していた。ブラッドはすかさず、
「おチビさん。気まぐれな猫が、いっとき同情するのは勝手だが、君も後悔する。
ナノが、少なくともしばらくはこの国から消えるんだぞ?」
ボリスがビクッと動きを止める。
「扉を開けて会うことは出来ても、君はルールであちらには行けない。
時計屋とナノが、二人きりの世界で仲を深めるのを見ているだけだ」
エースも笑って続けた。
「好きな子の幸せを願うのは美しいけどさ。簡単に行かせちゃって、結果的に自分
には永久にチャンスが無くなる。それって、猫くん的にはどうなんだい?」
ボリスは応えない。でも私の腕をつかむ力がわずかに弱くなった。
私は改めて、この世界のことを思い出した。
モラルも法も無く、欲しい物は奪う、銃弾飛び交う世界だと。

このままでは『彼』、そしてボリス自身が危ない。
頼み込めば、私を時計塔に送ってくれるだろうけど、その後どうなるか。

しばらく考え、私は顔を上げた。

「分かりました。この店にいますよ。時計塔に行くのは止めます」

「ナノ!」
ボリスはチェシャ猫的プライドが傷ついたのか、悔しそうだった。
でも私はボリスに微笑む。
「いいんです、例え何もなくても、私は時計塔に行ったか分からないですから」
それは本当。騎士様じゃないけど、私は私で迷いやすい。
何もかもを捨てて、全く勝手の知らない別世界に行く。簡単には出来ない。
元の世界からこの世界へ来たときもあんなに大変だった。
もう一度やれと言われても、実はためらいがある。
もし時計塔の主が恋人なら、『愛のため』と理由をつけてでも飛び込んだだろう。
けど、現実には彼とは恋人でさえなく、恐らく向こうは私を何とも思っていない。
「ここにいますよ、友達もたくさんいますし」
そう言って、ボリスの頬に手をやり、唇を重ねた。
「ん……」
部屋の空気が凍るけれど、気にしてやらない。
しばらくして私は顔を離す。ボリスはうつむき、
「……ごめん。でも俺も、本当はこっちの国に残ってくれて嬉しいよ」
「謝らないでください。ありがとう、ボリス」
チェシャ猫は耳をわずかに伏せる。
そして私は、それぞれの表情をする四人に笑顔を見せた。
「とりあえず貴様ら全員、出て行っていただけますか?」


……まあ結論から言うと、誰一人出て行かなかった。
仕方なく私は紅茶と珈琲を淹れる羽目になった。
すると心得てか、エリオットがニンジン菓子を出し、外で待機していたらしい部下に
酒や料理を取りに行かせる。エースも勝手に厨房に立って何やら料理を始め、にわか
ティーパーティーの様相になってきた。
幸いというかグレイは、エースと並んで料理をするのは嫌だったようで、厨房に
立つという愚を回避してくれた。その代わり、ブラッドがいるのをこれ幸いと、
マフィア相手に私の処遇について勝手に抗議を始め、丁々発止のやりとりを始めた。
……まあ、不毛なので省略。
やがてエースが大鍋一杯のシチューを持ってきて、料理も一通り並んだ。
「はい、それじゃあナノの店の改装を祝って、かんぱーい!」
なぜか騎士が音頭を取り、私たちは紅茶と珈琲で乾杯した。

…………
「ナノ、ちょっと食べ過ぎだろ。ずっと食べてないのにそれじゃ太るよ」
ボリスに痛いことを言われても食べてしまう。
今の私は男性陣と同じくらいの量を食べていた。
そんな私の食べっぷりを見ながら、
「まあ元気になってくれて良かった。秘蔵の紅茶を提供した甲斐があるというものだ」
「帽子屋。店を潰した張本人が偉そうに……」
「あはは。金をエサに身体をねだるトカゲさんが言えた義理じゃないだと思うんだ」
「騎士さん。金も紅茶も出さないあんたが一番ひどいと思うんだけど……」
男どもの寒い会話は聞かないことにする。
「とりあえず、今夜はこの店が中立地帯だ。酒は飲むか、チェシャ猫」
「お、トカゲさん、分かってるじゃない」
テーブルにトントン拍子に酒が並べられ、何だか分からないうちに宴会モードに
変わってきた。私は談笑する役持ちたちを見ながら、
――これで、少しでも改善すればいいんですが……。
皆はどうして変わったのか。多分、いじめていた私が時計塔に行こうとしたので、
一時的に協力して私の機嫌を取ることにしたんだと思う。

ただ、それで終わりなんだろうか。

私は何となく首をかしげる。
何だか頭のどこかで警報が鳴っている気がする。
「さ、ナノも飲めよ」
「えと、私はお酒はちょっと……」
「これはジュースだ。ほら、甘いだろう?」
「え、ええ、そうですね」
ブラッドやエースの次いでくれる『ジュース』を何となく飲み、考えた。
――こう考えますか。もし、みんなが可愛がりたい猫がいたとして。
その猫はかまわれるのが嫌で、隠れ家からすぐ逃げてしまう。
誰かが家に連れて行ってもすぐに戻ってしまう。
――そんな猫をみんなで好きなときに可愛がりたいとしたら……。
「……あれ?」
何か視界がぐらりと揺れる。『ジュース』の飲み過ぎだろうか。
「おや、お嬢さんはおねむのようだな」
ブラッドがからかうように言った。
「俺たちはもう少し話し合う。眠っているといい」
グレイが言い、私はこくりとうなずいた。
ただ眠りに落ちるとき、彼がどこか苦しそうな悲しそうな顔をしている気がした。

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