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■怒らせた話2

安物のベンチで足を組み、ブラッドは紅茶を飲んでいる。

「二兎追う者は一兎も得ず。私はお店を続けますから、どうぞお引き取り下さい」
茶葉の対流を見ながら、素っ気なく言った。
「二兎追う者とは、お嬢さんのことではないか?自由も欲しい、金も欲しい。
だが、いくら君の紅茶が美味いとはいえ、一人の店だ。収入にも限度がある。
そして火の車の店を回すため、ろくに休みもない。そうだろう?」
金のことを言われると歯を食いしばるしかない。
私はティーカップに紅茶をそそぐ。
「趣味を仕事にしてるんです。仕方ありませんよ」
まあ、確かに出かけたいときもありますが……。
二杯目の紅茶が出来た、とブラッドに差し出すと。
「だが、たまには休暇を入れてもいいだろう」
ブラッドが立ち上がり、紅茶を受け取りながら、私に、何かを差し出した。
「?」
話の流れが変わり、一瞬、状況を把握出来なかった。

「受け取りなさい。劇場のチケットだ」

「へ?」
戸惑っていると、手の中に押しつけられた。
「有名劇団の特別公演だ。VIP席を用意させた。
バルコニーの観覧席で、ワインを飲みながら、ゆったりと観劇しよう」
へ……?な、ナンパ!?
い、いえお酒はちょっとダメなんですが……。

いきなりのことに、にわかに返事が出来ず、私はついチケットを眺める。
不思議の国の劇。いったいどんなだろう。
あと、このチケットすごい。公演自体もすごく面白そうだけど、デザインもすごく
ステキだし……あ、何かキラキラしたホログラムが!!
あ、ななめにしたら、透かしで劇場名!!超偽造防止!すごーい!!
「チケットだけでそこまで喜んでもらえるとは、苦労した甲斐があったものだ」
言われてハッとする。は、はしゃいでないもん!
こんな凝ったチケット、初めて見たから!!
でも私の反応を見たブラッドは、見るからに機嫌が良くなっていた。
「私の誘いを受けてくれるだろう?お嬢さん」
「…………」
私はチケットを見ながら困惑する。
金額なんて野暮なものはチケットに書いてない。
けどあのブラッドが『苦労した』と言ったから、決して安いものではないんだろう。
そんな物をもらうわけには……。
いや、それ以前の話だ。マフィアのボスが女連れで観劇。
人の多い劇場なんて、見せつけに行くようなものだ。
そんなチケット、突っ返すべきだ。毛皮の似合う女とでも行けばいい。
でも、でも……ええと……。

――……その……お、面白そうですね。この劇は。

舞踏会は不参加、遊園地は数回。サーカスは小さいのを一回きり。
あとは飲み物の研究かお店の経営。
……実は私、異世界に来てから、娯楽にあまり縁がなかったりします。
「再演予定は当分ないそうだ。残念なことだな」
見るからにソワソワして落ち着かない私に、ブラッドは畳みかける。
「言っておくが他の席はすでに完売している。まあファミリーの下っ端の下っ端の
下っ端あたりが、最後列の席くらい転売しているだろうが、仮に君が買ったら……」
売った人をズドン、ですか。
ですから、何だってこう、小娘一人誘うのに、いちいち脅してくるかなあ……。
「まあ、私も君にしつこくして嫌われたくない。それならチケットは――」
「あ……!」
しまった……取られそうになったチケットをとっさに押さえてしまった。
慌ててブラッドを見ると『してやったり』の笑み。
「招待を受けてくれて感謝する。ナノ。
ああ、もちろん観劇の後は最上級のレストランを予約している。その後は……」
予想がつきますよ。最上級のホテルに直行、でしょう?
……いやいやいや!それじゃあ、いつものパターンじゃないですか!
冗談じゃ無いです!そんなエサには釣られないですよ!
「…………行かないですよ。他の女性と行って下さい」
やっとのことでチケットをブラッドに差し出す。顔はぶすっとしてたかもしれない。

「断る。君以外の女と行くつもりはない」
即答でした。そしてブラッドは、
「あ……だ、ダメ!!」
思わず叫んでいた。ブラッドが、自分のチケットを破ろうとしていたから。
とっさに制止した私を、マフィアのボスは勝者の笑みで見ながら、
「ダメ?君はこの観劇には興味がないのだろう?なら私も興味を失った。
不要な紙切れをどうしようと、私の勝手だ」
「いえ、でも……」
結局、ブラッドに返そうとしたチケットを、また手の中に戻してしまう。
でも一方で、行かなくていい言い訳も考える。
「行ってくれるな?ナノ」
「無理ですって。観劇には服装とかあるんですよ?」
観劇の服装なんて自由……と思いたいところですが、やっぱりそれなりのオシャレは
必要です。
するとブラッドは、ほとんど即答で、
「なら君に合わせたドレス一式を届けさせよう。もちろん服飾品もつけて」
……なんでしょう、この『着々と外堀を埋められて行く』感。
「出発前には、専門のヘアメイクアーティストも派遣させる。
君は自分を飾り立てることに悲しいくらいに無関心だからな。今から楽しみだよ」
ボスの気配りは、どこまでも抜かりがない。だんだん断れない方向になってきた。
「え……あの、その、ブラッド……私、お金は……」
もごもごと言うけれど、
「マフィアのボスが、いや、男が自分の女に金を出させるとでも?」
「いえ、だから、私はあなたの女じゃ……」
だけど、二杯目の紅茶を飲み終えたボスは、もう勝者の笑みだ。
用事はすんだとばかりにティーカップを戻し、ベンチから立ち上がる。
そしてキザな仕草でステッキを構え直した。
「さっそく君のドレスを選ぶとしよう。楽しみにしていてくれたまえ」
さっそうと身を翻し、屋敷への道を軽い足取りで帰っていく。
鼻歌でも聞こえそうな上機嫌な背中だ。
「…………」
私は何度か制止の声をかけようかと思い、結局声をかけられなかった。
チケットを手の中に握りしめ、そのまま、とぼとぼと屋台に背を向け、歩き出す。
そこに、住居にしている小さなプレハブ小屋があった。

私は中に入った。でも多分、浮き足立っている。ブラッドにかけられた言葉の一つ
一つを思い出し、ドキドキする胸の高鳴りをおさえるのに必死だった。
そして、戸棚に向かい、鍵付きの引き出しを開け、キラキラしたチケットをしまう。
「……見なければ、忘れちゃいますよね」
かすかな希望をこめ、そっと引き出しを閉め、大事に鍵をかけながら呟いた。
決して、忘れられないだろうと確信しながら。


……確信も虚しく、三時間帯後には本当に忘れてしまいました。

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